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「弱さ」は「攻撃していい理由」にならない、はず…

休憩室からこんにちは!

さきほど、顔の見えない相手から電話口で怒鳴られ、体どころか心臓が震えました、はるねずみです🦔笑

怒鳴ったり暴言を吐いたりする「気持ち」は理解しようと思えばできても、やっぱりそれを受け止めたり、自分が傷つかないようにとまではなかなかできないものですね。

何を言われても笑顔で受け流せるような、そんな心を持てたらなぁと思いました。
(もう一回『反応しない練習』読み返した方がいいのかも…📖)


というわけで、怖かったのとちょっと疲れたので、今日は食後のお供に「ジャンボどら焼き」食べながら、ゲリラ執筆したいと思います。


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今日の記事のタイトルについてですが…

一応、これは私個人の考えなのですが、語尾を「ならない。【自論】」とかしちゃうと、ちょっと偉そうかなと思ったので、「ならない。」とキッパリ言いきらずに「はず…」としておきました。


社会には、弱い立場の人と強い立場の人がいて、障害などのハンディキャップや何らかの不自由(生きづらさ)を抱えている人もいますよね。

誰かの助けを借りなければならないとき、たいていの人は、それを「してもらって当然」とは思わずに、感謝の気持ちを持って、お礼を伝えたり表現したりするものです。(少なくとも表面上だけでも)


ただ、中には、自分が助けを借りることを「これくらいしてもらって当然」と思っていたり、自分が期待する手助けを周りが率先してしてくれなかった時に、「こんなこともしてくれないなんて不親切だ!」と腹を立てたりする人も存在します。


それもそれでその人の価値観だとは思いますが、私はそういう人を見ると残念な気持ちになってしまいます。

もしも、自分が純粋な「善意」で、つまり何の見返りも求めずに、誰か困っている人を助けたとして…

お礼を言われないどころか、

「フンッ…これくらい当然のことでしょ?むしろ、こっちから言わなくたって動くべきじゃないの?気が利かない人だね」

なんて捨て台詞を吐かれたとしたら・・・

残念を通り越して、深く傷つきますし、「そんなことを言われるくらいなら、初めから何もしなければ良かった」と後悔するはずです。


だから私は、弱いとか不自由さを抱えているからと言って、それが周りの人を「攻撃」してもいい理由にはならないと思うんです。

自分が傷付きたくない気持ちはよくわかるのですが・・・

自分を守ろうとするあまりツンツンしてしまったり、人に対して当たりがきつくなったり、自分の思い通りに動いてくれない相手を、暴言や誹謗中傷で傷つけるとか、悪い噂を流すというのはやめた方がいいんじゃないかなと。


それが、私の考えです。


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つい先日、朝の通勤時に地下鉄車内でこんなひと場面を目撃しました。

通勤ラッシュということもあり、満員でかなりぎゅうぎゅう詰めで人が乗っている状態でした。

そんな中、私から見て斜め前のあたりに、サングラスを掛けてヘッドフォンを耳にかけている女性が、私と同じ方向を向いて(つまり私はその女性の背中を見ている状態)いました。


特にその人のことは意識しておらず、スマホを持って画面を見るほどの空間もなかったのでボーッと立っていたところ、突然車輌が大きく揺れたのです。

すると、その反動で、サングラスの女性と背中合わせで立っていた男性が、手すりにつかまってはいたもののバランスを崩し、女性の側へよろけてしまい、女性を押してしまいました。

サングラスの女性もやはり手すりにつかまってはいたのですが、後ろから男性に押されてバランスを崩し、目の前の優先席の方に向かって前のめりに倒れそうになったのです。


そのとき・・・


女性は押されたことに腹が立ったのか、なんと驚くことに、後ろの男性の方を振り返りながら、左腕を90度に曲げ、勢いよく男性の背中を「肘打ち」をしたのです・・・!Σ(゚д゚;)


当然、普通によろけてぶつかるような衝撃とは全く異なり、明らかに「わざと」であることがわかるような衝撃なので、男性は驚いて女性を振り返っていました。

が、女性の方はと言うと素知らぬ顔で、次の駅に止まって優先席が空くと、何食わぬ顔でそこへ座ったのでした。



この一連の流れを見て私は、この女性はもしかしたら、何かの障害や病気(精神疾患含む)を抱えている可能性があるのではないか、と思いました。(優先席に座っていたことや、年齢的には40~50歳くらいに見えたこともあって)


ただ、仮にそうであったとしても、たまたま車輌が揺れてよろけてしまった男性を「肘打ち(攻撃)」していい理由にはならないのでは?と思ったんです。

男性は何も、「わざと押してやろう」と思ってそうしたわけではなく、ハプニングなわけで。


ただ、女性の側に立って考えてみるとしたら・・・


もしかしたら、私から見て「わざと」やったように見えた「肘打ち」は実は違って、それもまたハプニングであった可能性もゼロではありません。

サングラスをしていて視界が悪く、ヘッドフォンをしていた為に周りの音が聞こえず周囲の状況もよく把握出来ていなくて、それでたまたま動かした肘が男性にぶつかってしまった、ということだって考えられます。


私も、ノイズキャンセリング付きのイヤホンで音楽を聴いていたりすると、周りの音だけでなく、近くに人がいるとかいないとかもわからなくなり、突然話しかけられてすごく驚いてしまったという経験があります。


もしかしたら、そういうことだったのかもしれません。


ただ・・・


もしそうだったのだとしても、強く当たってしまったのであれば、それに気づいた時に謝ったりしたらいいんじゃないかなと思うんですよね。


その男性は、別にその後女性にとやかく言ったりはしていませんでした。


それでも、世の中にいろんなタイプの人間がいます。


自分にとってはなんでもない、記憶にも残らないような些細な出来事が、他の誰かにとっては「ものすごく腹立たしい、許せないこと」として記憶に刻まれ、場合によっては復讐や嫌がらせ、粘着されてしまうリスクもあるわけです・・・


だからそう言う意味で、自分の身を守るには、一番は、「感謝」「謝罪」をしっかり相手に伝えることなのかなと思います。


人混みにいたり、どうしても周りの音をシャットアウトしたい(心を守るために)と思って、イヤホンで大音量で音楽を聴いたり目を閉じたり、下を向いて歩いたりしなければならない時はあると思います。

私もそうです。

街中を歩くときは、視力がかなり悪いのにわざとメガネを外して、裸眼で視界をボヤかせながら音楽を聴いて歩くこともあります。

そうすれば、誰かの笑い声が自分に向けられているという被害妄想をしなくて済むし、すれ違う人が私をジロジロ見て笑っていると思い込んでビクビクしなくて済むからです。


だけど、私が自分を守ることに過剰になってしまって、周りに全く注意を向けないでいたらどうなるでしょうか?


すぐそばで、困っている人がいても気づかず、無意識のうちに誰かの邪魔や迷惑になってしまったり、「助けて!」と声を上げている人がいても気づかず無視してしまうかもしれません。

さらには、私の不注意によって人にぶつかったり足を踏んづけたりという「攻撃」を、意図せずやってしまいかねません。


だから私は、たとえ自分の心を守るためであっても、社会で生きていく上では、周りの人への注意や配慮は最低限必要だなと思いました。


そして、余計な衝突を避けるためにも迷惑をかけたら謝り、助けてもらったら感謝することも大切にしたいものです。


P.S. 今帰りの地下鉄の中で読み返してみたら、しり切れとんぼみたいな文章になってしまっていたなぁと…💦
なんとなくでも、言いたいことが伝わってくれていたら嬉しいです🙏🤣笑

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