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「とりあえず東京を出てみよう」と電車にのって新潟に引越した話

昨日twitterでこんなことをつぶやいたら

いいねが予想以上についてうれしかったから書いてみる。

この夏ずっと住んでいた東京から新潟にやってきて、気づいたら住んでいた話。

東京にいる意味がなくなった

なんで新潟なの?と聞かれたとき、すこし前からこう返している。
質問に答えてないような気もするけど、これが本当にはじまりだった。

「東京にいる意味がなくなった」理由はざっくりこんな感じ。

・仕事がフルリモートになった
・人混みが怖くて、好きだった居酒屋めぐりが出来なくなった
・東京家賃たかすぎ問題

まずわたしの所属している会社が、リモートで働くことにとっっても理解があった。コロナが流行る前から「出社」に重きを置いていなかったので、wifiがあればどこでも働ける環境があって、会社員なのに本当に恵まれていた。

緊急事態宣言が出たあたりから、ライフワークだった居酒屋ホッピングができず悲しみにくれて、毎日部屋でコンビニワインを飲みながらゴッドファーザーをみる生活を送っていた。そばにあるのに会いに行けない、、大好きなお店と離ればなれになってほんとにしんどかった。

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ちょうどその頃、これまで住んでいたシェアハウスを卒業して、Airbnbの部屋に住んでいた。wifi完備、周りに高い建物もなく見晴らしも良かったんだけど、

家賃がめちゃくちゃ高かった。

いや、これはAirbnbだからとかではなくて、東京の家賃が高すぎて無理...

そんな思いがちりつもで、え、わたしなんで東京にいるの?という気持ちが日に日に大きくなって、

「とりあえず東京でます」

会社の人たちに宣言をした。このとき行き先はまだ決まっていない。

「新潟が面白いよ」と聞く

東京出る〜といいながら行き先がないわたしに、会社のNさんが「新潟に行ってくれば?」と助言をくれた。

新潟はものづくりのまちがあるらしい。

仕事でクリエイターさんと関わることが多いわたしは、「ものづくり」に興味があることをNさんに伝えると、新潟のものづくりのまち、燕三条市の話を教えてもらった。

三条ものづくり学校がある新潟県三条市は、お隣の燕市と並んで古くから刃物や洋食器といった金属加工製品のものづくりで栄えた地域です。
引用:三条ものづくり学校

ちなみに燕三条にある工場のストーリーを発信している、三条ものづくり学校のweb記事「日々是ものづくり」がとってもいけてる。わたしは鍛冶屋の親子のお話がかっこよくて好き。

「叩く」ことに意義を見出したかった 親子二代の真剣勝負 日野浦刃物工房

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(引用)三条ものづくり学校

こんな感じで、他にあてもなかったのでそれならば、と新潟にいくことを決めた。

とりあえず数週間生活できる場所を探した

新潟にきめたとはいえ、オンラインで賃貸を契約するのは不安だった。そもそも賃貸契約の2年間?その場所にいることをこの時点で決めなきゃいけないのが、わたしにはむずかしかった。

そこで、家具が揃っていてとりあえず数週間滞在できるゲストハウスをあたることにした。

「新潟 ゲストハウス」で検索して気づいた。新潟ひろくない?

地理とか縮尺は一旦忘れて、出てきた場所に片っ端から連絡することに。
コロナで休業していますと返信がきたり、それはそれで悲しいきもちになった。
いくつかきた返信のなかで、個人的にメールの文章が温かかった、越後湯沢のゲストハウスに数週間泊まることにした。

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引用:Sansan Yuzawa

燕三条市から越後湯沢が新幹線で1時間くらいかかることを、このときはまだ知らない。
(東京と越後湯沢の距離とほぼ変わらない。)

電車にのる。気に入っちゃって3ヶ月目

もうあとは電車にのった。とりあえず越後湯沢に向かって、そこから住処を探そうと。

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その日から3ヶ月。

越後湯沢の暮らしが思った以上に気に入っちゃって、まだいる。

人がいい、山がある、川がある。
笑っちゃうくらい毎日が新鮮で、たのしい。

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ただ、わたしが越後湯沢に住んでる理由は、「越後湯沢に移住するんだ〜〜〜」っていうよりも、とりあえず電車にのってきて、数週間暮らしてみたら、気に入って3ヶ月いる感じ。逆に気にいらなかったら、違う場所にいたと思う。

トライアルじゃないけど、まずは数週間暮らしてみて、その場所が会うと思ったら根を下ろしてみるのもいいのかもしれない。

仕事の合間に川に飛び込んだり、稲刈りをして新米を食べたりした話をまた今度したい。

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