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第43回「イタリア縦断記 その11」目指せニューシネマパラダイス 豪華フェリーの珍道中

ソレントからナポリまでは車で1時間。フェ―リの出発時刻は夜8時だが、車の積み込みなどがあるので2時間前の6時までに到着しなければならない。

だから余裕をもって3時にはソレントを出た。早く着いたらフェリーでゆっくりすればいい。ナポリはヴェネツィアの半額くらいでカフェも安い訳だし、慣れてきた南イタリアを堪能しながら憧れのシチリアへの想いに浸るなんてのもいいなと思っていた。


ところがどっこい。バカンスシーズンの南イタリアを舐めてはいけなかったのだ。1時間のドライブの予定は二時間以上かかり、ナポリに着いた時は5時を回っていた、やばい…。市街からフェリーターミナルまでの道も混沌としている。ただこれ位のことは想定内だったし、様々なトラブルにも弘樹たちはもう慣れっこではあった。

だが、そこからが難解だった。まずはフェリー乗り場へのルートが分からない。ターミナルエリアは想像を遥かに超えて広く、その入口さえなかなか見つからなかった。標識も怪しいもんで、「もう、入口は通り過ぎてしまったのではないか」と僕らはぐるぐると行ったり来たりする。

焦れば焦るほど不安は増していく。鉄道事情でも少し触れたが、イタリアの交通機関は、必ずしも予定通りの場所から発着するとは限らない。直前で場所を変更したりすることもありうる…。そんな最悪の事態を想像していたのハンドルを握る僕だけでなく、助手席の日奈子の額にも汗が滲んていた。

時計の針は六時まであと十分まで迫っていた。直観で「ここしかない」というポイントで右折し、フェリーエリアへ突入する。そこからも道はまだまだ続く。

どれがシチリア行きの船なのか、その乗り場は一体どこなのか。日奈子に何度も事前に予約した書類を確認してもらった。けれど、そういった詳細まで親切に書かれてはいない。

 そうだった、ここはイタリアなのだ。そして、ナポリ王国時代はそもそも海洋国家だったじゃないか。今だってギリシャやスペイン、マルタやアフリカのチュニジアだってシチリア経由で行ける訳で…。そりゃあ、フェリーもたくさん周航しているはずだ。

 日本国内であれば僕ら夫妻はフェリーで島に渡ることに慣れてはいた。全国トラベル夫婦選手権なんてものがあれば、トップレベルにランクインされる自信すらあるのだけれど、そういう驕りが良くなかった。

予定の六時は過ぎていた。もうどうにでもなれ、そう思って車が多数並ぶ所にFIATをつける。シチリアに行くにはここでいいのか?

と周りの人たちに聞く。念入りに本当かと、イタリア語と英語を使って繰り返し確認した。

 すると、どうやら合っている…らしい。
遅刻してしまったけれど、まだ大丈夫なんだろうか。
親切なシチリア人らしき夫妻が身振りを交えて「大丈夫よ。シチリアは美しいところよ」と、うちの子供たちに話しかけてくれていた。車両の長い列はゆっくりとフェリーに乗り込む作業を進めていた。この時ほど、イタリア人の「時間に対する寛容性」が有難く思えたことはない。

 

そこから幾つか不明な手続きを経て、七時半を回った頃だろうか。ようやくキャビンに辿り着いた。幼い子供たちの為にベッドのマットレスを床に降ろし、寝床をセットしたところで弘樹たちはそのまま布団にへたり込む。二人はそこで同時に、ふぅと大きく溜息をついて顔を見合わせた。

「なんとかなったね」と日奈子が言う。「うん、これで君の誕生日もお祝い出来そうだよ」と弘樹は返す。すると、初めてみる船のベッドで遊んでいた息子たちも「ずるーい」と言わんばかりに隣にダイブしてきた。きゃはははと無邪気に笑う子供達につられて、皆で意味もなく声を出して笑いながら「今夜の我が家は、この上等なお船だぞー」と弘樹は宣言した。

 フェリーには、シアターやカジノ、カフェやレストランだけでなく、ジャグジーなどもあるらしい。イタリアでは定番のキッズの為の遊び場も充実していた。

小さなケーキを四つ。家族でお祝いをした。
キャビンに戻り電気を消して少しばかりみんなで今日を振り返った。眼を閉じてくすくすと笑いながら語っていると、我が家っていいなと感じた。どこにいても、船の上だろうとも、このメンバーが揃えばどこでもマイホームになるのだと。

 一時間ほど過ぎた頃、密かにチェックしておいたバーへ弘樹は日奈子を誘い、部屋を抜け出す。ワインを二杯ずつ飲み交わすだけの、深夜の小さなデート。改めてお誕生日おめでとうと伝えると、日奈子からもおめでとうと返ってきた。

「夢がまたひとつ叶うね、ヒロ」と。

「うん、ありがとう」
明日の朝には「夢の島・シチリア」に僕らは到着するんだ。

 

(いよいよ次回、シチリア島到着に続く)


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