「セッティング」を見つめる②

 演奏とは表現であり、「良い演奏」とは、定義は様々であるが「純度が限りなく100%に近い自己表現」と言っていいだろう。純度を高めるためにはストレスなく音を出すことが必要最低限の条件ということになるが、ではその「ストレスなく音を出す」ために何が必要かということを考えると、やはりセッティングを見つめ直すことが非常に重要になってくるのである。普段の活動の中でその時間を設けられないのなら、無理やりにでも時間を作った方がよい。一切演奏の練習はしなくてよいから、全てのパーツについてとことん向き合う時間を設けた方がよい。きっと、1,2時間はあっという間に過ぎてしまう。

 演奏において、楽器とは客体ではなく主体の一部でなければならない。これは「身体の拡張」という表現で以前に述べたことと近しいが、すなわち純度の高い自己表現=演奏のためには、楽器をも自分の身体の一部として取り込まなければならないということである。「血を通わせる」という言葉があるが、あれは言い得て妙であり、自分の手のひら、指先、足先―そこから先、いわば外界との境目を溶かしてスティックやペダル、ビーター、ひいては楽器、そして音の残響が止むその瞬間までに、意識を行き渡らせることが重要なのである。


 上記のことをなす=ストレスなく音を出すためには、鍛錬のみならず、「セッティングが自分にフィットしている」というのは必要不可欠な条件と言っていいはずである。アスリートが、身に着ける衣類や靴などにとことん拘るのと似ている、いや同じと言ってよい。衣類と言ったが、普段我々が着ている衣服でさえ、快適性を求めるならばジャストフィットしているのが理想なはずである。あえてルーズな服やタイトな服を選ぶことはあるが、それはそれより先んじて自分にフィットするサイズがどのようなものであるのか、を把握しないことには始まらないアレンジなのである。

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