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"つくる"よろこびと共に

先日、Twitterで「2分の1成人式」にかんする新聞記事が流れてきて、そこには出典も書かれてきたので、図書館で探して読んだ。西日本新聞の(2019年)2月24日朝刊の「教育データコラム」という記事から。

 先日、熊本の知人から、小学4年の息子が担任教員にたたかれたと相談された。忘れ物が原因というが、よく聞くとそれは「2分の1成人式」の準備物で、式が嫌だと自己主張した結果だったらしい。生い立ち、家族との思い出、将来の夢、感謝の言葉…。「みんなの前で個人的なことを発表するのは苦痛だ」と彼は訴えたという。

この話が続くのかと思うと、そこで改行して、「2分の1成人式」は2000年頃から始まったとか、学習塾が保護者にアンケートをとったら「2分の1成人式」への評価は高かったとか、「ただ、彼のような児童もいる」とかと書いて終わる。これでは"やらせる側"と"やらされる側(こども)"とのギャップがあるような記事にも見えてしまう。そうなのかもしれないが… でもそのへんのことはよくわからない。

うちの子も、小学校に行けば、その「2分の1成人式」というのが待っているのだろう。気にならないかと言われたら、少し気にはなる。

この記事で気になる点はいくつもある。「忘れ物をした生徒を、いまも学校の先生は叩くんですね?」という驚き、「その学習塾、こどもたちへのアンケートはとらなかったのだろうか?」という疑問… でも一番気になるのは、「2分の1成人式」ってどんなことをやってるの? だなぁ。

この記事によると、「生い立ち、家族との思い出、将来の夢、感謝の言葉」などを「みんなの前で」発表するのらしい。それを家族参観のようなかたちでやるのだろう。

ぼくが小学生の頃、低学年だったと思うから、まだ10歳にはなっていなかったと思うが、何かの時に、自分が生まれた頃の写真を使って、クラスメイトの前で(教室で)何か発表したことがあった。

でもそれはそういうことを発表しなければならなかったのではない気がする。ぼくは自らすすんでその発表内容にした。いや、わからない。何を話したかも覚えてないのだ。覚えているのは、その時(おそらく)はじめて赤ん坊の自分を(写真で)よーく見た、ということだ。

これは想像だけれど、ほぼ確実なことで、ぼくはその発表のために、両親に話を聞いた。その頃、母は専業主婦だったし、父も夜は家にいたから、気安く聞くことができただろう。ぼくはたまたまそういう家庭環境にあった。

話を聞くのは、いい機会だった(はずだ)。自分が幼い頃の写真をたくさん見た(たぶん)のも、いい機会になった(はずだ)。

発表は、ま、すればいいとも思うが、どうでもいいような気も、いまの自分はする。ただ、発表することによって、おそらく何か"つくった"だろうという想像もする。写真を紙に貼って、見せるために何かつくった記憶があるのだから。

吃音の少年だったぼくが、クラスメイトの前で、その紙を黒板か何かに貼って、何か話した。教科書を読まされるのは苦痛だったが、その時はそれほど苦痛ではなかった。ある程度は自分のペースで、自分のつくったことばで話せるからだ(と想像する)。

ほんとうに個人的なことを、他人の前で話したり、書いたりする必要はない、と、ぼくは考える。こどもだろうがおとなだろうが、そんなことを強要してはダメ。

話したり書いたりされてるのはある意味、フィクションなんだから。──"フィクション"というのは、つくられたもの、ということ。

話したくないことは話さないでいい(何も言いたくなければ黙っていてもいい)。それは、ぼくがたまにやる"ことばのワークショップ"の鉄則のひとつでもある。そんなことより、こども(たち)に、その"つくる"ということ、"つくる"を通して"話す"こと、"書く"ことのよろこびを伝えたいなぁ、一緒に味わいたいなぁ、とぼくは思う。

(ついでに付け加えると、成人式、じつは出てないんです。自分の成人式の日は故郷から離れた大阪の森ノ宮というところにあるホールで、オペラの合唱隊の一員として(人が足りないというので助っ人で)出演していた。ぼくは成人式に全く興味なかったから… 成人式には出ても出なくてもいいのに、2分の1成人式には強制的に出させられるというのも、何だかなぁ?)

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月1日。今日は、道草の家のモザイクタイルをご覧ください。※毎日だいたい朝に更新しています。


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