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「ほんとうに美味しいビール」がいつでも飲める喜びを知った

ビールは美味しい。どこでもいつでも、美味しい。

赤瀬川原平はビールの美味しさを100とすると、「80ぐらいまでがシチュエーションの力だと思う」として、残りの20を「ビール本体の固有の味にかかわる問題では」と書いている。これがウイスキーになると内容が逆になる。80が味にかかわり、20が氷や雰囲気といった力になるわけだ。ただ、ビールがその80をシチュエーションに委ねられるということは、僕はそれが「そもそも美味しい」というベースがあってこその話なんだろう、と受け取った。

こと居酒屋と呼ばれるところであれば、ビールを置かない店なんて日本中を探してもそうはないはずだ。どこにでも、何かのブランドのビールがある。サイダーやコーラはなくてもビールはある。まさに「国民酒」といっていいほどだけれど、日本におけるビールの歴史はそう深くはない。

キリンビールの前身である「スプリング・バレー・ブルワリー」が日本で初めて大衆向けにビールを醸造、販売したとされるが、それが1870年のこと。150年足らずで、ビールは日本の隅々にまで行き届き、日本人の舌と感覚と料理に馴染んできたわけだ。

ただ、それゆえにビールは「何だって良い」と思われがちで、むしろ100点満点を望まれないような飲み物になっている節も感じる。ビールはとりあえず出せるもの、とりあえず飲まれるもの、という位置づけは、幸せな日常がやがて当たり前になって軽んじられてしまうといった恋の時間の終わりのような寂しさがある。

だからなのか、たまに心から美味しいビールに出会えると、マンネリの解消というべきか、幸せの再発見というべきか、日常のビールが一層また煌めいて見えるようになる。身近すぎるがゆえに感じにくい幸せこそ、本当は時折そうやって確認する作業が欠かせない。

先日、オールドリキュールといって1950年代くらいのアマレットを飲ませてもらった。官能的でとろけるような甘さに、丸みさえ感じるアルコールの心地よさは、確かに極上の体験といえた。けれど、圧倒的に非日常だ。大切にすべきはやはり日常であり、日常の質を高めることで人生そのものの質も向上するはずなのだ。国民酒であり日常酒であるビールの美味しさを再認識することは、まさにその一貫といえる。

とはいえ、だいたいどこで飲んでもよいビールの美味しさを知るにはどうすべきか。これがワインやウイスキーなら赤瀬川原平の言うように固有の味にかかわる問題だから、それに詳しい人に聞くなり、手に入れるためにお金を費やしたりすればよいのだろう。しかし、飲ませるシチュエーションを重視するビールにおいては、やはりそれを作り出せる環境に身を置くしかない。

炎天下に飲む冷たいビールは確かに美味しいが、あれは「冷たい」ということに重心が置かれすぎている気もする。山登りや海遊びをしてほどよく疲れたところで開ける缶ビールはどうか。美味しいことには違いないが、アクティビティで心身が解放されつつ喉も乾いている、という飲み手側の影響が大きすぎやしないか。

そんなときに届いたのが、「キリンシティのビールの美味しさを知る試飲会に来ませんか」というお誘いだった。お誘いというよりは執筆のご依頼だけれど、もはやそれは仕事なのか学びなのか、こちらがお金を払うべきではないのか、と思いつつも二つ返事で出掛けていった。

ビールのことも、ビールのプロに聞くほうが早い。

達人ビアマイスターがお出迎え

キリンシティは、キリンビールが醸造する樽生ビールを初めとして、ウイスキーやワイン、カクテルなども取り揃えているビアレストランだ。1983年5月創業とのことで約40年の歴史がある。昭和バブル景気から平成の荒波を超えて令和まで、ビールと共に生き抜いてきた。

本社は八丁堀で、とあるビルの一階に収まっている。外観はそれこそ店舗のようで、営業しているのかと間違って入りそうなものだが、聞けばもともと実際の店舗だったらしい。自社なのに居抜き利用なわけだ。ビールサーバーなどもずらりと並んでいて、今日からでも営業できそうだが、部屋の半分は事務机がしっかり置かれて会社らしくなっている。横目にビールの存在を感じながらみなさんが働けていることに、僕なんかは素直に感心してしまう。

