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見果てぬ夢、見続ける夢

昨日は3月11日。
震災当日の14時46分を境目に人生が変わってしまった人がたくさんいる。ワタシに出来ることといえばあの日を思い返し、思いを寄せることぐらいだろう。そして今を生きているワタシを内省する機会にもなっている。

ワタシの父のこと。
亡くなってから17年の月日が経過した。ガンが発覚し転移していると宣告されてから3ヶ月程で亡くなったのだが、それまでの1年間の彼の行動がなんとも言えない気持ちにさせることばかりだった。従兄弟たちの集まりに参加したときは思い立ったように自分の母校やゆかりのある場所を巡ったそうだ。そしてガンがわかる前にさっさとお墓を買っていた。

寿命が近い人って何かに突き動かされるのだろうか?

ワタシは当時実家を離れて暮らしていたので、そんな彼がさっさと準備したお墓と対面するのは葬儀当日となった。

「夢」と、たった一言が墓石に刻まれていた。

え、なんだこれ?
驚きやら感動やら色んな感情でぐちゃぐちゃになったが、はっきりしていたのは夢という言葉にどんな想いを乗せたのか誰もわからないということだった。ワタシは似ている故に父とはしょっちゅうぶつかっていたのだが、そんな積み重ねが家族との距離の取り方を下手にさせたのかもしれない。残念ながらワタシも人との距離を測るのが下手なところが似てしまった。

現在ワタシは父と同じ医療の世界で働いている。17年たった今でもお父さんにはお世話になっていました、と頭を下げられることが多い。若い時は〇〇先生のお嬢さん、という記号をつけられるのが嫌いだったけど、今は気にならない。むしろ記号を背負って生きていようと思う。「夢」の続きを歩ませてもらっていると信じて。

………………

小野美由紀さんの「“書く私”を育てるクリエイティブ・ライティングスクール」に参加してみました。今日のつらつらは「私のかたち」という今月のテーマに沿ったものです。かたち、形、型、色々思いを巡らせました。今の私を因数分解したら過去の経験、今の仕事、好きな食べ物、音楽、言葉とキリがなく分解できますが、親の存在なくしてこの世に形ある存在となり得ていないので、これをはずすことが出来なかったんですよね。いつかテキストに残そうと思っていたことでもあったので。
3.11のタイミングで書いたこともあって文が重たくなりました。次はゆるい話を書きたいなぁ。ワタシは作家さんが書くゆるい感じのエッセイやコラムみたいな読み手をふっとほぐす文が書きたいのかもしれません。

#日記 #エッセイ #つらつら #書くこと #家族


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