見出し画像

"遊び"に行き着く頃

生々しい話(?)をすると、最近、仕事が減って減って困っている。しかし(最近ずっと書いている通り)『アフリカ』の"セッション"は佳境だし、これから手がける予定の仕事の準備もしなければならない。はっきり言って忙しい。貧乏暇ナシ路線、真っしぐらである。しかし苦しいからと言って"営み"を止めるわけにはゆかないからね、仕事はつくろうじゃないか、と、覚悟を決めて取り組んでいる。なんかこう書くとすごく闘っている感じがする!

ひとつが動けば、それに影響されて、他も動くかもしれない。そういうことには常に希望を持っている。そしてそういう希望は、必ずと言っていいほど、ちいさく実現する。

日々やってゆくための仕事は減ってゆく一方で、根本から考え直した方がよいのかもしれないと考えてはいる。しかしぼくのやっている仕事の大半は"福祉"にかんする仕事で、「やめます」「あ、そーですか」というふうにはゆかないはずなのだが、ゆかないはずの仕事ほど、働く人の生活が考えられていないように感じられるのはなぜだろう?(最終的に困るのは自分ではない、サービスを受けている側である)

さて、『アフリカ』の"セッション"は、この編集人が"遊び"に精を出し始めたら、終わり(完成)に近づいた証拠だ。

昨日は久しぶりの"遊び"に夢中になってしまい、少々夜更かしをしてしまった。おかげで今日は一日中眠かった。"遊び"とは何だ? 『アフリカ』を読んでくださっている方なら、「あぁ、あれのことかな?」「いや、あれかな?」と思われると思います。

"遊び"は、ある方がいい。隙間の喜び。余技の魅力。そこが豊かになればなるほど、全体も輝くとぼくは信じてる。のかも。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、6月25日。今日は、「家に一輪連れて帰ると印象派の絵画のような淡い美しさがより強調され」た話。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?