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自分を知る旅

人生は自分を知る旅なのだなあとつくづく思う。

出会う人、音楽、映画、小説、景色、言葉、などなど。その中で好きになるもの、苦手だなあと思うもの、ただ受け止めるもの、特別な存在になるもの。数え切れないほどたくさんのものに出会いながら、知らなかった感情を知って、新たな自分の一面を知って、少しずつ広がっていく。自分を知る旅というか、広げていく旅なのかもしれない。

2022年を振り返ると、余裕を持ちたい、と切実に思うことが多い年だった。

まず春から初夏にかけて少し考えごとをしてしまうことが多くて、あまり気持ちに余裕がなかった。そして秋にも今度は仕事(に加えてちょっとした体調不良)でいつも以上に時間的に余裕がない日々が少し続いてしまった。ようやく落ち着いたと思ったら、今度はちょっと行き場のない悲しい気持ちに囚われてしまったりして、取り戻したはずの余裕が迷子になっていた。

余裕なんて、何かあれば簡単に消えてなくなってしまうものだ。でも理想を言えば、やっぱりなるべく余裕のある自分でいたい。自分にとって大切なこと/今後大切になるようなものを取りこぼさないように、時間も心も頭も、常に余分なスペースを少しあけておきたい。

自分との付き合いも長くなり、我ながら気持ちの切り替え方は昔と比べてかなり上手になったと思う。思春期だったらどこまでも一人でモヤモヤし続けていただろうな…というような事象に対しても、大人になった今はモヤモヤしている自分の状態にわりとすぐ飽きてしまうようになった。時間が過ぎるスピードも着実に上がってきているし、やっぱりなるべく楽しく日々を過ごしたい、という気持ちが根底にある。

ただ、モヤモヤの中でも"悲しい"という感情は殊更に厄介なものだ。たぶんいちばん消えにくいし、何をしていても心のどこかにずしっと負荷がかかっている状態になり、自分では制御できない。なだめることもできない。他にどんなに楽しいことや嬉しいことがあっても、悲しさを感じている心の圧迫感は消えることなく、「それはそれ、これはこれ」という感じで形も大きさも変わらずに残り続けるんだなぁと自分の感情を観察する日々が続いたのが去年の秋のことだった。

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人の(私の)気持ちは本当に複雑だし単純だし、明確な部分と曖昧な部分が混在していて、常に揺らいでいる。小さく揺らぎながら日々バランスを保っているけど、不意によく分からない大きな感情の波が出現したりする。自分でも「そんなことでそこまで悲しまなくても…」と思うようなことで深く悲しんで、うまくバランスを保てなくなった自分に戸惑ったりもする。

ただ、予想外の感情を伴う自分の反応は厄介ではあるものの、見方を無理やり変えれば面白くもある。というか、そういう波が来てしまったのなら、せめてその状態を真剣に捉えすぎずに、ただその波に興味を持ってふんわりと面白がれる自分も頭の片隅にいてほしい。

矛盾も含めて説明のつかない気持ちこそが人間らしいのだと大きく開き直って、よく分からないうちは分からないままで、その状態すら心のどこかでは面白がって観察してみようと気持ちを切り替えれば、その時点でほんの少しだけ気が楽になる…こともあるかもしれない。

人生においてはささやかなプラスの感情を大切にしていたいし、ちょっとしたマイナスの感情にはなるべく囚われていたくない。「囚われていたくない」というのは、マイナスの感情の存在を許せないということではもちろんなく、そこでただ思考停止していたくないということだ。

ちょっとした感情でも、それが自分の中に生まれたのならそこには何か理由や原因や意味があるはずで、無視しようとしても無理だし、"ない"ことにはならない。面倒な作業ではあるけど、今後の自分のためにもやっぱりその感情がどこから来るのか、なぜ生まれてしまうのかをなるべくちゃんと把握して、理解しておきたい。

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これは昔からやっていることだけど、自分の感情を観察するには書くに限る。モヤモヤしていて一見つかみどころのなさそうな感情に言葉という形を与えることで、分からないなりに具体的にありのままを捉えることができるようになる。たとえ感じていること全てを言葉にすることはできなくても、言葉という枠の中にうまく収められない曖昧な思いがあったとしても、やっぱりある程度言語化して認識できないことには何も始まらない。

自分の中にある厄介な感情を遠ざけることはできなくても、視点は少し変えられる。波が来た時に「今日はどんな感じかな」と半ば他人事のように離れた視点から観察を続けていると、不思議と冷静になれるものだ。イメージ上であっても、しんどいものから少し距離をとることができれば、多少は息がしやすくなるのだと思う。

そうしてちゃんと息ができる状態をキープしつつ、しっかり目を開いて観察していれば、モヤモヤした状態から抜け出す良いタイミングもきっと逃さずにいられる。

思えばこれも、高校生くらいの頃に吉本ばななさんの小説から学んだ考え方というか、その考え方から派生した思考の癖の1つだ。

嫌いな人がいたら、好きになれるところまで離れればいいのよ。
(中略)
離れるしかないの。問題は、心の中に入ってきてしまった場合。でもできれば入れないで、距離をとるのがいいの。本当だよ。

『ハチ公の最後の恋人』/吉本ばなな


どんな時も「自分が本当に思っていること」を日々ちゃんと理解しておくことはすごく大切だと思う。この「自分が本当に思っていること」は、自分のことだから自然にすっと分かるものかと思いきやそうではなく、しっかり見つめて考えてみないと分からないから厄介だったりする。観察して言語化することは、その「自分が本当に思っていること」を理解するということだ。

複雑な感情の波が来た時も、そこを意識して見誤らずにいれば、やがて絡まったものがパッとほどける時が来る。行き場のなかった感情は自分の中に溶けてなくなり、本当に大切にするべき感情だけが残る。凪いだ心持ちで、また1つ自分を知る。

どんなことでも、とことん自分の頭で考えた上で、その後はもう何も考えていないかのように、心を自由にしていられたらいいなと思う。

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他人にはとても説明できない(する必要もない)迷路のような思考の道筋も、振り返ってみれば自分でもあきれるほど取るに足りないことだったりする。それでもどこか愛おしさを覚えるのは、それが偽りのない自分の感情の生々しい痕跡だからだ。そして、少し前の自分と今の自分は全然違うなと、自分のためだけに書いた文章を読み返して思ったりする。

2022年は何度も自分の感情に新たな一面を見た、貴重な面白い年だった。(これはすっかり過去になったから言えることだけど)

今年もきっと日々いろんな感情を同時に抱えて、言葉にしないままのあれこれに後ろ髪を引かれつつまた別のことに思いを巡らせながら、ぐんぐん時間が過ぎていくのだろう。

ただ改めて思うのは、自分の世界は言葉で作られているということだ。考えることは言葉を用いてしかできない。感覚で思考を深めていくことは絶対にできない。だからこれからも自分の言葉を豊かに育てよう、と思う。そのためには心に種をまいて水を与えて、養分を補給することが大切だ。いろんな世界や価値観に触れて、しっかりと自分が感じていることを理解して、言葉にしたくなるような心を動かす経験を重ねること。自分を広げていく旅はこれからも続くのだ。

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