よくわからない部分には、何かある、という話
今日は午後になってから家を出て、展示替え期間に入った横浜美術館のカフェに来て仕事してる。ほぼ貸し切り状態(はい、狙って来ました)。インターネットも使えるし、涼しくて快適だし、珈琲一杯で、ありがたい場所。
あまりに客がいなくて、向こうのテーブルでは美術館のスタッフが打ち合わせを始めたりして、仕事するには悪くない雰囲気(かな)。
ぼくはいま、やらなければならないことが山もり。もりもり、だ。
半分は、手や足や頭を使ってギャラをいただく仕事だけれど、あとの半分は自分で企画し、つくって販売したり、運営して参加を呼びかけたりしてお金をいただく仕事だ。
この頃は前者が大きな割合を占めていたが、少し揺り戻して行きたいと思っている。バランスをとってゆきたい。
さて、過去に自分が書いたものを読み返す作業も続けている。
今日からは、「毎日1作」という縛りはなくして、割と近年のものを、じっくり(くり返し)読み直して、加筆・修正をしてゆくことにした。
というのも、この数年に書いたもので主要なものは『アフリカ』に載っているものだが、その多くの完成度にかんして、書いた本人が納得いってなかったからだ。
今日からの数日間は、「「外出」という仕事」に取り組むことにしている。一度は読んだ。少し手も入れた。
簡単には手を入れられない箇所もある。
何をどう考えて、そう書いたのか? 思い出せない箇所もあるのである。
たとえば、こんな箇所だ。その前から読んでいなければ、わかりづらいかもしれないけれど…
(『アフリカ』第22号=2014年1月号、赤いリンゴが表紙の号をお持ちの方は確認してみてください。『ウェブ・アフリカ』vol.1(4/2018)にも載ってます、こちらは、パソコンやタブレット、スマホなどがあれば無料で読めますよ)
ことばをもつ程度は、人それぞれだ。彼らと接していると、「障害者」でなくても、みな、ことばをもつ程度は、人それぞれなのだ、ということに思いが至る。なぜなら、「障害」によって、それは均等ではないからだ。ことばは、得られるものなのだろう。
(太字にした部分は本文では太字にはなってない。いま、強調するために太字にしました。)
この部分が、よくわからない。でも、ぼくはここで何かもっといろんなことを言いたくて、こう書いているような気がする。
こういう箇所が、ちょくちょく、ある。少し時間をとって、自分自身と話して、探っていることにします。
(つづく)
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をご覧ください。
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、9月3日。今日は、えー、ガオー。
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