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「低価格」の先にあるもの

今さらながら、今月からAmazonプライムに正式に登録してみた。今まで、無料の1か月お試し登録を案内されて登録してみて、お急ぎ便無料…などは試したことがあったけど、月額を払ってまでは別に必要ないかな、と思っていた。(ちなみに月額は400円(税込)で、年間プランの場合3,900円(税込)だ。)

でも、今月頭にAmazonで買い物をしている時に何となくプライムビデオのページに飛んでながめていたら、見たかったけどまだ見られていない映画タイトルがめじろ押しで、「月額400円でビデオ見放題って冷静に考えて安すぎでは…?」と改めてハッとしたのだ。個人的には「お急ぎ便」はそこまで必要としていないけれど、プライムビデオを利用できるというその1点だけで月額400円という金額はかなりお得だと感じた。

さらに、プライム会員の特典はプライムビデオだけじゃない。prime musicやprime readingなど(もちろん無料に限りはあるが)音楽聞き放題や本読み放題の特典も「勝手に」付いてくる。それでお値段は据え置き月額400円だ。そもそもプライム会員になっておくと日用品も物によっては近所のドラッグストアよりお安く買えたりして、それだけで月額400円の元が取れてしまいそうなのに…。

そして、重ねての「そもそも」になるが、「家から一歩も出ることなく商品が手元に届く」というとんでもなく便利なサービスがその送料すら無料なんて、至れり尽くせりでこんなにお得でいいのか…?と少し申し訳ない気持ちになる。

月額たったの400円で、配送サービスに始まり、映画に音楽に書籍まで。なんでこの価格でここまでできるんだろう。この価格でいろんな恩恵を受けられる消費者の立場で考えれば何の文句もないかもしれないけれど、こんなに「低価格で便利でお得」なサービスに慣れきってしまうのは恐ろしくもある。

何より、消費者も企業もこうして配信されるコンテンツを作っている人たちも、みんながWin-Winならこんなに便利でいいことはないのだけれど、この仕組みのどこかにひずみがあって、搾取される人の存在があって初めて成立していることなら、手放しで喜べないよな…と思ってしまう。私も含め、働く人は誰もが消費者であると同時に、何かしらのサービスの提供者でもあるはずだからだ。「搾取される」ということは、決して他人事ではない。

私は一体、何に対して400円を払っているのだろうか。私の支払う400円は、果たしてどこまで届くのだろうか…。自分が支払うお金の先にいる人たちのことをイメージすれば、その仕事とサービスに感謝して、もっとちゃんとお金を払いたいなという気持ちになってくる。お金が巡り巡って世の中を動かすのなら、過剰な低価格が世の中にあふれることは手放しで喜べることではないはずだ。

とはいえ、仕事が少し落ち着いた今日、プライムビデオで早速1つ映画を見た。(今後はnoteで映画やドラマのレビューにも挑戦していきたい。)prime musicのアプリもダウンロードしてあって、ラジオ感覚で知らない曲との出会いを少しずつ楽しんでいる。prime readingのほうはまだあまり活用してないけど、気になる雑誌や小説などをさっと読めるから、ちょっとした移動時間の暇つぶしになるだろうなとは思っている。

今は本当に便利な世の中だ。その恩恵をありがたく享受してしまっているけど、「便利でお得はありがたい」が「便利でお得が当たり前」とは思わないようにしていたい。「低価格」のその先とその裏に、温かい光はあるのだろうか。「適正価格」という言葉は、今もどこかでちゃんと生きてる?

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