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海外に行ったほうがうまく行く人ってどんな人だろう

何となく自分がそうなんじゃないか、という気がしている。けど、本当に海外に行ったことがあるわけではない。印象論でも記録に留めておいて、留学を終えた後に心情の変化を振り返る栞にしようと思う。

客観的に見ると、私はうまくやれているほうなのだろうと思う。基本的に学校の勉強は人類トップ0.01%くらいにはできるほうだったし、人に言うと羨ましがられるような会社に就職できて、会社でもまあまあ要領よく仕事をこなして成果も出してきている。

その一方で、これまで人生で躓いてきたところがどこなのかというと、客観評価じゃなくて人の裁量によって選ばれる仕組みが介在するたびに、悉く運が悪い結果に見舞われてきていたように思われる。

実際問題として、20代の初めから30代に入るまでずっと海外留学や海外勤務・出張を希望してきて、一度も行ったことがないのは、多額の投資をして人員を海外に送る側である日本の学校・企業からコンスタントに選ばれなかったからのようにも思われる。日本にいるより海外にいたほうが幸せな人ほど、日本会社・学校で優秀である必要がある海外勤務者には選ばれづらい、なんていう機会費用上の矛盾はことはおこってないだろうか。でも、どうすれば自分がそういう「機会費用損失者」であるとわかるんだろう。良い見分け方はあるんだろうか。


英語に堪能で、かつ日本人限定で対人関係で苦労しているなら、おそらく海外に行ったほうが幸せなんじゃないか。

英会話に嵌る人ってこのパターンがそこそこある。日本人相手だと、普通にしているつもりでも相手からなんだか違和感を持たれてしまい、友達ができにくい。英語で話しているコミュニティだと、その時点で多様性に対する受容性が高いことが担保されるので、その「違和感」が邪魔することは無く、普通に友達もできるし、楽しいのでどんどん英会話が上手になる。

英語で蓄積した語彙や会話パターンから形成された人格が日本語のそれと異なるのは良くある話だけど、英語人格のほうが人づきあいが得意だったりするなら海外に行ったほうがいいと思う。第二外国語のほうが親の言動から受ける無意識の影響は少ないし、自分で選んだ友達からのコピーを繰り返したものなんだから、第二か国語の人格のほうが能動的に自分で選んだ自分の行動・人格パターンと言っていいくらいだ。

カタコトだから嫌な奴である(例えば人の気持ちが全然わからないとか)ことがばれないので英会話コミュニティにいるタイプもいるけど、かなり少数だと思う。

ジェンダーローリングにうまく当てはまらなかったら、おそらく海外に行ったほうが幸せなんじゃないか。

たぶん、あなたが主婦志望であったり、日本の保守的なジェンダーローリング上でうまく分類できる役割が身にそぐうなら、あなたは日本にいたほうがいい。もしそうではないなら、海外にいくか、多様性のある環境で働いたほうが自分の得意なことを活かせるのじゃないだろうか。

女性で英語が話せたら、自動的に便利な秘書の役が割り振られて、その枠に嵌らないと能力がないことになる。

私は英語が話せる。そして女性だ。この二点の記号が合わさったとたん、会社の人たちは決まって同じことを言う。英語が話せて女性であるという以外は他に共通点が一切ないもう一人の名前を挙げるのだ。実をいうと、私の採用面接にあてがわれたのも、その「もう一人」だった。圧迫面接だったけど、言っていることは整合的で、理詰めで、背筋が伸びており、唯一きちんと面接用の部屋を設けて対応してくれた面接者だった。そして、私と性格や能力分布で似ているところなど英語の一点のほかは一切なかったし、似ていると思われることは彼女にとっても非常に、非常に不本意だったのではないかと思う。なんだか避けられてたし。

実をいうと、会社の役職が高い人から面と向かって言われたことがある。「若い女性だと、若い女性として認識上括ってしまうから誰が誰なのか覚えられない
この人はごく正直だっただけで、本当のところ、いまだに幹部が日本人男性ばかりの職場だと自然の反応なのだろうと思う。見分けられないのだ。自分と同じ生き物と思っていないし、見分けることが重要であった経験がないから、野良猫を三毛か黒猫かでしか見分けられないように、見分けられないのだ。いや、たぶん顔と年代と体形は見分けていると思う。ただ、能力や性格で見分けようとすると途端に認知の限界になるのだ。

「この技術が使えて、男性で、国立大学士で26歳か、良し、専門技術を教えて海外派遣も視野に入れ、じっくり育てよう!」
「英語が話せて、専門性の高い特殊技能が使えて、事務能力が低くて、女性で旧帝大修士で26歳か、良し、秘書だ!」

「カタコトの英語話せて、人柄が穏やかで、事務能力が低くて、旧帝大修士で男性で40歳か、良し、難しい海外との交渉担当にしよう、大役だ!」
「英語が話せて、軽度だが自閉症スペクトラムの診断書が付いていて、難関資格を持っていて、女性40歳か、良し、秘書だ!」

私に限ったことではないが、人事のブラックボックスから出てくる内示は、なんだか異常にサイコロの目が偏っている。現在社内で発生している専門・高度技能職と支援職の性別的な偏りをランダムなサイコロで実現しようとすると、天文学的な確率の低さになって笑ってしまうほど。

