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修羅場をくぐれなかったのは「メンタル弱かった」んじゃなくて、覚悟が足りず、戦略を考え抜いていなかったから

修羅場とは、事態のコントロールが自分の手から離れはじめ、他人の思惑や損得、保身、感情などに翻弄され、自分が追い詰められる状態を指す。修羅場では論理性の力(正しいか正しくないか) が減殺され、感情の力(好きか嫌いか) が増大する。つまり、修羅場の 原因 の多くは戦略系だが、その苦しさを 増幅 させるのは人間系、政治系の動きだ。

この一文は、「修羅場」に対する解像度を高め、打開へのヒントを与えてくれる。

確かに、あの苦しさは、人間系、政治系の「感情」によるもの。だけど、その原因は戦略系の「論理」にあると。

これは自分にとって、ひとすじの光。

人間系、政治系の能力を磨いても、苦しみは小さくなれど、根本的な解決にならない。その構造さえ、わかってしまえば、少なくとも先が「見えない」だけで、「先がない」わけではない。

解くべき問題を見つけて、解きに行けばよい。まあ、それが難しいんだけど、解けない感情の問題ではない。そのことがわかっているだけでも、自分はだいぶ救われる。

引用元は、今週3年ぶりに読み返した、こちらの本。

戦略プロフェッショナル」の著者、三枝匡さんが2002年に東証一部上場企業のミスミの社長に就任し、本のタイトルの通り、CEOとして12年間、同社の改革を続け、売上高4倍、営業利益5倍、社員340人の商社からグローバル1万人企業への高成長を果たしたストーリが書かれている名著。

ちなみに、本書が出版されたのが2016年の夏の終わり。ちょうど、自分が上場直前期に取締役になって半年過ぎた、修羅場のピークに読んだ本。プレッシャーに押し潰されそうだったあの頃のツラい気持ちをまた思い出しそうで、どうしても読み返す気になれなかったし、経営、という仕事からは離れたので、読み返す必要もなかった。

だけど、もう3年以上経つので、そろそろちゃんと向き合わないといけない。

陥っていたのは実力と覚悟の不足による「ポジション矮小化」

最初読んだ時、確かに成長企業あるあるだな、と思った箇所。

大事なとこなので、長めに引用しておきます。

せっかく大きな「ジャンプ」の機会を与えられても、本人がそれに応える実力を持たず、心の準備(覚悟) が足りない場合は、新しいポジションにふさわしい意識や行動をとれない。そういう人は、自分が直前までやっていた「下位の仕事のスケール感」を「新しい上位の役割」に持ち込んでしまう。新しい仕事本来の役割を自ら狭めてしまうのだ。  
それが「矮小化」である。そうなると、会社が抜擢人事を敢行してもその意味は本人によってかなり減殺されてしまう。そして、成長会社でそういう人事がたくさん発令されると会社のあちこちで矮小化した管理職が出現し、会社全体がチマチマしてくる。  
いったん《ポジション矮小化》にはまってしまうと、上からきつい指導を受け 続け ない限り、そこから抜け出るのは容易なことではない。なぜなら、本人も周囲もその矮小化されたスタイルが当たり前だと思い込んでしまうからだ。  
高成長のために組織拡大を迫られている会社では必ずといっていいくらいこの症状が進行している。もしあなたがいま成長企業にいて、会社が昔に比べてサラリーマン化したと感じているなら、かなり長期にわたって少しずつ《ポジション矮小化》が進んできた可能性が高い。

本部長になっても、営業部長の仕事をそのままやってたり、部長になっても、プレイングマネージャーをそのままやってる例は、痛いくらい多い。

当時読んだ時、自分のことだ、とは気づけなかった。今読むと、まさに自分のことだった、と気づく。

ポジション矮小化に陥らないための「覚悟」

この「ポジション矮小化」に陥らなかった人が、どうしていたか、について本書では、このように書いてある。

彼らは自分が背負った新しい任務を 正確に 認識して、自分の能力が足りない点が何かを自覚し、初めからそのギャップをしっかり埋める行動に出た。それが「覚悟」というものだ。
困難な状況のなかで彼らの覚悟を支えたのは、いずれも 謙虚に考え抜く 姿勢ではなかったか。それには経営リテラシーの高さとフレームワークが必要だ。それが明快なストーリーを生み出す。そのストーリーが周囲に伝わり、皆が熱くなってついていくのである。

