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不確かだから、愛おしい。

私は今年、39歳になる。この年まで生きてきて思うのは、過去の自分と今の自分は全く違う生き物だということだ。


人は、経験から思考を重ねる生き物だと思う。原体験は人それぞれであり、そこから生まれる思想も人によって様々だ。人は皆、自分にしかない歴史があり、それは必ずしも明るいものばかりではない。誰にも見られたくない種類のものもあれば、今の自分とは真逆の考えに囚われているものだってある。

noteを始めて1年と半年。これまでも見えない場所でたくさんのものを書いてきた。それらは、今の私が書いているものとは真逆の方向を向いている。しかしそれも私自身だ。過去が在って、今が在る。だから私は、その頃の自分を全否定したいとは思わない。

生きるために、きれいなだけではいられない日々があった。自我を保つために、毒となる言葉を用いなければ上手く呼吸ができない過去があった。その道の先に、今の私がいる。


今日はそんな私の、過去について話をしたい。


閉鎖病棟に入院していた経験がある。精神科の閉鎖病棟は、どんなイメージだろうか。今現在はどうか知らないが、私が入院していた当初、それは映画「17歳のカルテ」や「クワイエットルームにようこそ」のなかの世界感と大差ないものだったように記憶している。拘束衣を着せられて絶叫している人を横目に、食事が配膳される。汚物が床に垂れ流されている状態のトイレで排泄をする。夜中ふと人の気配で目を覚ますと、自分のロッカーを誰かが漁っている。

通常では考えられないような世界が、そこでは「日常」だった。そこに染まることもできず、浮き上がることもできず、私は中途半端な浅瀬で下手くそにもがいていた。

『私は、この人たちとは違う』

毎日そう思っていたし、ノートにも書き殴っていた。強い薬の副作用で震える手で書いた文字は、歪に歪んだ。その言葉は差別発言以外の何者でもなくて、自分より深刻な症状の人を見ては安心しているところが、私にはあった。

話を聴いてほしがる人がたくさん居た。私は、それを黙って聴いてあげた。そのほうが喜ばれることを、経験から知っていた。それは優しさなどではなく、ただその場所で”上手く生きていくための手段”に過ぎなかった。

そのくせ、世界で一番自分が不幸だと思っていた。自分の経験と人を比べて、「私よりましな癖に甘ったれるな」と憤り、「私のほうがましだ」と安堵し、そんな自分に吐き気を催しながらも毎日3食出された食事を余すことなく摂取していた。保護室にはトイレしかなく、拘束衣は痒いところを掻くこともできない。食事を拒否すれば強制的に点滴を打たれ、病院によっては医師に罵声を浴びせられることもあった。1日も早く退院できることがたった一つの望みだった。そのために良い子の皮を被り、無音で吐き出す言葉は真っ黒なものだけを綴り、同じ病室で仲良くなったふりをした女の子とも簡単に連絡を絶った。誰のことも信じられず、誰のことも愛せなかった。


20年前の私は、私以外の人間の気持ちを思いやることが全くと言っていいほどできなかった。


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憎しみだけを糧に、黒い感情を文字にする。そこにびっしり書かれていたのは、父親をはじめとする私を食い物にした人間たちへの殺意。恨みなんていう可愛らしいものではなく、そこには怨念とも言えるヘドロのような感情が軒並み書き連ねられていた。たまたまそれが誰の目にも触れない場所だったから、私は大きな批判を受けることなく今日まで生きてこられた。パソコンにもSNSにも詳しくなかった私は、掌が軋むまで大学ノートに罵詈雑言を書き続けた。それは誰にも届くことなく、灰になった。そして、年数の経過と共に記憶からも消去された。


今現在、過去の記憶が少しずつ取り戻されつつある。そのなかで、昔書いた自身の言葉も芋蔓式に思い起こされる。目を背けられたら楽だったろう。しかし、忘れたいものほど人の記憶は鮮明に残る。

消したい過去を消すことができたら、どんなにか良いだろう。されたことも、してしまったことも、その道の途中で傷つけてしまった人たちの顔も、何もかもなかったことにできたら、どんなにか。
そういう後ろ暗いものを一切背負っていない人など、この世にはきっといなくて。もしいたとしたらそれは、気付いていないだけなのだと思う。間違えたことのない人間もいなければ、後悔したことのない人間もいない。清廉潔白なだけの人間など、フィクションでもなければ存在し得ない。


人には誰だって欲があり、様々な色の感情がある。経験から生まれたそれらでどんな音を奏でるのか、それを決めるのは本人だ。ただ、その音色は常に一定ではない。

変わりゆくもの、変わらないもの。その両方を携えているのが”ひと”であると私は思う。過去が在って今が在る。それでも、未来はこれから先に在るものだ。それをどんな色にするのか、どんな音を奏でたいのかは”これから”先を生きる私たちにしか決めることができない。自らの意志で選択した決断。そしてそれを継続してく強い覚悟があれば、変えたいと願う何かを変える一助にはなれるかもしれない。


世界で一番自分が不幸だと思っていた。自分の経験と人を比べて、「私よりましな癖に甘ったれるな」と憤り、「私のほうがましだ」と安堵し、そんな自分に吐き気を催しながらも毎日3食出された食事を余すことなく摂取していた。

自分が嫌いだった。こういう思考を言い訳にして、すべてを周りの誰かのせいにして生きていた自分が大嫌いだった。だからこそ、今の私はこれとは真逆の言葉を伝えたくて書いている。


「自分だけ」が辛い状況のとき以外は、弱音を吐いたらだめなのだろうか。他にも大変な人がいたら、「大変だ」と口に出したらだめなのだろうか。
どれほどの悲しみかなんて想像するまでもないはずのことが、あまりにもありふれたものとして扱われてしまう。ありふれているから、悲しくないわけじゃないのに。悲しみも痛みも、誰かのそれと比べる必要なんかないのに。


どちらも私で、どちらもそのとき間違いなく自身のなかにあった言葉で、それはこうして時間と共に流れ、変化していく。その変化は自然に起こるものではなく、自ら選んでいるものだ。どういう自分で生きたいか。どういう言葉を伝えたいか。経験を元に思考を重ね、感情と理性の狭間で言葉を必死に選びながら文章を綴る。そういう生き方がしたいと、私自身が選んだ。だから今、こうして日々書いている。


10年後の私の文章も、きっと今とは違うだろう。それでいいと思っているし、そう在りたいと願っている。生き続けるなかで、書き続けるなかで、変わりたいと思える場面が在れば自ずと文章は変わる。私はそれを良い変化だと捉えたい。
過去の発言を見て今を「嘘」だと捉える人と、今を見て「成長」だと捉えてくれる人。私は後者の人たちと、手を携えて歩いていきたい。


言葉は、手渡すためにある。今の私は、そう思えるようになった。大切なのはそのことであり、過去のすべては背負いきれるものではない。そっと蓋をしてもいい過去だってある。見せる必要のない部分だってある。


人は変わる。言葉も変わる。きっと私は、これからも日々変化する。自身の選択により変わりゆくそれらを、大切な人と同様、愛していきたい。


「死にたい」と願った翌日、誰かの生を本気で願う。人なんて、そういう不確かな生き物だ。それでいいと、私は思うんだよ。


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