この日の試飲会は、キリンシティでも寄りすぐりの「ビアマイスター」が待っていてくれた。というのも、キリンシティは店員の誰もがビールを注げるわけではない。社内資格制度をクリアしてビアマイスターとならなければいけない上に、さらにランク分けもされている。

成り立てほやほやは「ブロンズ」からスタート。ブロンズは「一杯のビールを上手につくれること」が基準だ。次に「シルバー」で、複数杯のビールも美味しくつくれるようになって、ピークタイムなどの混雑時でも対応できる実力が備わっている。特に19時から21時はシルバー以上の有資格者でないとビールは注げない決まりになっている。そして「ゴールド」は後進の育成も担えるようになるため、店長やリーダークラスに必要というわけだ。

(←)山﨑香織さん(→)竹永聡さん

さらに、今回のビアマイスターは一味違う。キリンシティプラス新宿東南口で店長をしている竹永聡さんと、キリンシティ渋谷桜丘店で接客担当の山﨑香織さんは、共に社内の「ビール注ぎグランプリ」で栄冠に輝いたことがある。この大会は技術テストに加えて、ブラインドの官能テストでも競われ、渋谷、新宿、横浜などの8エリア予選を勝ち抜いた代表者で決勝大会が開かれる。優勝者には金一封が与えられるが、何よりも自らの技術を評価されることに大きな喜びがあるようだ。そして、この話を聞くと、ビールの注ぎ手によって実は「評価」が分かれるほどに何かが変わってしまうという事実にこそ、まず僕は驚いたものだ。

竹永さんは高田馬場店で5年間アルバイトをした後に入社。2014年、入社2年目の26歳で最年少グランプリを得た早熟の実力者だ。山﨑さんは新宿東口店で7年間アルバイトをしており、2019年にグランプリを得て、現在は渋谷桜丘店に勤務している。山﨑さんの前年もアルバイト店員がグランプリを獲ており、2年続けての状況に社員ビアマイスターたちはずいぶんと発破をかけられたそうである。いまは新型コロナウイルス感染症の都合で大会の開催は見送られているとのことだが、いつかその戦いの様子もぜひ見てみたい。


定番の「キリン一番搾り」なのに、知らない味わい

指折りのビアマイスター揃い踏みで、まずは看板商品の「キリン一番搾り」を注いでもらう。

キリンシティのビールは「3回注ぎ」が鉄則だ。1回目はグラスの中でビールを勢いよく回転させて泡で満たす。竹永さんの言葉を借りると「グラス内でビールを縦回転させて、蓋になるための泡」をつくる。2分から2分半後、泡が落ち着いたら2回目を静かに注ぎ、また待つ。そして仕上げに3回目を注ぐと、泡がこんもりとしたビールが出来上がる。泡が蓋の役目を果たすことで、ビールが空気に触れずに酸化を防げる。また「待つ」ことで苦味や炭酸がほどよく抜けていく。1杯にかける時間は「提供まで約4分」が目安だという。

ただ、一番搾りだけは味のリニューアルを経て、2回注ぎへ変更になった。「味わいに最も合うから」という理由は納得できるけれど、30店舗以上を運営する体制で、看板商品にかかわる全体を変えるのは、相当に意欲がなければ難しいはずだ。しかもサーバーも全店で専用のものに切り替えたというから真摯な異常さが伺えて好ましい。山﨑さんは「コロナで客足が落ち着いた時期だったのもあって、改めてトレーニングし直して特訓しました」と言った。グランプリ経験を持つ人でも特訓がいるくらい、注ぎ方の奥は深い。

実際、注ぎ手で味わいの特徴づけも変わるようで、竹永さんは「ビールをよく攪拌させて香りを高めたい」という意志がある。注ぐ液量などは全店共通の決まりがあり、注ぎ方も一定のルールはあるものの、ビアマイスターに委ねられる細かな部分が味の方向性を決める。キリンシティは30店舗以上あるチェーン店だが、注ぎ手で楽しみが変わるとするならば、ともすると個人商店にも匹敵するような面白さが潜んでいるように思える。

