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話しても仕方ない

って、思ってしまいがちなんです。私。

「どうして泣いてたの?」
「話せば楽になるよ」
「一人で抱え込まないでもっと頼って」

自分が泣いたり、泣いてなくても不安そうにしているのを察知してくれた人が、そうやって心配して声をかけてくれることはすごく嬉しいんです。

ただ、そこに至るまでの過程には、ぐちゃぐちゃに絡み合った思考があって、その最後の方の一部だけを切り取って説明してしまうと、全然違う話になってしまうくらい複雑な悩み?なんですね。

かいつまんで、状況を知らない第三者にも分かりやすく誤解なく説明できるほど、私は言語能力が高くありません。

かと言って、私自身が「これならわかってもらえるはず!」と納得できる範囲、一から十まで説明したいと思っても、相手は「そこまで聞くつもりなかったのに」「めんどくさい」と感じるはずです。

あるいは、めんどくさく思わなかったとしても、結局情報量の過不足に関わらず、私が伝えたいことがそのままの形で相手に伝わるとも限りません。「あ、いや、そうじゃないんだけどな…」と、私が感じるような受け取られ方をされ、さらにそれを訂正する余地もないまま、全然違う話として終わってしまう、ということも、これまで度々ありました。

こうした理由から、「上手く伝えられない」「話をちゃんと聞いてもらえない」「話すと逆にめんどくさいことになる」と、諦めに近い気待ちが私の中で育っていった結果、泣くほど悩むような状況になったとしても、他人に相談せず一人で溜め込む→突然「離れる」「辞める」を決断、という行動パターンが出来上がりました。



一つ一つの悩みは本当に小さいことで、「無視された」「素っ気なかった」「避けられてる気がする」といった程度なことです。それに、その中には私の思いすごしもたくさん含まれているかもしれません。

その都度「気にしすぎかも」とごまかして気にしないようにしたり、別の場面で「なんだ、勘違いだったかも」と安心するような出来事があれば、積み重ねも多少リセットされたりします。

でも逆も然りで、ネガティブな出来事にまた別のネガティブが重なると、それが裏付けとなって「あ、あの時のあれはやっぱり気のせいじゃなかったんだ」「やっぱりそうなんだ…」と、点と点を自分の中で結びつけてしまうんですね。

そうしてできたいびつな線が頭の中に増えていくと、気がついた時には簡単には解けないくらいぐちゃぐちゃで強力にそれぞれが絡まりあってしまうんです。

絡まる前段階で誰かに相談出来れば良いのかもしれませんが、その段階ではまだ、私の「気にしすぎ」に過ぎないかもしれませんし、そんな妄想に他人を巻き込むのは気が引けるんです。

「え、そんなことでいちいち気にするの?」

と、めんどくさい人間と思われるのが怖いですし、そうなったら悩み解決どころか、また別の悩みが生まれそうだから。

なので結局、「気にしすぎかも」とギリギリスルーできるまでは溜め込んでしまって、ある日突然、小さなネガティブ現象によって爆発してしまうんですね。

その時点では、もうそのちょっとした出来事が、私の中で絡まりあった全ての妄想を立証する根拠みたいなものになっていて、一気に引火してしまうくらいの勢いがあるんです。

だけど、爆発が起きた原因、つまり引火直前の出来事だけを第三者に説明するとなると、「え、何?そんなこと?」と、どうしても捉えられてしまいます。


本当は、絡まり合う前の、点と点が無理やり結びついていびつな線が何本もできていったこと、それらが散らかって絡まりあったこと、全部説明したいんです。

だけど、そんなめんどくさい話に耳を傾けてくれる人はいない、と思ってしまいます。

仮に耳を傾けてくれたとしても、その人の中で「なるほど、わかった」と合点が言った時点で、私の主旨が伝わったかどうかはさておき、相手の中で完成されてしまうので、もし全然違う話が作り上げられたとしても、もう私かそこに手を加えることはできなくなってしまうんです。

だから、カウンセラーの先生のように、メモを取りながら根気よく、私が言葉にしない部分も含めて汲み取ろういう姿勢で聞いてくれたり、腑に落ちない所があれば質問して、私に補足や訂正をさせてくれたり・・・そういう話の聴き方をしてもらって始めて、「言いたいことが言えた」「分かってくれた」と、私は安心できるんです。


ただ、そんなのは贅沢な話ですよね。


カウンセラーの先生は、それを生業としていて、話を聴くことで対価を貰っているんです。

でも、私は周りの誰かに話を聞いてもらってもお金は払っていません。

そういう時に、何かおごるとか、お礼の品を後日渡すとか、それもどれくらいの金額が妥当なのかとか、お金や物でないなら、どんな風に「お返し」すればいいのかなどもわかりません。


カウンセラーの先生に求めるようなことを一般の人に求めること自体が筋違いなのに、正しい感謝の仕方もわからない。

それじゃ、人に頼ることすらおこがましく思えてしまいます。


溜め込んだ結果、ある日突然泣きだしたりするのは、周りを驚かせてしまいますし、腫れ物に触るような余計な気遣いをさせることにもなります。ましてやそれが職場の人間関係であれば、「あんな人と一緒に働きたくない」と思わせてしまっても仕方ないですよね。

だから、

"人に頼れない、相談できない。だから一人で抱えるしかない。だけど爆発もしちゃいけない。"

という思考回路になるわけです。

もういい歳でもあるし、人前で、仕事中に泣くなんて恥ずかしいこと、したくありません。

自分で自分を、働きにくい状況に追いやることを、もうしたくありません。

だけどきっと、また来週からも同じようにぐるぐる考えてしまうし、もしも職場を変えたとしても同じでしょう。


結局これは、周りの人がどうこうというのではなく、私の思い込み癖や気持ちの切り替えが出来ていないことが原因の、無限ループなんですね。

人間関係も仕事も、複雑にしているのは私自身。

苦手なことから逃げるための言い訳(妄想)を頭の中で作り出しているんだと思います。

その妄想をやめること、不安を取り去ること、それができるのは私だけです。


悩んでも話せる相手がいないとか、来週からまた不安だとか、今日もずっとウジウジ考えていました。

他人に悩みを相談するかしないかは一旦置いといて、まずは自分が自信を持てるように努力します。

基本的なルールをしっかり守ることや、挨拶をしっかりすること、できることをサボらないこと。勉強して体も鍛えて、心身ともに体力・自信をつけていくこと。

「これだけやってるんだから大丈夫!」って自分で胸張れるようになれば、きっと、少しの不安は自分の手で払い除けることができる・・・はず?😂


さて、何が言いたいかよく分からない感じになりました。いつものことですね笑


とりあえず明日明後日、ジム行って鍛えてきます!(トレーナーさんにビシバシ指導してもらうために、トレーニングサポートの予約入れてます💪)


最後までお読みいただきありがとうございました!

めちゃくちゃ抽象的な話でしたが、私がいかに妄想が激しいかが伝わったかな?と思います😂

思考からの逃避にはスイカゲームがぴったり。

てことで、この後も少しスイカゲームやって、寝落ちします。


おやすみなさい(:3[____]

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