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生きることの価値観が変わったあの日

昭和が終わりを告げようとしていた1980年後半、彼はまだ10代の子どもだった。

世の中のことなんて知らない、当時、彼の興味は音楽や友達、恋愛にオシャレぐらい、もちろん勉強することを怠ってたわけでもない。

10代特有の悩みもそれなりにあったと思う、他愛もない悩みだったかもしれないが、子どもにとっては成長する中で、誰もが通る道なのかもしれないが。

当時の彼には、目の前に存在するものは当たり前の世界であって、家族と家、友達に学校、食べたいモノを食べ、着たい服を選ぶことができる、見たい番組があれば見ればいい、ゲームしたいならすればいい。

今で言うところの「ウザっ」っていう言葉。

10代の頃、彼も同じようなニュアンスの言葉や、感覚が常にあった。

つまりは反抗期、特に両親に対しての反抗心を強く持っていた彼は、家族団らんを極力避けるようになり、自分の部屋で過ごすことを好むようになっていった。

あの時両親はどう感じてた?気持ちは?我が子に対して反抗期だな、くらいに思ってたのだろうか。

数十年後、彼が子を持つ親になった時、そこで初めて自分の両親がどんな気持ちで家族を養ってたのかを理解するようになるが、10代の彼にわかるはずもなかった。

あの日も何気ない日常が始まった。

いつもの朝、学校へ行くまでのありきたりなルーティン、朝は和食、母親はキッチンで忙しく、父親は新聞に目を通しながら朝食をとっている。

特に会話するわけでもない、テレビの中の時報を確認しながら朝食を済ませ、準備が整うと無愛想に「行ってきます」を告げ家を後にした。

学校へ行くのは楽しかった。

勉強よりも友達とおしゃべりできる時間、彼にとっては一番大事だと思ってた時間であり、一分一秒でも長くこの楽しい時間を過ごすことができればいいと願った。

ほどよい充実感で帰宅した。

家には誰もいないことが当たり前だったが、彼にとっては煩わしさのない至福の時間であり、誰にも邪魔されることなくとにかく自由だ。

子どもながらに最高だった。

あの瞬間までは。


父親が亡くなった。

あまりにも突然の別れ、テレビの中の世界なのか、はたまた夢なのか、自分の周りで起こることと受け入れることができない。

今朝、新聞を読んでた姿が目に焼き付いてる、24時間経った話じゃない、たった数時間前の出来事のはず。

人の死に向き合うことは初めてではない、祖父の時にも経験していたが、まったく状況も心情も異なる、彼の中でこれは現実なんだと理解するまで、心を整理するにはあまりにも時間が足りなかった。

両親をウザいと思ってた。

とりわけ父親に対しての嫌悪感が強かった彼だったが、あの喪失感は言葉では表現することはできないくらい悲しみは次第に増幅していく。

涙が止まらない。

どんな慰めの言葉も、優しく肩を抱えてくれる手も、喪失感と悲しみが和らぐことはなかった。

父親の死で、彼は大きな後悔を背負うことになる。

何一つとして、親孝行できなかったこと、反抗期であったことを盾に言い訳したくない、もっと話できることがあったはずなのに。

時の流れは残酷かもしれない、彼と残された家族は、父の死を過去のこと
として受け入れ、悲しみは次第に思い出へと変わっていった。

ただ、彼にとって父の死が、生きることに対しての価値観や、家族への思いを大きく変えたことは確かだ。





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