ちなみに、1回注ぎのキリン一番搾りを試飲してみたが、はっきりと酸味が立っていて快くはなかった。2回注ぎのほうが喉越しはしっかりありつつも、麦の旨さやスッキリ感がより表現されていて、明らかに美味い。この2回注ぎを知れば、飲みたい気持ちを堪えて、ぐぐっと待つだけの価値はある。

そうそう、帰りがけにあえて缶のキリン一番搾りを買って飲んでみたのだけれど、達人の2回注ぎがあれほどスッキリ飲めたのに比べて、缶は口のあたりにやや重たさを感じた(これはこれで普段は美味しいのだけれど、やはり別物なんだなぁ、というのが確認できた)。

2回注ぎに変わって嬉しいこともある。提供時間は従来の4分目安から「約1分」にまで短縮できたそうで、1秒でも早く飲みたい喉からすれば嬉しい変化だ。「キリン一番搾りはグラスも専用タンブラーです。飲む人の手の温もりなども考慮して、適温で提供できるように工夫しています」と山﨑さん。

コンビニでも酒屋でも「キリン一番搾り」は買えるが、たとえ中身が同じであろうと味わいと喉越しはまったく別物に感じる。「いつも飲めるから」という理由でキリンシティで「キリン一番搾り」を外すのは、実はもったいない選択なのだといってもいい。山﨑さんも「とりあえず、という感じでキリン一番搾りを頼んだお客様が、ゆっくりと味わっている姿を見ると嬉しくなる」と声を弾ませた。


毎日変わるビールの様子に合わせていく

さらに達人曰く、「ビールは冷えていれば良い」ものではないそうだ。冷やしすぎても味がぼけるし、ぬるければ飲み口が悪い。適温があり、それは日々によって変わってくる。キリンシティのビールは、樽ごと冷蔵庫に入れて冷やす。常温のビールを注ぐ際に急冷するサーバーが多い中で、手間暇もコストもかかる方式を続けるのは、創業以来のこだわりだ。

「毎日温度を測って、ビールと会話していますね。季節によってコンディションも違います。夏場と冬場で冷蔵庫の設定を変えますし、出勤したら提供する全種類の温度などをチェックします。違和感があれば理由を探って、いつも100%のものを提供する努力をしています」と竹永さんは話す。

竹永さんの話し方は、良い意味でもったいぶらず、それがさも当たり前であるかのように聞こえる。僕も「そうなんですねぇ」と返してしまうのだけれど、後からちゃんと確認してみると、それが全く当然とは思えない求道的な内容なので笑ってしまう。

思わず笑った話といえば、キリンシティのブレンドビールもすごい。「ブラウマイスター」と「一番搾り〈黒生〉」を合わせた「達人ブレンド」や、「一番搾りプレミアム」と「一番搾り〈黒生〉」でつくる「プレミアム ハーフ&ハーフ」などが用意されているのだが、それぞれのブレンド比率はミリリットル単位で決まっているという。

前述2つのブレンドビールでいえば、「一番搾り〈黒生〉」は共通しているが、それぞれで注ぐ量が違う。レギュラーサイズの「達人ブレンド」なら「一番搾り〈黒生〉」は90ml入れるが、「プレミアム ハーフ&ハーフ」なら75mlである。この配分を考え抜いた人が「75mlが最も美味い!」と実感して決めたに違いないはずだが、それにしたって作る側は大変だろう。大さじ1杯ほどの差も敏感になりながら、ピークタイムの戦場をくぐり抜けつつ、こだわりの一杯を出し続けないといけないのだ。

働き手から不満が出そうなものだが、ビアマイスターの矜持がそれを許さないのかもしれない。そして事実、ブレンドもたいへん美味しい。こればかりは家庭では再現しようがない、嗜好品のなかの嗜好品という感じがある。

△達人ブレンドの泡を横からじっくり見てみると、層になっている気泡の形が違うことが見えてくる。3回注ぎの成果の表れ。

「ビールサーバーから注ぐとき、コック(※持ち手の部分)をひねる角度で出てくるものが変わります。45度までだと泡のみで、90度まで開くと液体が出ます。ただ、そのとき樽の中に残っている液量、残存しているガス、それから温度でも感覚が変わるので、コックの開き方も変えながらベストなところを探しますね」……という安定の竹永さんクオリティの解説に、メモを取りつつも「こだわりが深すぎる」と唸ってしまう。

