# 2    論語による人生観

毎年冬が近づくと、高2冬の受験講習会を思い出す。
当初は音大を目指してなかったが(というか、日本の音大を4つしか知らなかった)、なんとなく勧められて参加。
東京の某私立音大で5日間くらい寮生活しながら講習を受けた。それが、今ではとてつもなく良い思い出になっている。
そして、ハ長調って何?という所から、これがきっかけの1つとなって、1年でピアノ専攻生になっているから、人生恐ろしい(笑)

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超内向的な音楽家の生い立ち

恥ずかしくて避けていたのですが、自己紹介を急に書く気になったので取り組んでみます。でもやっぱり恥ずかしいので、いらすとやさんの力を借ります。

幼少期から内気でとにかく独り言が多かった。
想像力がわりとあったため、一人で遊んでいても誰かを脳内に登場させているので
「誰としゃべってるの?」
と母に本気で心配されるも今もその癖は健在。

恋愛にはこの頃から興味津々で、家にあったシンデレラのビデオは何度

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貴方の記事も読ませて頂きます!
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#1 音楽と美と思想

初めての投稿ならば、やはりプロフィールに書いた【音楽×中国思想×哲学(中国以外の)】をすべて絡ませた題材を取り上げたい。
 そう思っていた矢先に、良い題材をラジオで見つけた。テーマは「美を感じる心」。
一通り聴いたうえで、今回はそこから派生して、音楽と美と思想とを関連させてみたいと思ったので綴ってみる。もちろん、これは多面的なものの一部にしかすぎないので注意!

①思想家と音楽
「あなたの尊敬して

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冷風扇

那須にある我が家には「エアコン」というものが存在しない。
 本当に「暑い」と言うのは年間せいぜいで1週間ぐらい(だった)から前オーナー(伯父・伯母)も無用と判断して付けなかったようだ。

 だがこの数年、以上な暑さが続き、涼しいと言われたこの地方でも年間10日ぐらいは中々過ごしにくい日が出てきた。
 たかだか10日間のためにエアコンを付けるのも如何なものかと考え、家内と話し合いの結果「冷風扇」を購

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表方と裏方

音楽家やら芸能人、ラジオパーソナリティなど人前に出る職業を選んだ人たちと言うのは、自ら課した決まり事がいくつかある。一番大切なのは「穴を開けない」事だが、それは必須として、実は「どんな事があっても、人前に出るときにはお客様を安心させる顔でなければならない」と言うのが大きいと思う。

 プライベートでどんな事があっても、一旦幕が上がったらお客様に満足していただくパフォーマンスを提供する、それが表方の

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昭和という時代

先日北海道の知人宅にLPレコードを頂きに行ってきた。知人の亡くなったお父様が生涯かけて集めたその数は「ここは放送局のライブラリか!」というほどの量であった。音楽を生業としている私も知らない作品も多数。相当なお金をつぎ込んだんだろうなという感想とともに「これらを聴く時間的な余裕があったのか」という驚きもあった。

 私が子供の頃(昭和40年代)には同級生のお父さんもどんなに遅くても夕飯時には多くの人

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「音楽×発信力」で未来を切り開く。音楽×◯◯を考えるオンラインコミュニティ #plusLaboを運営してきて

音楽に好きなことや得意なことを掛け合わせた活動を研究するオンラインコミュニティplusLabo(ぷららぼ)を立ち上げもうすぐ1年になる。

この一年、研究というようなかっこいい名前で呼べるかわからないけど、音楽に「発信力」を掛け合わせていろいろなことにチャレンジしてきた。

僕の「発信」の定義は好きなことや得意なこと、面白そうなことや自分がチャレンジしてみたいことを声にすること。

頭の中にあるア

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わー!ありがとうございます!
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ドレスコード

かつてオーケストラプレーヤーは、夜のコンサートの時、男性は「燕尾服(腹帯は不可、白のチョッキのみ)、黒のエナメル靴、黒のストッキング」女性は「ノースリーブの黒のドレス、ピンヒールの靴」と結構厳密に服装指定されていた。また、腕時計など腕に装飾品は不可とされていた。駆け出しの頃腕時計を付けたまま舞台に上がろうとしたら酷く叱られたことがある。

 燕尾服はデパートでしか作れない時代が長くあり、35年前で

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Humble me More -創作の悲哀

曲をつくることは悲しい。

昨今、今年中にまとめたいと願っているアルバムの曲をつくったり、また録音したりしている。

1曲目に入れようとしている曲は、ギターで書いた雨の曲だ。雨がどれだけ、人を(というかわたしを)謙虚にしてくれるか、歌っている。

弾きながら口をついて出た言葉をそのまま歌詞にしたのだが、
いま改めて聴くと、あらゆる後悔が織り込まれている。もっと心地よく、寛容でいられたのに。堂々とで

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親父の金言

私の父は今考えると実に変わった人だったと思う。演奏家であった父は私が中学1年生の時に「音楽家になりたい」と言った時に「学年で成績が3番以内になったらやらせてやる。ただし、勉強してもいいのは一日2時間まで、それ以上勉強してはならない。その条件で3番以内には入れ。」であった。

 普通の親なら何時間でも勉強しろというのだが、我が父は2時間以内と決めてきたのだ。私は『絶対に音楽の道に進ませたくないからそ

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