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ナチュラルに「おおきに」が交わされる土地ってやっぱりいいよねって話

一度は嫌った町

どうも苦手だった。野良猫のような縄張り意識というか、外から来た人間を見る眼差しというか。
地蔵盆。道端にあるお地蔵さんを囲んで、地域で催される小さなお祭りみたいなもの。京都では割と盛んらしい——らしい、というのも、私はよく知らない。参加したことがないからだ。
小学校の集団登校で、家の向かいの子らと一緒に登校した。すぐ近くに同級生もいたのに、私は地蔵盆に参加しなかった。
我が家と向かいを隔てる小道、それが地蔵盆を開催する単位としての「縄張り」の境目だった。たった一本の道で区切られた私の地区には子供は私しかいなかった。他の地区の地蔵盆に参加しようとすれば、お金が必要だと言われたらしい。
観光資源で生きる町らしく、外国人や他府県からの人々には愛想がいい。だけど、地域の人間とは、システムとしての厳格な縄張り意識が存在する町。それが、大学進学のためにこの町を出るまでの印象。

孤独と挫折

よくあることだった。勉強から学問へ。パズルを解くことに特化された「優等生」は、自分でパズルを作れない。問題提起から始める学問・研究で行き詰まった。やれと言われたことをやるだけでは済まなくなった。訳がわからなくなった。私の進むべき道を、見失った。
広島は修学旅行で一度だけ訪れたことがあった。それだけの町だった。私は東大に落ちた人間としての、負け犬のプライドを傘にきて鍛錬を怠った。
なんの疑いもなく父と同じような研究者になるのだと思っていた線路が、熱膨張で曲がり、私は脱線した。電車として効率のいいフォルムだけ研ぎ澄ませてきた私は、起き上がる術すら知らなかった。

就職……したはずだったんだけど

新卒入社してみたら、未曾有の疫病が世界を襲った。
傷を受けたら血がその傷を癒す。なのに、その血すら回らない。産業が死に、物流が死に、娯楽が死んだ世界が私の社会人として初めて見た世界だった。
第一志望の会社に雇ってもらえた。学生としてバイトで稼いだ額を優に超える額が口座に振り込まれた。研修は楽しかった。同期もいいやつばかりだった。
なのに何故?
原因不明の体調不良で有給が消えた。
夜に意味もなく涙が溢れることが増えた。
布団を握りしめて、朝まで寝られなくて、それでも出社したところで仕事は手につかない。
何かがおかしいと思ったら、やはり、メンタルがやられていた。
休職——夕飯をコンビニで買うためだけに外に出る、セルフ自粛の日々。実家に帰ることを勧められたが、当時日本中で県境をまたぐことが禁忌扱いだった。私は2ヶ月、孤独のままに過ごした。

ふるさととしての京都

移動への制限が緩くなってきた頃に、私は実家に帰省した。
温かい——レンジで温めた「冷たかったモノ」ではなくて、スーパーで買ってきた食材を鍋で煮た夕飯が出る。お風呂どうする?と聞いてくれる人がいる。
帰る場所、としての実家。その実家がたまたま京都にある。
——それだけで、終わるはずだった。
いつも行く商店街で、私のことを「もしや〇〇さんのお嬢さん……?」と見る目がある。
正月の度に、足つけ神事の度に家族で参拝した下鴨神社(賀茂御祖神社)があった。
美しい梅を見た、北野天満宮。
特に目的もなく入ってみたらめちゃくちゃ面白かった、京都大学総合博物館。
行ったことのなかった、護王神社。
私を受け入れてくれる、私にも開かれている京都が、そこにあった。
今日、私は髪を切った。
小さい頃から通った、シャンプーの気持ちいい美容室では、名乗らずとも私が誰かわかってもらえる。
「ここ置いときますねー」
「あらおおきにー」
そんなやりとりだったと思う。美容室のスタッフと、業者の方?が交わした何気ない言葉。
京都弁らしい、微妙に語尾を伸ばしたイントネーション。
あぁ、ここはどうあがいても私の故郷なんだ。
故郷としての京都を認められたことで、私も許してあげられた気がした。

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