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おばあちゃんとかき揚げ

「おばあちゃんのかき揚げなんて食べたくない。どうせベチャベチャなんでしょ」

中学生ぐらいのころ、おばあちゃんに言った言葉だ。
両親は共働きだったので、駅から自宅までの送り迎えはおじいちゃん、夕飯の準備はおばあちゃんの役割だった。今となってはなんて甘えた中学生だと思いたくなるが、当時はそれが当たり前だと思っていた。そして、思春期だったこともあってか、何かと反抗していた。

食べたくないと言った瞬間、普段はなかなか怒らないおばあちゃんが拗ねてしまって、そのまま寝室に入ってしまった。それを見兼ねた姉が「謝った方がいいよ」と一言。自分の中では「なんで謝らなくてはいけないんだ。おいしくもなんともないのに。」ぐらいには思っていたものの、おばあちゃんのところへ行き、「さっきはごめん」と謝った。だが、おばあちゃんは「もうあんたにかき揚げなんて作らん」と怒ったままで、そのまま部屋をあとにした。それ以来、かき揚げが食卓に並ぶことはなかった気がする。

そんなおばあちゃんは3年前くらいになくなった。晩年は認知症にかかってしまい、生活のほとんどを老人ホームで過ごしており、大きな病気もせずにそのまま息をひきとった。認知症の影響で父や姉のことを忘れているのになぜか自分のことだけは覚えていたらしい。おばあちゃんは知らない人(覚えていない人)に対しては「誰ね?」とよく聞いたものだが、自分に対しては言葉は発さずともニコニコといつも笑顔で迎えてくれた。なんで僕だけ覚えているんだろうといつも思っていた。

ただ、昔のおばあちゃんの印象が強すぎて、目の前の女性がどうしてもおばあちゃんと受け止めきれなくて、なんて言葉をかけたらいいのかわからなかった。たぶん素直になれなかっただけだと思う。本当は「ただいま」とか「元気?」とか言うべきだったし、言いたかったけど、なぜか言葉が出てこなくて、ただただ目を見つめることしかできなかった。

お葬式の時も、悲しくなかったといえば嘘になるが、泣くこともなく、淡々とした表情で式に参列していた。というのも、自分の中でおばあちゃんは認知症になった時点でいなくなったものだと思っていたからだ。7年前くらいに実家に帰ったときに認知症のおばあちゃん(当時は実家に住んでいたので)をみて、言いようのない感情にあふれ、涙をこらえることができなかった。そのときに散々1人で泣いたので、葬式や火葬の時は泣くことがなかった。親戚の人からも逆に心配されていたみたいで。火葬後に親戚一同集まって食事をしていた時、たまたま美味しいお刺身が出てきたので「あ、おいしい!」と笑っていたところ、「あんた、感情あったんかいな」と言われたほどだ。

そんなおばあちゃんのことを最近になって、よく思い出すようになった。4ヶ月ぐらい前から彼女と同棲をはじめ、2人分の食事を作るようになってから、なぜかおばあちゃんのことを思い出す。一人暮らしをしている時なんて自分が食べれればいいので見た目・味・メニューなんて気にしなかったんだけど、いざ誰かのために作るとなったらその辺りに気をつかうようになった。おでんや卵焼き、きんぴらごぼう、肉じゃが、オムライス…。「おばあちゃんはどうやって作ってたっけ?」って思うようになった。そしてかき揚げも作った時もだ。

かき揚げは具材が分裂しやすく、うまく火を通さないと中がベチャベチャになるということを自分で作ってみて初めて知った。そして、案の定、ベチャベチャになってしまい、彼女に「ごめん、失敗しちゃった」と言いながら食卓に出した。しかし、彼女は「おいしいし、全然気にならないよ。ありがとね」と笑いながら言ってくれた。おばあちゃんにはこの言葉を言うべきだったんだ。例え美味しくなくても作ってくれた人がいるんだから「ありがとう」の一言を言うべきだったんだ。おばあちゃんがなんで怒っていたのかようやく分かったし、言わなかった自分がとても憎い。

もうこれから先、おばあちゃんの料理を食べることはない。具沢山の春巻きに、中までしっかり出汁が染み込んだおでん、黒胡椒のきいたハンバーグに、醤油風味の唐揚げ。当時の料理のレシピなんておばあちゃんから聞いているわけもない。だからこそ、作っている時のおばあちゃんの姿を何回も思い出して「こんな味だっけ?次はこうしてみようかな」と繰り返し作るしかない。あの時食べたおばあちゃんの料理をそのまま作ることは難しいかも知れないけど、これからも彼女に、将来の子供・孫に、料理を作っていこうと思う。そして、自分のために料理を作ってくれた人には心の底から「ありがとう」と言おうと思う。

おばあちゃん、ありがとうね。

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