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コンビニもない島だけど、東京よりも「なんでも」あると思った話

私、今、島にいる。人口2,000人ちょっとの小さな島。コンビニも、電車もなく、最寄り駅は『別府港』。手をあげたらバスが止まって、バスの運転手さんに「おはよう」といってもらえる、そんな島。

島に住んでいる、と東京の人に言うと「なんもないじゃん」とか「無理だわ~」みたいな反応が返ってくる。

なんもない、らしい。

「なんもない」・「不便」。これらの言葉を噛み砕くと、「ほしいもの・必要なものが、手に届きにくい状態」といえる。確かに、コンビニ弁当もない。服屋さんもない。百均もない(136円均一はあるけど)。居酒屋もない。レストランもない。

でも、それって、本当に欲しいもの?心から欲しい?どちらかというと、欲しいと思わされていたり、時間の節約になるから仕方なく買ってるだけじゃない?

コンビニ弁当がない?

ある日の弁当

自分で弁当を作る時間。そしてそれを海を見ながら食べる時間。そんな時間が島にはある。
職場の先輩方は車5分で家に帰って、お昼ご飯を食べて、30分くらい寝てるらしい。休憩時間1時間が濃い。

服屋さんがない?そんなに、服買う?
安いから、で買って1回も着ない服よりも、心からときめいて買った服のほうが「本当に欲しい」ものじゃない?
それって、半年に一回くらいでいいんじゃない?

100均は、ない。あると便利だけど、百均の瓶より、Amazonで買った少し高い瓶のほうが長持ちして、結局安上がり。

居酒屋、レストランがない?正直、外で食べた後家に帰るの、憂鬱じゃない?
突然魚がおすそわけされて、どんどんレパートリーが広がるこの島で、自分の「居酒屋」を、自分と大切な人たちのためにしたほうが、「本当に欲しい」ことが手に入るんじゃない?

東京では、窓から綺麗な海が見えない。港の海は汚い。お金も、時間も、全部、「なんとなく」で消費して、便利なようでいてなんにも持っていなかった。

起きたら目に入る、毎日表情が違う海。おすそわけされる、サザエ、イサキ、ワカメなどの海鮮。晴れている時の、山の青っぽい影。曇りの時の霧がかった山。日々繋がっていく素敵な人たちとの出会い。

無駄な物は、ない。本当に欲しいものがそろっている。

6月の終わりに東京に行く。東京も好きだけど、少し憂鬱だ。ただ、会いたい人に会うために、そして、自分がどうしても諦めきれない仕事をしに行くだけ。

身の回りにあるもの、一つ一つを丁寧に選び取り、自分で作り上げる島の暮らしを忘れないでいれますように。


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