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私の中の『設定』を変えたら、息子に起きることが変わった!?

なんでこんなことばかり起きるんだろ・・
なんで私はいつもこんな目に遭うんだろ・・

そんなふうにボヤいていた人生を
観察・分析・引き寄せ実験して見えてきた
こじらせ7パターン『こじらせ神7』

前回の記事ではこじらせパターン1つ目
『オーダー間違い』についてお届けしました。


前回の記事はこちら↓


今日は、それに続く2つ目です。


びび吉の十八番こじらせパターン2つ目は
こちら ↓( ̄▽ ̄)



②.オーダー以前に”設定ミス”をしていた


この世界は
本心からのオーダーなら
どんなオーダーも全て叶えてくれる
『神業レストラン』のようなところ。

と聞いたとき、以前の私は
何言っちゃってんの?と思っていました。


本当に叶うっていうのなら
この現実も私が望んでるってこと?!
望んだ通りに叶えてくれるなら
こんなの絶対に頼まない!!!

と思っていました。


怖いですね~
我ながら負のオーラ通り越して
殺気すら感じます( ̄▽ ̄)w


けれど
引き寄せ実験を繰り返していくうちに
痛感しました。

この世界は
『本心から望んだことが叶う』以前に
『本心から信じていることが叶う』


料理(体験)のオーダーは
間違えていなかったけれど

”そもそもの『世界設定』や『私の価値の設定』を
好みと違うものにしていた”
という凡ミス。


自分では、
設定してるつもりなんてなかったけれど

「これが常識だから」
「そういうものだから」

思い込みを疑いもせず生きて
バッチリ設定できちゃっていたようです( ̄▽ ̄)


「そんなのイヤだ!!」と
頭や心で思っていても

もっと深いところで
”そういうもの”と思っていたら
そっちが叶っちゃうことを痛感( ̄▽ ̄;


というか
そういうシステムであることを
わざと忘れて悶絶あそびも楽しんでいた

ようです( ̄▽ ̄)


なぜって

「ヒマほど苦痛なものはないし
悶絶あそびした後ほど
対極にある悦びが倍増するから( ̄▽ ̄)」


潜在意識を掘り下げていくセッションで
私の口がシャーシャーと言ってました。

初めは驚いたけれど
ふり返ると腑に落ちることばかり。


試しに設定を変えてみたら

起きる出来事も
変わっていきました。

たとえば。

・息子がいじめに遭う


息子が度々いじめにあったときの
私の中にあったメイン設定は
『世の中には加害者と被害者がいる』
でした。

(*私の場合です)

何かの事件が起きたときに
加害者と被害者を分類する感覚
というより

当時の私は
『私が辛いなら相手は加害者』
という偏った感覚に近かった気がします。


そんな設定の心深くにあったのは
私のずる賢さ。


頭や心では
被害者にはなりたくないと願いつつも

被害者でいるうちは
環境や誰かのせいにできるからラク~( ̄▽ ̄)

と腹の底で思っていた私もいました。


被害者になる辛さより
そのラクさの方が上回る美味しさに
すっかりハマっていました。


脳内で人をジャッジしまくるから
人目が怖くなり
勇気出すことのハードルが無駄に上がるし

超ナマケモノで
「自分は動きたくない・誰かに幸せにしてほしい」
と思っていたから( ̄▽ ̄)