実際、僕もビール注ぎを体験させてもらった。事前にレクチャーは聞いて、メモを取っているはずなのに、いざサーバーの前に立ってコックに手をかけると、グラスの角度などを含めて考えることが一斉に湧き出てきて、注ぐことへの恐怖を感じる始末。どうにか1回目の注ぎを冷や汗かきつつ終えても、どのタイミングで2回目を注ぐかは自分の感覚に委ねられている。諸条件が異なるがゆえに、タイマーでピピッと管理できるわけもないからだ。

達人たちの手つきを必死に思い返しながら、2回目、3回目と注いでみるも、やはり泡の形や液量の配分など異なってしまった。味わってみても、炭酸の量や泡の触感など、どうしてもビアマイスターのものがより美味しかったと思えてしまう。

ビアマイスターはさらに多くの人数へ、同じように100%の美味しいビールを出そうと、忙しない店内や押し寄せる注文からのプレッシャーにも負けずにビールを注ぎ続けている。さながら、ゴルフの一打に込める集中力と、フィギュアスケートに備わる繊細さを併せ持った、ある種のスポーツ競技にも見えてくる。さまざまな観点から審査され、社内とはいえグランプリ制度が成立するのも納得できる話なのだった。


キリンシティで景色が変わった

さて、後日。このnoteを書こうと思って、参考になりそうな本を携えてキリンシティへ赴いた。「1杯のビールを提供するまでの目安時間は4分」と聞いていたので、それをこっそり確かめてみようという嫌らしさもあった。

14時に差し掛かる前の頃、渋谷桜丘店に立ち寄る(山﨑さんはこの日はいなかった、ざんねん!)。店内はランチのピークを超えた後だからか、落ち着きを取り戻した様子だ。カウンター席に座り、手元のタブレット端末からビールとおつまみを頼む。

そして、いじわるにもスマホでストップウォッチをまわす。はたして僕の頼んだビールは、たっぷりとした泡をたたえて差し出された。時間は、3分43秒だった。きびきびと働く店員さんの、胸に輝くシルバーのビアマイスターバッジが、なんだか頼もしく見える。

定番おつまみの「CITYポテト」は、フライドポテトとジャーマンポテトの間といった趣があり、薄切りながらホクホク感もある。一つずつが小ぶりなので、つまみながら飲むためのサイズも抜群。

“ご馳走ビールのためのから揚げ”と銘打たれた「ごちカラ!」はカレー粉のようなスパイシーさがすっと抜けつつ、鶏むね肉のしっとり食感を楽しめる、確かに合う味付け。箸もビールもすいすい進む。

参考になるものに出会えるのではないか、と出掛けに本棚から抜いた一冊を開く。不思議と、こういうときほど良い言葉との出逢いがある。冒頭でも引いた赤瀬川原平による文章だ。

舌と喉だけでなく頭だってビールを味わっている。右手だって、左足だってビールを味わっている。
オックスフォードのパブで飲んだジョッキの黒ビールはじつにうまかった。立ち飲みのカウンターで、ジョッキを持つ右手の感触も、バーに乗せた左足も、そのビールを一段とおいしくしていた。

──『美酒楽酔 飲めば天国』より赤瀬川原平「初級ビール学入門」(p.204,205)

キリンシティの店内を見回すと、試飲会でレクチャーを受けるまでは見えてこなかったあれこれの工夫や、目の前にあるビールに込められたこだわりの数々が、手や足を伝わって頭にも届いてくるようだった。ごくり。また一口飲むビールは美味しく、爽やかに体へ落ちる。

カーン、という大きな金属音が外から聞こえた。渋谷桜丘店の外では、この地域の再開発工事が進んでいる。僕とビールの向き合い方も、キリンシティが再開発してくれたのだ。追加で頼んだ達人ブレンドは、3分52秒でやってきた。


体験会のことは、こちらでも(視点がちがっておもしろいです)。


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