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【倒木 三部作 2】六本木倒木事件

「木には本当に申し訳ないことをしたと思っています。ちょっとやさぐれただけです。ただ、悔いはありません」

大島は、静かに目を閉じた鳩子と机の上で涙を流すピンクのマスクを交互に見比べた。

(久々に、筋金入りハードコアなの来ちまったな。ん? それにしてもなんだこりゃ)

大島は目をこすった。
朝の取調室は静寂に包まれ、目の前に座っているはずの鳩子が透き通っていくような、そこにいるのかさえ分からなくなるような錯覚にとらわれた。

イガグリ ダッフンダ』が発掘され、六本木のクラブからオファーを受けた鳩子はあれから少し書き足し、ラッパーデビューを果たすことになった。
イントロと共にスケボーで登場した鳩子に会場がどよめいた。ピンクのマスクをかぶったその姿に、客同士が顔を見合わせ、そこかしこから笑い声も聞こえる。
鳩子が吟じ始めると、ざわめきはやがて歓声に変わり、終盤に差し掛かると会場のボルテージはピークに達した。

Naughty Naughty Chesty Nutty
Nutty Nutty Chesty Nutty
Naughty Naughty Chesty Nutty
Nutty Nutty Chesty Nutty
Naughty Naughty Chesty Nutty
Nutty Nutty Chesty Nutty……

鳩子は吟じながらそそくさとスケボーに乗った。
徐々にフェイドアウトしていくエンディングが大歓声に埋もれる。

バシャッ

ステージを横切り、袖に向かう鳩子の頭にドリンクのカップが当たった。飲み残しのコーラが飛び散り、この日の為に新調したMikeマイクTシャツが茶色く染まっていく。

痛っ!

痛い?

痛くはないな。
でも何だろう、この気持ち。
落ち着け鳩子。
曲がり過ぎながらも物書きじゃないか。
ちゃんとこの気持ちを表現するんだ。
これはアレか? いや、似ているが違う。
だったらコレか? いや、それとも違う。

客席を振り返ると、ドレッド男が中指を立てている。

ブチン

堪忍袋の緒が切れる音は、いつの世も変わらない。

鳩子はスケボーを下りた。ステージも降りた。
すると、フロアに渦巻く人の海が真っ二つに割れ、ドレッド男へと続く真っ直ぐな一本道が現れた。急なモーゼの出現に、周りの客が息をひそめて成り行きを見守る。
鳩子は男の前に立った。
「てめえ客に向かって、説教垂れてんじゃねえよ!」
「Tシャツ汚れたじゃん。ごめんなさいは?」
「うっせんだよ! 毬栗坊主ってなんだよ!」
「いや俺毬栗坊主だし、別にいんじゃね?」
怒鳴るドレッド男を、近くにいた坊主頭の男が止める。
「どう意味だよ! 答えろ!」
「自分で考えろ」
「ああ? てめえ、見ねえ顔だな」
「マスク被ってんのに何でわかんだよ」
「ポッと出がイキってんじゃねえよ!」
「お前ほどじゃねえよ。てめえのことは棚の上か?」
「なんだお前、やんのか?」
「やってやるよ。表出ろ!」
ドアの方を顎でしゃくった鳩子の胸ぐらをドレッド男が掴んだ。鳩子はビュンとはたき落とす。
何度も言うが、この日の為に新調したMike Tシャツの襟が伸び、シワまでできた。
「Tシャツ伸びちゃったじゃん。シワシワだし。ごめんなさいは?」
「なんなんだよ、お前!」
「お前がなんなんだよ。触んな」
今度は腕を掴まれ、鳩子はブンと振りほどく。
「え? つええの?」
ドレッド男が後ずさる。
「やんだろ? 外で待ってるよ」
すたすたとドアに向かう鳩子を見届けて、ドレッド男は仲間数人とヒソヒソと話し始めた。

「こっち5人だけど、やんの?」
ドレッド男は仲間を従え、大通りの街路樹の下で待つ鳩子に聞いた。
チビ女じゃん。ちょろくね? あたしやろっか?」
へそ出し女がにやりと笑い、街路樹の根元に唾を吐いた。
「男3人に、女2人? 一人でやれねえの?」
鳩子が一歩前に出る。
「うっせんだよ!」
「ビビリ?」

ドスッ

鳩子のハイキックが街路樹に放たれ、重い音が響いた。
太い幹がメキメキと鳴り、5人めがけて勢いよく倒れ始める。

ズシャーーーン

「ギャーーー」

逃げ遅れた女2人が、木の下敷きになった。腹部を直撃されたへそ出し女の顔が苦痛に歪む。
「やべーよ、コイツ」
連れの一人が逃げ出した。
「おい! 待てって!」
もう一人も逃げ出し、ドレッド男も走り出した。

