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【“それくらいで”なんて、そんな言葉で他者の痛みを片づけていいわけがなかった】

自分以外の人間の痛みに、ひどく鈍感だった。

誰かの痛みに躊躇いなく「No」を突きつける。過去、私はそういう人間だった。他者の悲鳴を耳にするたび、「これくらいで」と思っていた。10代の終わり頃、私は自分の痛みを武器に、無意識で人を殴っていた。

虐待サバイバーである私は、過酷な原体験ゆえに心身に数多くの支障を抱えている。主にメンタル面がうまくコントロールできず、時々欠ける記憶にも振り回され、日常生活や人間関係を維持するために多大な労力を要する。

昨年、主治医から解離性同一性障害の診断を受け、自身の記憶の欠如の原因を現在は把握している。しかし、正しい診断名に辿り着くまでの数十年間、何が何だかわからないまま、私はただただ混乱していた。

みんなが当たり前にできていることができない。みんなが持っているものを持っていない。帰る実家がない。頼れる親がいない。捨て去りたい記憶だけが際限なく膨れ上がり、そのたびに左腕の傷痕は増えていった。両親に愛してもらえなかった。たったそれだけのことが、ひどく苦しかった。

テレビに映る見知らぬ人が、声を上げて泣いている。それがフィクションであれ、ノンフィクションであれ、私は大抵冷めた気持ちでひっそりと鼻白んでいた。

――それくらいで泣くんだ。

脳裏に浮かぶのは、いつだってそんな苦々しい感情だった。その言葉を表に出すことが間違いであるという自覚はあった。だから、できるだけ黙っていた。

元々の性格は共感覚が強く、他者の機嫌や感情を読みとりやすいHSP気質である。しかし、感情を鈍麻させなければ生き延びられなかった生育環境において、私は感情そのものに自ら蓋をした。やがて、他者の感情さえも煩わしいと感じるようになり、家を出たのち、その歪みはさらに加速した。根底にあるのは、激しい嫉妬だった。泣くことを許されてこなかった私は、素直に泣ける人が、「痛い」と口に出せる人が、ひたすらに羨ましかった。

ある日、同僚の女の子が失恋をして泣いていた。彼女が思わず……といった様子で「もう死んでしまいたい」と言った瞬間、「失恋くらいで何言ってんの?」と口をついて出た。泣いていた同僚の目は大きく見開かれ、瞳の奥には明らかに傷つきと怒りが滲んでいた。それなのに、同僚は小さく笑って「そうだよね、ごめん」と呟いた。本当に謝らなければいけないのは、彼女ではなかった。それなのに、私は謝らなかった。謝れなかったのではない。明確に、意志を持って“謝らなかった”。

自分は間違っていないと、どこかで思っていた。泣かないこと、弱音を吐かないこと、死ぬんならひとりでひっそりと死ぬこと、傷つけるならその傷痕を誰にも見せないこと。そういうのが、強さなのだと思っていた。

ここで過去の体験を書くようになって、2年半が過ぎた。書いて公開するたびに、さまざまな言葉を受けとっている。そのなかで、同じように虐待の被害に遭ってきた人たちに度々言われる言葉がある。

私の経験なんて、はるさんのに比べたら全然大したことじゃないんですけど。

そう言われるたび、過去の自分の幼さを恥じている。(この言葉に傷つくという意味では、もちろんない)
人と比べては、自分だけが世界で一番不幸だと思っていた。あの当時の身勝手さを思い出すたび、いたたまれない気持ちになる。

人の痛みもしあわせも、誰かと比べるものじゃない。私の痛みが私だけのものであるように、あなたの痛みはあなただけのものだ。

誰かのそれと比べて、「自分のは大したことじゃないから黙っていよう」なんて思わなくていい。痛いものは「痛い」と言っていい。その痛みを拳にまとい、他者の心や傷口をぶん殴るようなことさえしなければいい。

「痛い」と声を上げるとき、ひとつだけ気をつけるべきこと。それは、誰かが上げている「痛い」の声を塞がないことだ。自分の苦しみをわかってほしい。そう切望する気持ちは嫌というほど理解できる。しかし、だからといってそのために他人を傷つけてもいいなんていう道理はない。

40年生きてきて、虐待の後遺症は未だに続いていて、そういう意味では私はまだ多くのものと闘っていかなければならない。そんな私が唯一言いきれるのは、誰かを傷つけ攻撃することで癒える傷なんてひとつもない、ということだ。
痛みは自分で抱えていくしかない。誰にも肩代わりできないし、させてはいけないものだ。声を上げて助けを乞うことと、誰かを踏みつけにすることを混ぜこぜにしないほうがいい。「痛いから助けて」だけでいいのだ。

「あの人の痛みは偽物です!本当に苦しいのは私たちだけです!」

こんなふうに言ってしまうと、むしろ人の心は離れ、耳も塞がれる。結果、本当に届けたかった「助けて」さえも拾われなくなってしまう。

原体験、病名、障がい、性格、特性、家庭環境。これらの一部が重なっていたとしても、みんな一人ひとり違う個体差のある生き物――それが、人間である。どんな体験にどの程度傷つくのか、その影響がどれほど長引くのかは人による。一概に「こうだからこう」と言いきれるものではない。
自分と似た要素を持つ人と自分の言い分が食い違ったとき、思わず相手を疑いたくなるのは人の性なのかもしれない。それでもやはり、その極端な構図が私は怖い。


20年前の私は、こんな当たり前のことさえわからなかった。

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私はもう二度と、他者の痛みに対し「それくらいで」という言葉を使いたくない。相手のため、というのももちろんある。でも何より、私がそれを誰にも言われたくない。私の痛みを誰かの痛みと比べて軽視されたくない。だから私も、それをしない。

過去の自分の傲慢さがどれほど人を傷つけてきたか、忘れてしまえたら楽だろう。でも、私は忘れない。忘れないから、同じことを繰り返さずに済んでいる。美談にしていい話だとは思っていない。ただ、間違えながらも生きてきたから今の私がある。

「それくらいで」なんて、そんな言葉で他者の痛みを片づけていいわけがなかった。誰かが「痛い」と泣いているなら、「痛いんだね」と背中に手を添えるだけでよかった。20年前の私にこれを教えられたら、と今でも思う。でもそれは、どうしたって叶わない。

見えるところで書くメリットは、自分に自戒の杭を打てることだ。今でも時々、間違えそうになる。だからこうして、書いて残しておく。誰よりも、私自身のために。

人に投げた石は、いつか返ってくる。だから私は、石を握ることはあっても、それをそっと地面に戻す強さを持ちたい。それができたら、足元で咲く花にも、いつか気づけるかもしれないから。

海の白花




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