白黒思考や
『良い人じゃないと攻撃される』

みたいな思い込みも絡んでいました。


それから
『心配するのが親の役目・愛情表現』
なんてのも。


心配するのは
親心や愛情があるからで、

心配性な実家の母も
かわいいなぁって思います^^


だけど

心配されるより
信頼して見守ってもらう方が
子どもも人も成長しやすい。


失敗から痛感して
自分の中の設定を少しずつ
変え始めました。


世間にとって正しい設定に
ではなく
私好みの世界観に沿った設定に。

『この世には色んな子がいて
どんな子にもいろんな側面がある』


『悪い面に見える資質の裏側には
必ず良い面もある』


『一見、意地悪に見えることも
仲良くしたい方法がちょっと歪んでるだけ
ということもある』

『かわいそうに見える体験も
イヤだ!と意思表示する練習のチャンスを
もらってるということもある』


『周りの先生が助けてくれない体験も
助けて!と自分で意思表示する練習チャンスを
もらっているということもある』etc


そんなふうに
私の中にあった思い込み設定を
私が惹かれる世界観にマッチする新たな設定に。


すると
見え方・感じ方がだんだんと変わり

やがては息子の身に起きる現実も
変わっていきました^^

息子が意地悪やいじめを受けなくなった
というより

息子に嫌がらせや意地悪する子たちがいても
結局はたいてい仲良くなっちゃう
みたいなパターンに変わっていきました。


他にもあったのは

・子どもが先生に恵まれない

 
 息子が幼稚園のころ。

先生が年度の途中で辞めてしまったり
先生の目が届かなくてトラブルが続いたり
なんてことが続いていたとき。

私の中に

『子どもの集団生活が
豊かなものになるかどうかは
環境や先生次第』

そんな設定があったことに気づき、チェンジ。


『どんな先生との出会いも経験。
社会にも合わない人はいるし
合わない先生との時間すらも経験!』

という設定に変えたら

評判よくない先生でも
息子や私が学べたことがあって
結果オーライに。


設定を変えると受け取り方も変わるから
当然ちゃぁ当然ですよね。笑

面白いもので

「次年度は良い先生に当たりますように!><」
と切実に願っていたときより

地域でも評判の愛にあふれた先生方とのご縁が
増えています^^


そうなったら嬉しいけれど
そうならなくても
それはそれで豊かな体験になるから
どっちでもいい^^
 

執着を手放すと
スルスルっと入ってくるから
面白いですね~^^


こんなこともありました。

・子どもがトラブルばかり起こす


息子が小学生だったころ。
菓子折り持って
お詫びに行かなくてはないようなことを
息子がやらかし続けたことが。

その時の私の中にあった設定は

『我が子のやらかしを詫びるのが親の役目』


肝っ玉母ちゃんに
憧れてたところもあったように思います。

「この子は子どもの頃やんちゃで
アチコチに頭さげまくって大変だったのよー笑」
と話すお母さんに憧れてました。

ドシっとした在り方への憧れもあったけれど

”そこまで母業やれたら
少しは自分のこと認めてあげられそう”
と劣等感を埋めたい発想もあって。


それに気づいてから
劣等感は自分で手放すことにし

母としての役目も
自分がやっていて楽しいものに変えました。

と同時に

どうせなら
罪悪感で交わるより
感謝で菓子折もって行く交わりの方がいい!
と自分の好みをセレクト。


息子のやらかしでお詫びに行った先方が
みなさん
本当に懐大きい愛ある方ばかりだったのが
すごく印象的で。


ともすると
ひっそり引きこもりがちな私を
息子のやらかし通して人の温かさに
触れさせてもらった気もして。


お礼の挨拶に伺うのも
引きこもりがちな私はドキドキしちゃうけど

感動・感謝いっぱいで
菓子折り持って行きたくなる『やらかし』なら
ドキドキするけど嬉しいなぁと^^


そのあたりの設定も変えたら
息子がやらかしてお詫びすることは
だんだんとなくなり

代わりに
息子に良くしてくださった方への感謝から
菓子折り持ってお礼に伺わせていただくことや
お礼のお手紙を書かせていただく
そんな出来事ばかり増えてきています。


ありがたや~^^


どちらの体験も
良い悪いや優劣はなく
貴重な体験。


けれど

設定を変えるだけで
見え方も感じ方も
起きる出来事の質も変わってくるから
面白いですね~^^


最後までおつきあいくださり
ありがとうございました!

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