「待て! 毬栗坊主!」

そう呼び止められても、待っちゃいけない時がある。

連れの二人は早々と脇道に逃げ込み、逃げ損ねたドレッド男だけが大通りをひた走っていく。
背後に迫る鳩子の足音に振り向きもせず、ドレッド男は咄嗟に街路樹の後ろに身を隠した。鳩子がすかさずその木を蹴ると、ドレッド男めがけて唸りを上げて倒れていく。間一髪のところでなんとか避け、ドレッド男はまた走り出す。
「やべえ! まじやべえ!」
逃げるドレッド男に街路樹が次々と襲い掛かり、ドーン、ドーンと街が揺れ、ドレッド男はすれすれでかわしていく。
轟音とともに六本目の木が倒れ、ドレッド男はとうとうその下敷きとなった。
駆けつけたクラブの外国人バウンサーが、二人がかりで鳩子の両腕を押える。
“Don’t even think about touching me!”
鳩子がブンと振り払う。
“Easy! Easy!”
バウンサーの一人が必死になだめる。
“What about this is easy? Tell me!”
“Just easy, you know!”
“Like what?”
鳩子が二人を睨みつける。
“……like Sunday morning, perhaps?”(注1)
“It’s Friday night”
“Gee……”
“Don’t even utter the first letter. This is nothing to do with him”
“OK, ma’am”
バウンサーの二人はお手上げポーズで肩をすくめ、変わり果てた大通りを見渡した。
「この毬栗坊主! ごめんなさいしなさい!」
倒木の下で白目をむくドレッド男に吐き捨てて、鳩子はスマホを出し、110と打ち込んだ。
「事件ですか? 事故ですか?」
「不届き者です」
「えーっと・・・・・・、不審者ですかね?」
「六本木に不届き者が5人います。ある程度やっときましたんで、あとはよろしくお願いします。あとステージの紙コップも、ちゃんとこいつらに片付けさせて下さい」
一方的にそれだけ告げて通話はブツリと切れたが、すぐにクラブからも通報があり、捜査員が現場に向かった。
捜査員が現場に着くと、倒れた木の前にひざまずき、女が手を合わせていた。


玉夫は東京行きの始発に乗り込んだ。席に着き、スマホを出してネットニュースを開いた。

昨晩11:30頃、六本木のクラブ吟遊園地ラッパーランドで、出演者と客の間で何等かのトラブルが発生。大通りで乱闘の末、倒れた街路樹の下敷きになった客の男女計3名が重軽傷を負い、搬送先で治療を受けている。自称物書きモドキと名乗る女(年齢不詳。本人はForever21永遠の21歳と主張)は、計6本の街路樹を倒したことを認め、倒した木への謝罪は口にしたものの黙秘を続けており、警察は現場に居合わせたクラブ関係者や客から事情を聞くとともに、防犯カメラの映像の確認を進め、慎重に取り調べを続けている。なお、通行人の巻き添えはなく、現在倒木の撤去が行われている。

玉夫はスマホを置き、過ぎ去る車窓の景色を目で追った。
夜11:30なんて、いつもならもう寝てる時間じゃないか。
ああ、またうちの鳩さん誤解されてる。永遠の21歳フォーエバー・トゥエンティワン』は鳩さんの十八番おはこのギャグだし、黙秘してるんじゃなくて瞑想に入ってるだけだって、刑事さんに教えてやらないと。このまま誤った報道がされ続けるのは、あまりにもフェアじゃない。
自然を愛する鳩さんにしてみれば、木を倒すより輩を蹴るほうが簡単だったろうに、あんなにボサッとした鳩さんが我を忘れてしまうなんて余程のことがあったんだろう。
ああ、鳩さん、どうしてボディーガード雇ってもらわなかったんだ。まあ、次はそうしてもらうとして、それより何より、妻の晴れ舞台に立ち会えなかったことが悔やまれる。
ああ、なんで俺はこんな時に出張だったんだ。

品川駅のホームに降り立つと、つがいの鳩が落ちたサンドイッチをせっせとついばんでいる。

「惚れたお前が悪いんだ」

雄鳩が顔を上げ、ポッポロロと鳴いた。

警察署に着くと、大島と名乗る担当刑事が待っていた。
「ご迷惑おかけしてます」
玉夫は深く頭を下げた。
「旦那さん? 来てくれて助かった」
梃子てこでも動きませんか?」
「そうなんだよ」
「やっぱりそうでしたか・・・・・・。素直なところもあるんですけどね」
「ありゃ、むしろ素直過ぎるのかもしれん。それから、ポケットから街路樹の葉っぱが出てきたんだけど、集めてるの?」
「ああ、落ち葉やなんかですよね。しょっちゅう拾ってきます」
「なるほどね。これだけは渡さないって言い張るもんだから。こっちも押収するつもりはないんだけどね」
「きっとお気に入り見つけたんだと思います」
「もう一つだけ教えてくれる?」
大島は玉夫の顔を覗き込んだ。
「なんでラップだったの?」
「それはたぶん本人もわかってません。神のみぞ知るです
苦笑いの大島につられ、玉夫も眉尻を下げた。

取調室に通されると、鳩子がポツンと座っていた。
「鳩さん!」
玉夫の声に気づき、鳩子が目を開けた。
やっちった。I DID IT.なんちって」
鳩子が肩をすくめる。
「よくやった!」
ああ、我がうるわしの鳩さんが無事でよかった。
最近怪我ばっかりしてたからな。
「また足痛めたって、刑事さんから聞いたよ」
「うん。さっき湿布もらった」
鳩子は腫れた足でフラフラと立ち上がった。
「鳩さん、あの曲は誰かに提供したほうがいいかもしれないね」
「そうだね。どっかに物好きいるといいね」
頷く鳩子を、玉夫は強く抱きしめた。

「おいおい、こっちはとばっちりだよ」

机の上のチューバッカが鳩子の涙で頬を濡らし、枝が引っかかった額をさすった。

半年後、吟遊園地の脇には倒された街路樹を祀った慰霊碑が設置された。
小さな石碑に献花が絶えることはなく、やがて吟遊詩人ラッパー達の聖地となった。
その後も多くの吟遊詩人ラッパーが『イガグリ ダッフンダ』をカバーし、あの夜のことは全国各地で伝説として吟じ継がれ、鳩子はいつしか世紀の一発屋と崇められるようになっていった。

合掌

『続・六本木倒木事件(仮題)』へつづく

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注1 Commodoresの“Easy”もいいが、Faith No Moreによるカバーもいい。日曜日の朝と言えば、Maroon5の “Sunday Morning”もよい。


潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)