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祖母とのバトル

久しぶりに祖母の話です。

私は好き嫌いの激しい子どもでした。好き嫌いが激しいだけでなく食も細くガリガリでした。初孫で女の子ということもあり、祖母は私を猫かわいがりしていましたが、食が細いのはどうしても許せません。

なぜなら「自分の作る料理は世界一」だからです。こんなに美味しいものをどうして孫は食べないのか、不思議で仕方なかったらしいです。

ただ、近所の医者に「1食の量が少ない子がいる。そういう場合は1日5食とか少しずつ分けて食べさせれば良い」と言われてから孫の小食は受け入れたようなのですが。

ガリガリでなにも食べないためすぐに風邪を引きます。1食の栄養価を高めるため、祖母が選んだ食材は「納豆」でした。

素晴らしい選択です👏
私も祖母の立場なら納豆を選んだでしょう。

しかし私は納豆が大嫌いでした。

納豆のネバネバと香りがどうしてもだめだったのです。
今は平気で納豆を食べていますが20歳を過ぎるまで納豆を食べることがどうしてもできませんでした。

祖母にとっては納豆は最高のごちそうです。
そこで毎日、

どうして食べないんだよ!
臭くなんかないよ!

と、納豆を出し続けたのです。

どうしても納豆の香りに近づくことができません。
指先にネバネバがつこうものなら悲鳴をあげる状態です。

ネバネバ嫌いのためトロロ・オクラ・ナメコもダメでした。粘り気のあるものがとにかくダメだったのです。今では喜んで食べていますが、当時の私には粘り気のある食材はNGでした。

「はそやmの偏食放浪記」より
粘り気のある食べ物は根性がつくんだよ!

とまで祖母は言いだしましたが、根性などいらない!と泣き叫ぶのでとうとう、

「おまいなんて江戸っ子じゃないよ!」

と叫んだのです。
これにはカチンと来たのでしょう。

ホントに食べれないとこ見せてやらあ!

となり納豆のかかったご飯を一口放り込み、苦手な納豆の香りを口に充満させました。そして、

オロロロロロ~🥶

「なにすんだい!」

との祖母の叫び声が聞こえたのまでは覚えていますが、後の記憶は全くありません。阿鼻叫喚の地獄絵図に記憶も拒絶反応を示したのでしょう。
ただ、納豆を口に含んで「無理ぃ!」と思ったのは覚えています。

それ以降、私に納豆を無理強いすることはなくなったので、私が食わず嫌いで食べなかったという汚名は晴れたのですが、当時の自分に会えたら祖母の代わりに「食べ物を粗末にするな!」と頭をはたきたいです。

あの時の納豆さんとおばあちゃん。
本当にごめんなさい。
今は何でも食べています。

納豆を吐き出したのが原因か根性のない女に育ちましたが、好き嫌いだけはなくなりました。好きでない食べ物も出されると無言で食べます。食べ残しをせず常に完食。

人間て不思議ですね♪


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