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人の振り見て、我が振り「許せ」だったのかぁ・・!

夫は、何かにつけてドヤる。

「俺の下で働きたいって、部下に言われちゃってさー」
ドヤっ( ̄▽ ̄)

まぁ気持ちもわかる。
ただ、素直に嬉しいと言えばいいのになーと思う。

うんざりするのは、子どもの頃のスポーツ自慢。
義実家へ帰る度に、義母や夫から聞かされ、
うざいを通り越して痛々しかった。

私たち人間は劣等感が強い時ほど、
とっくに色あせたような昔の杵柄を
とうとうと話す習性がある。

と言い切るのも、私自身がそうだったから。
だから、痛いほどわかる。

「人は自分の映し鏡」とは、よく言ったもので。

「人の振り見て、我が振り我が振り直せ」も、またしかり。

だから、
そんなドヤり夫のうんざりするたび、
我が身を正そうと努めてきた。


そうしてある程度までは、
我が振りを直すほど夫のドヤリも減ってきた。

けれど、あるときから低迷期に突入。

ダイエットで何やっても痩せない!
みたいな低迷期。

外ではもちろん
友人といるときも家族といるときも
ドヤらないよう気をつけていたのに。

なんなら、自分のことを話すより
なるべく人の話を聞くようにしていたのに。

もうこれ以上
どう気をつければいいのか
どう頑張ればいいのか
わからなくなった私は、

これはもう夫の問題なんだ!
と思うようになった。


自分の都合いいように、例外をつくった。

全面鏡に見えるけど一部分だけはガラスで
ほとんどは私の美しさを写してるけど
醜く見える部分は
鏡である夫の部分が透けて見えているだけ。

みたいに。

(我ながら、エゲツナイ自分都合。笑)


だけど
写し鏡はもちろん、全面鏡。

自分が気にならないところや
何とも思わない部分は
自分を写しているわけではないけれど。

見た中で気になるところや
「醜いわー、あぁはなりたくないわー」
と感じる部分は

紛れもなく自分の中の何かを写している。

その視点で自分と向き合おうとするものの
もうワカラナーイ!
夫のモンダーイ!

そんなふうに思うほど
夫のしょーもないドヤリ癖が
ますます目につくようになった。

違う人がやったら
可愛いなーと思えるようなことも
流せなくなってきた。


たとえば
夫は辛い料理が好きで
食べるたびにドヤる。

「俺は、このくらいの辛さなら平気」
ドヤっ( ̄▽ ̄)

「おまえには辛いかもだけど、食べてみる?」
ドヤっ( ̄▽ ̄)

うざい。
うざすぎるぅ。。。


つきあいたてのデートで、
一緒に辛いものを食べた時ならわかる。
そんなやりとりも、楽しい( ̄▽ ̄)

けれど
結婚して20年以上もの連れに
毎回言われるのは
ウザさしかない。

私は、体質的にとうがらしが合わず
控えていることを何度も伝えているのに
それでも繰り返す夫に

若年性認知症を疑うようにすらなった。

けれど、
ウザっと思っている私がいるってことは
私の中にある何かに反応しているってこと。

なのよねぇぇ。。。

頭ではわかっても
呑み込みたくない抵抗感( ̄▽ ̄;


そんなとき
「イヤだわーと思うところは、自分にもあるって気づくだけでいい」
という話を耳にした。

『気づくだけでいい!直そうとしなくていい!』

『自分も本当はそうしたいと思ってるよねー
そう気づいて
そんな自分も許してあげたらいいだけ!』

『なんなら、自分もしちゃえばいい♪』

身体さんたちが教えてくれたこと


えぇーーー?!
どーゆーことーー??@o@

いやいや、それはダメでしょ??


初めは意味がわからなかったけども、
そこからアレコレ試していくうちに
とあることに気づいた。

自分にやっちゃだめ!と許せてない上で
「しない」のと

自分にやってもいい♪と許せている上で
「しない」のとでは

ストレスや心の状態が雲泥の差だった!

自分に「しない」を強いていると
「している」人が目につくし
イライラ・ザワザワしちゃう。

一方で

「してもいい」と自分に許せている上で
「私はしない方が好きだからしない」と
ストレスがない。

している人を見ても
「へーあなたはしたい人なのねー」
と捉えるようになった。


その上で
楽しいから聞きたいなーと思ったら
聞いたらいい。
つまらないと思ったら
何か言ってみたり離れたらいいこと。

それでも、
相手がどうするかは、相手の自由で。


「私、ドヤりたい?」と
初めて自分に自問したときは
ドヤリたくない!と思った。

「ドヤったら人に嫌われる」
と思っていたから。

自分に許せていない状態だった。


そこから
「ドヤりたいと思ってもいいし
そう思うみみっちぃ自分も許していいし
なんならドヤって嫌われてもいい!許す!」
とブツブツ唱えてみることにした。


どれだけ気を付けても
何をしても
嫌われるときは嫌われるし
言われるときは言われる。

私もそうだけど
それぞれが捉えたいように捉えて
感じたいように感じて
言いたいことを言うだけなんだよね。


しばらく「許す!」を唱えていたら
いろいろな気持ちの奥から

本当は私もドヤりたい・・
私もすごいんだなって思いたい・・
本当は嬉しかった!て隠さず言いたかった・・

なーんて気持ちもポロポロ見えてきた。

無いものとしていたショーモナイ一部も
自分だと認められたら
少しだけ、なんとなく
受け入れてもらえたような感覚。

このままでも存在していいんだよー♪
と言われたような気分。

自分の中だけの話だけど。笑

そこで改めて、自問。

「ドヤってもいいし
ドヤらなくてもいい。
私はどうしたい?」

すると、出てきたのはNO。

以前の
「ドヤるような人間にはなりたくない」
とは少し違ったNO。

「ドヤっちゃってもいいよねー。w
だけど、したいとは思わないかなー」
という感覚。

私は
自分だけじゃなく
一緒に過ごす人も楽しめた方が
私も幸せを感じられる。

だから
自分のためにも
相手に楽しくないことは
したくないなーって。

だけど
嬉しかったことは
素直に表現したらいいと思うし
自分にも思う。

嬉しかったー!って
素直に言ってる人を見ると
素敵だなぁって思うし
私もハッピーな気持ちになる^^

尊敬している人が
しょうもないことをドヤっている姿は
それはそれで可愛いなぁとも思う^^

だから、ドヤってもいいけど
しなくてもいいかなーって感じのNO。


そんなことに気づいて
嬉しさも素直に出すようにしたら
夫のドヤりも減り
素直に嬉しと話すようになってきている。

気のせいかもしれないけど。笑


ドヤる姿が魅力的だなー!と感じる人を
目にすることも増えてきた気がする。

そういう人はたいてい
嬉しさも素直に表現している。

素敵だなぁ^ ^


私ももっと素直に出してこー!


最後までおつきあいくださり、ありがとうございました!

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