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もう誰にも、こんな思いはしてほしくない。

梅雨が明けた途端、一気に猛暑が襲ってきた。熱中症警戒アラートが鳴るなか、それでも何かとやらねばならないことは尽きなくて、一日中家の中で過ごすわけにもいかない。外に出た途端に熱気が喉を塞ぐ。むせ返るような暑さが、じりじりと内臓を焦がす。

子どもたちのことだけで充電がゼロになる日々が続いている。予備のバッテリーが搭載されていないこの身体は、燃料が切れた途端に上手く動かなくなる。

時間軸が大幅にずれる毎日を乗りこなすのは、掌で雪を掴むようなものだ。掴んだと思うと溶けている。しゅわしゅわと消えてしまう雪の欠片は、取り出すことも探すこともできない。腹の底で何かが蠢いていて、絶えずこめかみを締めつける頭痛がその感覚を助長する。

どうして、今なんだろう。

たくさんの時間をかけてようやく手に入れた“ふつう”を、呆気なく失った。深く潜ることもできず、浅いところをそっと漂っている。


とある場所で、とある人が言っていた。
「虐待は無くならない。しょうがないものなのだ」と。


虐待は、“しょうがない”ことなんかじゃない。だってもしそうなら、今の私のこの苦しみも“しょうがない”ことに分類されてしまう。泣いて叫んで混乱して押さえつけてまた泣いて。そういうものをひたすらに繰り返す脳内会議は、拷問に近い。

心を育てる。身体を育てる。その真逆の行為は、簡単に人を壊す。壊れた箇所を再生しても、こうしてバグが起きる。諦めずに再生を試みる。でもうまくいかなくて、たまに何もかもを諦めてしまいたくなったりもする。それは私が弱いからじゃない。体験が、許容量を上回っただけの話だ。そう思うことでどうにか自我を保っている。


抱きしめれば与えられる。
殴れば奪える。

包めば温められる。
突き刺せば壊せる。


お腹の命が生まれ出たとき、与えたいのはどちらだろうか。すでに隣にいる命に、手渡したいのはどちらだろうか。

もしも後者であるならば、今すぐその命を掌から手放してほしい。子どもは血の繋がった親が居なくても生きていけるが、血の繋がった親に壊されると生きるハードルが何倍にも膨れ上がる。それよりは、愛ある他人にその命を託してほしい。そのほうが、雪の欠片を次々と溶かしてしまって絶望する道のりを歩まずに済む。


置き忘れてきた荷物を取り戻すことが最終目標ではないはずなのに、それが終わらないうちは一歩目を踏み出すことすらままならない。


もう誰にも、こんな思いはしてほしくない。


少しずつ少しずつ積み重ねてきたものが崩れる音は、容赦なく鼓膜を切り裂く。その音を出しているのが私の声帯であることに、ワンテンポ遅れて気づく。


文章だけでも前を向きたい。諦めたくない。大丈夫じゃなくても、大丈夫だと思いたい。それさえもうまくできなくて、何もうまくできなくて、そのうち酸素を吸い込むことすら難しくなってしまいそうだ。でも実際はちゃんと吸えている。呼吸できている。だから生きているし、書いている。


向日葵の顔が下を向き、お日さまは高く、セミの声が空を舞う。夜道を一人歩いていると、硬い甲虫の羽音が耳脇を通り過ぎた。一瞬驚き立ち止まった私の目の前に、緑色に光るコガネムシが落ちてきた。アスファルトの上でよちよちと歩くその姿は、空を飛んでいるときより随分と弱々しく感じられた。

踏切の音が後ろから追いかけてきて、慌てて家路を急いだ夜。玄関の鍵を閉めた途端に溢れてきたものが、床に汚らしい模様を描いた。

霞がこれ以上濃くなったら、この頻度でさえも書けなくなってしまう。鍵のついた部屋のなかでは、スマホさえも禁止だ。空気の入れ替えぶんしか開かない窓。持ち込めない刃物。終わらせたい人が終わらせる術を根こそぎ奪う閉鎖空間。そこで絶叫を繰り返す声をBGMに、淡々と食事を摂る。そういう日々を、“日常”としていたときがあった。そこに戻りたくないと願う私は、無意識にそこに居る誰かを差別していることになるのだろうか。


自身でさえ信じられないことを他人に信じてほしいと願うのは、おそらくあまりに傲慢だろう。頭ではそう理解しているのに、心は真反対のことを叫びたがっている。

知識として知り得ていたことが己に降りかかってきたとき、「知る」と「体験する」のあまりの隔たりに慄く。似ているようで全く違うその境界線上で、私の両の腕は左右バラバラに引っ張られている。引きずり込まれる。片足はもう、身動きすら取れない。


数時間ぶんの記憶を失い、でも私は私の生活をどうにか果たしているらしい。私であって私ではない誰かが、どうにか帳尻を合わせているらしい。それは間違いなく私自身であるはずなのに、どうしてそれを覚えていられないのか。

朝起きてすぐにフラッシュバックを起こした。気がついたら夜だった。その日、私はわかりやすく発狂した。

叫んでも叫んでも届かない。

また此処から始めるしかない。まるで、賽の河原だ。積んでも積んでも崩される。積み方が下手くそな私のせいなのか。そうじゃないと誰かに言ってほしい。もう、強がりを記す気力すら残っていない。

 

普通の家に産まれて、普通の親に愛されて、普通の人生を歩みたかった。

夜の海は、真っ暗で波が荒い。吸い込まれそうな気配が、足元をやさしく撫でる。いっそ拐ってくれたら、この苦痛は消えるのか。背負っているものの重さすら、ふわふわと頼りなく浮いている。


自分を可哀想だと思いながら生きるなんて、心底くだらない。前を向いて顔を上げて、そうして歩いていくために生き延びた。

それでも、煙草で焼かれるために口を自ら開く小学生の私を、私はどうしたって、“可哀想”と思ってしまうんだ。


失われたままだったら楽な記憶が、あとどれくらい私のなかに眠っているのだろう。立ち上がる気力は、あとどれくらい残されているのだろう。


子どもを傷つける掌を、私は許したくない。その代わりに、傷つけられた自分を、どうにか赦してやりたいんだ。

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