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鬱_7

朝は眩しすぎる

鬱_1のどん底だった時期から、抗うつ薬を増やしてもらい徐々に日常生活を取り戻してきた。
まともだった日が思い出せないほど、体も心も疲れ切っていた日々は脱した——はずだった。

昼夜逆転生活が続いている。夜中に襲ってくる、身を内から裂くような不安感は、抗うつ薬が一錠から二錠に増えてから治まってきた。意味もなく泣くことはまだあるが、布団を抱きしめて歯を食いしばって、己を殺してしまいたい衝動に耐えずともよくなった。

今日は、夜ずっと寝られず、ゴミ収集と朝食調達のために朝早く家を出た。
至極当たり前のことではあるが、通勤のためのサラリーマンが歩いていた。日の光が目を刺した。日の当たる場所から疎外された気がした。

完治の道は遠く

ゆっくりと、ゆっくりと登ってきた急峻な山道。やっと五合目にたどり着いたと思ったら、クレバスを踏み抜いて滑落。
グングン落ちていく。グングングングン落ちていく。自己肯定感、生存の意味。

ああ、この人たちは。私が一ヶ月近くかけて、無価値と卑下したくなる自分を騙し騙し、算数を一から覚え直すように、取り戻してきた「当たり前の日常」を当たり前に生きている。

今日は洗濯物を干せた。今日は簡単な自炊ができた。今日は新しい趣味を見つけられた。今日は三食食べられた。
これらのことを取り戻すのに、私がどれだけエネルギーを使っただろう。どれだけ薬の力を借りただろう。
それを、この人たちは、おそらくは、努力せずにこなしている。それも毎日————

ニンゲンって難しい

「生きる」という必修科目に、不可をつけられた私。朝出勤するサラリーマンは、生きることの天才だ。イチローが、他の人ができない努力を努力と思わずにできたように、天性の才能を持つ人はそれを頑張らなくてもできてしまう。

私は生きることを、二十四年かかっても習得できなかったのだろうか。
朝日に目を射られて、私は夜に逃げ込むしかない。

いつもありがとうございます。執筆のエナジーチャージのためいいなと思ったら「スキ」していただけると幸いですー(*'ω'*)