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日記:やりたいことがあるのにできない話


どうも、はじめまして。
そこらへんのアラサー下っ端会社員です。

祝日は休みである仕事に就いているのでほっと一息自分の今の状況を整理するためにnoteを書いてみました。

現状把握大事だよね。
私は今の自分の状況がよくわかってません。

ただただ、重い体を毎日振り絞るような気力で起こして、重い足を上げて仕事に行く。
そして仕事が終わったら帰宅して飯風呂済まして
寝る。

そんな毎日を繰り返しています。
実につまらないと思います。
てかこのご時世そんな人ばっかりなんじゃないかなと思ってます。

ひとまずは社会人からの今までをまとめていこーぜ。

学生〜社会人初期ぐらい

車とかバイクが趣味だった私は大学時代もタイヤを転がして遊んでた人です。
学生時代から音楽をやっていたので軽音サークルは入ったものの、自分のキャパを超える以上のことは完成度が低くなると思い、バンドを断ったら始まった仲間はずれ生活。
そんなこともあり、裏切らないのはエンジンだなって大学時代に中型二輪に腰を砕かれ、小型二輪免許を取得。
「お前に中型なんて乗れねえよ」と教官に言われたのが悔しくて他の教習所で無事大型二輪を取得。

乗り物に関しては捻くれてるやつもいるし、またオーナーを忘れられない癖付きもいる。
ただ根気よく付き合っていけばいつか分かり合える。自分にとってバイクや車はそんなものだと思う。

そんなこんなで就職して、希望職は叶わなかったけどガキの頃から『新しいことに挑戦する』ということが好きだったので配属部署で頑張る。
OJT制度があったため、1年先輩に面倒をみていただき、わからないなりに頑張った。
他の先輩たちも可愛がってくれてたと思う。
仕事をやる中で、自分を非力に思って悔しい思いをすることもあった。
でも人のためになってるや、誰かの役に立っているやりがいを自分の中で感じることができていたと思う。

2年目も同じ配属先。
今までと同じように頑張る。
ただOJT制度でお世話してくれていた先輩が異動してしまったので『頑張らなきゃ』という意思は強かった。
他に先輩もいたし、力を借りながらこなしていけてた。
しかし、なるべく自分の力で乗り越えられる部分を増やさなきゃというプレッシャーはあった。
後から思うとこの時から職場での口数は少しずつ減っていた気がする。


3年目ぐらい

3年目になった。2年目に思っていたプレッシャーは確実な物になった。
今までよりも大きい仕事、現場で起きる予期せぬ事案、そして何よりもキーになったのは『コロナ禍』ということ。
新型コロナウイルスが流行った年だった。
自分の職場でもたくさんの方が感染して、ほぼ職場に行けなかった時期もある。
(職場閉鎖的なもので)

だから、何よりもコロナ禍がしんどかった。
家で持ち帰れるものを読むことしかできない。
現場から連絡があっても状況把握が容易ではない。
職場では一担当者では判断が難しいこと、イレギュラーなことに対して上司や先輩の力を借りていたが、そんな連絡をしても状況の又聞きになってあまり伝わってなかった気がする。
就職時からいつの間にか育ってしまった『責任感』によって、自分の経験にない決断が精神を蝕んでいった気がする。

職場でのコロナによる影響が解かれ、みんなで復帰をすれば止まっていたものが一気に動き出し、一気にやることが増えた気分だった。
自分の意見を持って計画を立てれば他のやり方での指図をされる。
少し前までは自分で決断しなきゃ行けない状況があったのに、なぜ今はこんなにも意見されるのが腹立たしいんだろう、なぜこんなにも私の意見を理解してくれないんだろう。
そんな人の意見によって自分の計画以上の時間がかかり、尚更落ち込んだ。
聞き入れなきゃよかったのか?

その日以降やりがいを感じていた、忙しいなりに日々学べていた仕事に対して動けなくなってしまった。

なんなんだこの無気力。
なんでこんなに涙が止まらないんだろう。
行かなきゃ行けないのに起き上がれない。
自分はもう仕事ができないのだろうか。
一気に心を突き刺してきた不安に襲われた。
もう何にも連絡したくなくなり、上司に休みを伝えた。
そのうち行けるようになるかと思った。
無理だった。
精神科に行ったら『適応障害』と診断され、そんなにメンタル弱かったっけな。
私の何がそうしたんだろうと思いながら1ヶ月療養。
根っからの仕事大好き人間だったから仕事できないのも辛くて俗にいう病気休暇から1ヶ月で職場復帰した。
震えながら職場復帰してそのストレスから唇全体にヘルペスができてアオブダイみたいになってたww

上司が考えてくれた職場内異動で私に負荷のない仕事。
周りも見守ってくれる優しい上司たち。
最初は挫けた後すぐだからこんな仕事できるのかなって不安になった。
新しいことに挑戦する』ということが苦手になったことを自覚した。
そこから4年目までは平穏に、自分に無理をさせないように過ごせた。


4年目ぐらい

また復帰後たくさんのことを学ばせてくれた上司が異動した。絶望感。
しかし心強いけどちょっと苦手かもなってタイプの上司がきてくれた。
仕事的にとても助かった。たくさんのことを学ぶことができた。急成長にはつながった。
より今の仕事が好きになった。
いいきっかけを沢山くれたけど心をまた動かすことがあった。