背負った任務の正しい認識、足りない能力の自覚、ギャップを埋める行動、謙虚に考え抜く姿勢、経営リテラシーの高さとフレームワーク、明快なストーリー。

これれが具体的に何なのか、本書では、実際に起こったことを引き合いに、書かれていて、そういう視点で読むと、学びの宝庫。

経営者は「謎解き」が勝負

「この問題って、要するに、こういうことじゃないの?」  
このセリフを言う人は、リーダーシップを発揮している。リードとは「人より先を行く」という意味である。その人の説明は、重要な《因果律》だけを取り出しているので、「混沌」はかなり 単純化 されて「シンプル」になっている。それが核心を突いていれば、モヤモヤしていた霧が晴れて、皆が「なるほど、確かにそのとおりだ」と受け止める。
 名探偵ポアロと同じく、優れた経営リーダーとは、この「謎解き」を正確かつ速く行う人である。毎分、毎時、毎日、毎月、毎年、これをきちんとやっている人が強いリーダーである。

まずは、謎を解かないと、始まらない。

リーダー能力の切れ味は、「3枚セット」のシナリオをいかに的確かつ迅速に作るかにかかっている。《1枚目》は、複雑な状況の核心に迫る「現実直視、問題の本質、強烈な反省論」。《2枚目》は、《1枚目》で明らかにされた問題の根源を解決するための「改革シナリオ、戦略、計画、対策」。《3枚目》は、《2枚目》に基づく「アクションプラン」である。

これが理想、だけど、謎が解けていないうちに、アクションプランを作ってしまう、そんな毎日だった。

「走りながら考える」なんて便利なキーワードに逃げない

その時、便利な言葉は「走りながら考える」なんだけど、本書では明確に否定している。

優れた経営者は、この3枚セットを走りながら考えるのではなく、動きはじめる前に完璧だと思えるくらいまで考え抜く。そして、その3枚セットを社員に提示し、必要ならその作業のためにタスクフォースを組む。

考える、考え抜くって、本当にしんどい。一方で、自分は「考え抜く」ことで、それまでのキャリアを突破してきた、というプライドを持っていた。ゆえに、考え抜けていない、ということを認めたくなかったんだろうなと。

「勇気がない」とか「メンタル弱い」とか「器が小さい」とか「ダークサイドスキルが苦手」とか、全部言い訳してるだけ

これまで、自分が、経営者になりきれない、たぶん目指せない、目指すべきではない、適性がない、と思う理由として「勇気がない」とか、「器が小さい」とか、「コミュ障」、「メンタル弱い」、「ダークサイドスキルが足りない」などなど、1年がかりでnoteに書き連ねてきたけど、全部言い訳してるだけ。

覚悟が足りない、考え抜くのがしんどい。戦略甘い自分を認めたくない、そういう話に過ぎず、自分の未熟さを1年かけてnoteを通じて世の中に発信する、恥ずかしいプレイをしていたことに気づいた今日は、note記念日。

機能別の仕事を続けても、経営者には、なれない

「機能別の仕事を長く続ければ、それと同時に経営者人材としての技量も上がり、いずれは経営陣の仕事が待っている」という発想は、日本的経営の年功序列制度が生んだ重大な誤解である。  
もしあなたが経営者を目指すなら、経営者の仕事は独立した職業だと割り切り、遅くとも 30 代中ごろから先は、もっぱら経営者としての技量を上げる生き方を探さなくてはならない。

来年は、経営者として技量を上げる生き方に、きちんと向き合う覚悟。逃げんな。

戦略プロフェッショナル」もあわせて、年末年始にもういちど、ゆっくり読み返す予定。

あと、流れをぶった切ってしまうので入れられなかったけど、本書の中で、折に触れて読み返しておきたい概念を最後に付け加える形で引用。

椅子職人の悲劇  手作りの椅子をまるごとひとつずつ組み立て、それを自分で売る職人は「顧客満足」に敏感だ。だから技術やデザインを磨く努力を重ねる。ところが「分業」が導入され、工場で毎日、椅子の「脚」だけしか作らない作業者が生まれると、他の部品とピタリと合うように、規格や品質基準が重要になる。それに従い、作業者は機械のように働くことが重要になる。そうなると個人はモノ作りの楽しさから遠ざかる。顧客の不満にも鈍感になる。完成した椅子が売れるかどうかよりも、自分の賃金さえもらえればいいという人が増える。日本企業の大量のサラリーマン化は、これと同じ現象ではないか。

毎週note書いてます!

毎週書いてる、このnote「週報」ですが、初回が「2018年12月30日(日)から2019年1月5日(土)分」だったので、次回で、ちょうど丸1年になる。毎週毎週、一度も欠かすことなく書き続ける、という当初目標の達成まであと1回になりました。そして次回、感動の最終回!

※ちなみに、カバー写真は、拾った貝殻を海に向かって投げるうちの娘。

※今回は、12月15日(日)~12月21日(土)分の週報になります。


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