男性で化粧が好きだったり、女性で化粧が嫌いなど、見た目ですぐわかるようなジェンダーローリング上の不適合があったらもれなく「変な人」になる。

そうなのだ。私は化粧が苦手で(単純に面倒くさいし化粧した顔に違和感がある)、普段は最低限のベースメイクとリップで済ませていて、髪も染めていない。初対面の日本人に仕事を当ててみて、というと、「専門技術職?」「芸術家?」とか言われる。つまり、化粧が薄いと初見で「変な人」にカテゴライズされてしまうのだ。外国人コミュニティだとそんなことは起こらない。平均的な日本人女性の20%くらいの外見改善への努力・配慮でも、外国人から見たらめちゃくちゃ身ぎれいにしている人になるので、むしろ見た目は好印象だ。

逆に、化粧が大好きなトランスジェンダー女性に会ったことがある。プログラミングの講習会の教師で、すごくわかりやすくバージョン管理システムを教えてくれたし、おそらく化粧無だったら雑誌のモデルになりそうな容姿の方だった。けれど、日本人女性一同からはもれなく遠巻きにされていた。たぶん彼女たちの脳内で、「オカマはバラエティドラマに出てくる世話焼き」以外のプロトタイプが存在しなかったため、そこに嵌らない人が現れてしまい、どんなにその人の能力や容姿が良かろうとも「変な人」にカテゴライズされてしまってそこですべてが止まったんだろう。きっと女子友達作ろうと思って無料の講習会の講師なんてやってたんだろうにな。私?話してみたら絶対いい人だと思ったけど、見た目がイケメン過ぎて緊張してしゃべれんかった…一緒にスイーツ食べて技術トークや女子トークする友達になれたかもしれないのに、もったいなかった。

上司や同僚の背中に「でてけ」っていう字幕が見えていたら、おそらく海外に行ったほうが幸せなんじゃないか。


あと、こんなことは言いたかないけど、常に字幕がみえていたのだ。30%くらいの男性の同僚の背中から常にこの字幕が生えていたのだ。ジョジョの背中に生えている「バーン」と同じくらいでかでかと、「で て い け」って書いてあったのだ。字幕に書くだけで言わないのは、その主張に正当な根拠がないからだろう。行き場のない本音が心のなかに渦巻いたまま私に接していたから、それが私には字幕となって見えている。この人たちは、気に入らない同僚を追い出すのが上手だ。例えば気に入らない部下に敢えて地雷原のような(そして上司の上司からはそれが見えていない)役割を割り振って、上手に失敗させて追い出す。最近では、この字幕を信じることにしているので危ない罠は避けられるようになったけど、若いころは進んで突っ込んでしまっていたこともままあった。これは今の会社に限らず、学校や前の会社でも経験した。
女子高時代は不思議とそれがなかったし、今に至るまでの「でていけ」字幕を背負った女性との遭遇は1-2回なので、私は日本人男性からヘイトを買いやすい何かがあるのかもしれない。めちゃくちゃ優秀な女性の友人も似たようなことを言っていたので、女性で、本来女性が得意ではないとされる分野で頭角を出すと叩かれる、ありがちパターンなのかもしれない。
海外の人で同じ字幕を背負っていること?あるよ?でも日本人ほどの遭遇頻度じゃないし、いても上手に隠せないので、本音がところどころどうしても出てくる。そうなると、「それって差別だよね」と声を上げて解消することができるようになる。でも、外国人の上司がいた経験はない。どうなんだろうな…。

おおらかな性格で、細かい事務作業が苦手なら海外に行ったほうが案外楽なんじゃないか。

うん。私はたぶんこれだ。日本の企業ほど細かい間違いを作らないこと、見つけられることが評価される場所はないんじゃないかと思う。

普段定時で帰って年に1-2回は数週間のバカンスを楽しみたかったら、おそらく海外に行ったほうが幸せなんじゃないか。

言わずもがなである。とはいえ、ただ単に楽な生活をするために慣れない場所に移って、言葉も学ぶ努力するのであれば、楽するために努力をすることになってしまい本末転倒だろう。他にもそれなりに海外に移ったほうがよさそうな要因があって語学の勉強や留学など考えているなら、このファクタも視野に入ってくる。


思いつくままに心当たりを書いてみたけど、実際どうなんだろう。日本人で「この人は海外に行ったほうが良いんじゃ…」という例や、逆に日本に来て水を得た魚のようになっている外国人からいくつか共通する特徴を引き出しているけど、果たして正しいのかはわからない。日本だけ、と思っていることが海外でも同様に起こるのかもしれないし、そもそも海外と十把一絡げにしてしまうのが間違いなのかもしれない。

いずれにせよ、国によって文化や慣習、価値観がそれぞれ異なっていることはある意味幸福なのだろう。だって、ある国では「合わない」人も、別の国に行けば心のふるさとになる場合だってあるのだ。紛争や金銭的な問題による移民問題が緩和された後になお残る移民は、おそらくより自分の本来の性質にあった文化を探す旅なんじゃないだろうか。きれいごとすぎる夢かもしれない。


来年の今頃には、「日本が一番自分に合ってる!」って言いきっているかもしれない。ふんわりした期待と、現状への認識を留める栞として、ここに書き残しておく。

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