その上司と仕事をするようになって半年、
とてつもなくデリカシーに欠ける一言を言われた。
さすがに心無いことを言われても、例え仲間はずれにされても傷つかなかった心が傷ついた。
自分も「えぇ〜!!!こんなことで自分傷心する?まじ???」って思った。
何よりも私以外に対しても失礼な差別的な内容だった。そのことについては怒りのが強い。
人間性ある?篝火に捧げてきたの?
Bonfire litでもしてきたの?
こんな考えの人と仕事したくないな、これ自分の子どもが言われたらどんな気持ちよ!?!?
と思って思わず娘がいる友達に相談した。
クソ怒ってた。
昔からなんか言われても自分の感情だけじゃ相手の心もわからないし、他の人の意見を聞くことが多かった。
なんか被害妄想みたいになるの気持ち悪いし。
「わ〜!!」こんなんじゃさすがに休みはしないけど「えぇ〜!!!あなたそんなこという人なの!?」という驚きで思わず他の上司に相談した。
多分そこがまずかったかな〜。
でも多分ここで言わなかったらまたいずれ病んでしまうのではという恐怖が勝った。


5年目から今

4年目の相談が活かされたのか、被害妄想やばいやつだと思われたのかわからないが異動になった。
勤務先も違うし、何よりも変わったのは仕事内容だった。
無知の世界。かつ元々興味のなかった世界。
新しいことに挑戦する』に対してまた挑戦できるようになりたいと思っていたからわからないなりに努力してみた。
先輩は面倒見いいし、上司も同じタイミングで異動してきたがわからないなりに沢山面倒を見てくれた。
メインの業務は多分ほぼ渡されていなくて、何をするにも???ばっかり。
打ち合わせに参加して単語を聞いても???
文書をみても???
そもそも他の人がどんな仕事してるかも未だわかっていない。どのボリュームでどのウェイトのものなのかも理解できていない。
今思えば聞いて学べることがあれば聞いておくべきだった。
???だらけの一年だった。
もちろんわからないことに関してはなるべく聞くようにしたし、勤務場所も違うから生活環境に関しても沢山教えてもらった。
生活環境は最初元の職場シックがでちゃってしょげてた時期もあったけど順応できるようになったと思う。

しかし、わからないことをやっているのはやっぱりストレスで、わからないものはちゃんと聞くようにしてたけどそのレスポンスが悪くなってきた。
何度も同じ内容を聞いてるわけじゃない。
自分で調べた上で聞いているのに今度は聞いてもわからなくなってしまった。
てか聞いた通りやっても誤りが増えてきた。
どういうこと?聞くの意味ないのか?
先輩もわからないのか?

そこから段々苛つきが増えて、ほんと内緒だけど物に当たることが増えた。過眠になった。
夏前までできていた趣味のゲームやバイクも興味がすごい薄れて、冒頭の生活に至る。
そろそろやべーかなと思ったので、薬処方してもらって休職後の復帰もストレスでしかないため、なんとか休職せずに仕事と療養を両立したいと思って精神科の予約をした。
しかし次の週半ば、突然朝起きて回転性の目眩に襲われて立ち上がれなくなった。
トイレ行くだけなのに世界が回っているのか、私が回っているのか、目玉だけ回っているのわからない。
今まで病んできた中でこんな経験はなくて、ふと思い出したのがこの症状が起きる前日に左耳が変な痛みを出していたのを思い出した。
それか?とりあえず耳鼻科か?と思って受診。
元々自律神経が不安定だったこともあるのでそれと、メニエール病じゃないかという話も出た。
一番マシなので耳石が偏ってる?だけっていうこともあり得る。
ちなみに耳鼻科で処方されたイソソルビドというゼリー状の薬、SNSで調べるとみんなおいしくないっていうけど私は嫌いじゃなかった。
しかしながら、え〜!体調最悪すぎない?という状況だけは一応会社にも伝えてある。目眩に関してはいつ起こるかわからないし、ぶっ倒れたりしたら迷惑かかるので念のため。
気晴らしに天気良くなったらバイクでストレス発散ツーリング行くからと思っていた矢先、これだよ。
親も高齢でどこ連れて行くにも車の運転手は私だし、こんな私の状況じゃどこに連れて行ってあげれない。
「は〜!どうしよ〜!」
こんな状態で最悪の内示でたら笑えないな〜という現状である。
そんな矢先父親の大腸がんカミングアウトがあった今朝を迎えました。
「えぇ...どうしようかな」


まとめ

多分そんな辛くないんじゃないかなっていうストレスと闘ってきた。
自分はあまちゃんだと思う。考えも甘いと思う。
それが自分から見ても悔しい。弱い自分が情けないし、そんな弱い人間だと思いたくないのが本音。
ただストレスの感じ方も人によって違う。
私に関しては考えすぎだと思うし、これが私の性格なんだろうなって自覚した。

ちゃんと向き合っていくべきだろうし、家族のことも考えたら、今の社会で自分がどう生きていくかの選択を自由に与えられてる機会でもあるのかなと書いてみて思った。

このまま安定に縋って精神すり減らしながら頑張るも良し、もっといい方法があるのではと悪あがきするのも良し、そもそも「こんなもんじゃん?」って割り切れるように自分を変えようと努力するのも良し、他にも色々。

やりたいことをできるメンタルに持っていくためには、どれが一番いいのか吟味する時間も人生の中で必要なのかもしれない。
いろんな選択肢があることに気づけたのでまとめてよかった。

は〜!バイクには乗りたいし、ドライブも行きたいし、ゲームも昔みたいに楽しみながらやりたい!
そうなれる日を目指して生活してみます。

あとは、
もっと辛い状況で病んでる人も耐えてる人もいる。
もっと柔い状況で病んでる人も耐えてる人もいる。
みんな各々の物差しで測るから、自分の場合はこうだけど病んじゃってるよの一例にでもしていただけると文章に起こした甲斐があります。

次回!内示によりメンタル死す!
ということでまた気が向いたら書けたらいいな。

気楽にいきましょ。
年度末みんなほどほどに生きるのを頑張ろうね。

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