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家族から受けた傷

ばあちゃんは、わたしが嫌いだったと思う。

ここでいう「ばあちゃん」とは、わたしの父方のばあちゃんのこと。うちはお父さんが長男だったので、じいちゃんばあちゃんが一緒に住んでいた。

さんざんnoteで書いてきたことだけど、わたしは家庭環境にトラウマがある。厳密には虐待を受けた子どもではないけれど、かなり精神的にキツい環境だった。

子どもは親の言うことを聞くものとしつけられ、言う事を聞かなければ外に放り出すぞと脅された。モラハラとかそういうのが当たり前だった。古い因習が染み付いた、風通しの悪い家だった。

これらが平気な人もいるかもしれないけれど、少なくともわたしは平気じゃなかった。平気だと思っていたけど平気じゃなかった。

うちは両親が共働きだったから、じいちゃんばあちゃんと一緒にいる時間が多かった。

じいちゃんは幼い頃はよく構ってくれたけど、頑固であまり他人に心を開かない人だったから、何があったのかはわからないけど段々と部屋にとじこもるようになっていった。

だからわたしが何か会話するとしたらだいたいばあちゃんだったのだけど、ばあちゃんは何かとわたしに対してあたりがキツかった。

わたしもかなりやんちゃというか、相当キレやすい子供だったから、言い合いになったりもした。

別に言い合いはいい。けれどなんていうか、やっぱり納得いかない部分があった。あれはしつけの範囲を超えているというか、言われて傷ついたとか、不快だと思うことは結構あった。

ちなみに、わたしは不快なことを言われてもすぐに反論できなくて、しばらく悶々として「あ、あの言葉で傷ついてたのか」とようやく気付くということがよくある。

これでも最近は自分の感情に気づくのがかなり早くなった方で、昔は溜め込むことが常だった。というか家が精神的にキツいところだったと気付いたのも、ほんの数年前。

まだまだ解放しきれていない怒りがあって、唐突にフラッシュバックしてコントロールできなくなったりする。

だからこれはそれに近いものなんだけど、最近またふとしたきっかけでばあちゃんに言われて「いや、これはありえねーだろ」と思ったことを思い出して、ばあちゃんへの怒りが噴出したので、消化のために家族にまつわるあれこれを書かせてほしい。

同情をしてほしいとか、慰めてほしいとか、そういうのはなくて、ただ吐き出したいだけなのでスルーしてくれてかまわない。

わたしが小学校高学年の頃、胸の中に謎の塊ができた。

それは発達し始めた乳腺だった。けれどそんなこと女の兄弟がいないわたしにはわからなかった。不安になってばあちゃんに聞いたところ、なんと「病気かもしれないぞ」と言われてしまった。(具体的な病名は伏せるけど実際には病名を言われた)

そのあとわたしは本気で不安になって、かかりつけの病院まで行った。お医者さんは「胸が大きくなりはじめただけですよ」と言ってくれたけど、いまさらながら、ばあちゃんの言ったことは冗談だとしても、あまりにひどいと思う。

本当にわからなかったし心配していた可能性もないことはないけど、ばあちゃんだって第二次性徴は経験したはず。

孫に対して言う言葉ではないし、実際にその病気で苦しんでいる人に対しても失礼だろう。なんていうか、ほんとうに、今思い返してもげんなりするほどに最低だ。

正直なところ、悪意があったとしか思えない。

ほかにもばあちゃんはわたしに対して当てつけのように色々な仕打ちをした。

フルタイムで働いているため土日しか家事をしないお母さんに対して、たまにやる家事に対して重箱の隅をつつくようなダメ出しをし、家のことに非協力的だ、と、それを本人に言うだけでなくわたしにまで不満をこぼした。自営業で生計を立てている叔母夫婦、つまり自分の娘との比較付きで。

ほかにも何かあるたびにまっさきにわたしが疑われた。トイレの電気を消し忘れたとか些細なこととか。多すぎてとにかく責められていた記憶しかない。口ぐせは「お前の考えていることなんてお見通しなんだからな」だった。

「手伝え」「教えてやる」と常に上から目線で、少しでもできないと「お前には任せられない」と取り上げられ「本当にダメなやつだな」と人格否定。

わたしが不登校になったとき「昼間に出歩くのは恥ずかしいからやめろ」と言った。精神科に通っていたときは「き○がい病院」「いつ治るのか」としきりに言ってきた。

毎日家事をこなし、料理を作り、面倒を見てくれたのは感謝しているけど、わたしの心はずっとおだやかじゃなかった。

毒親、という言葉がある。
わたしにとっての毒親は、ばあちゃんだ。

わたしは、家族の誰からも愛されていないと思っていた。けれど、精神科で家族総動員でわたしの話を聞きに来てくれたりして、「あなたは愛されているよ」って、当時の主治医やカウンセラーから言われたりもした。

その言葉はわたしの心に空虚に響くだけだった。それでもほかに縋るものがないから「わたしは愛されているのだ」と思い込み「おかしいのはわたしのほうだ」と必死に「普通」になろうとした。

けれど今となっては、それは間違いだったと思う。愛の形は人それぞれだと思うけど、少なくともそこにわたしの欲しかった愛はなかった。

もっと正確に言えば「愛はあったかもしれないけど、安心はなかった」。

執着からくる愛情は、憎しみや嫉妬と表裏一体だ。過去をふりかえっても、ばあちゃんはたぶんわたしのことは嫌いか、もしくは愛はあったかもしれないけど憎しみも確かにあったと思う。

ばあちゃんは何かと差別的なひとだった。

特に男女で対応を変えるひとで、兄には甘く、わたしには厳しかった。たぶん、お父さんにも執着はしていたのだろうなと思う。叔母さんとは若いころ衝突したらしい。

そしてばあちゃんは見合い結婚の専業主婦だ。

ばあちゃんの青春は第二次世界大戦のころ。帝国主義が残っており、お家のため、お国のためというのが当たり前の時代。個人の自由は極めて狭い範囲だったと思う。

そんなばあちゃんにとって、自由恋愛で結婚した上、働きながらほとんど家事を手伝わないお母さんは許しがたかったんじゃないか。

また厄介なことに、お母さんはお母さんで他人の気持ちを理解するのが極めて苦手なひとなので、ばあちゃんとは決定的に噛み合わなかった。

ばあちゃんはお母さんから育児や家事を押し付けられたと感じていたのか。それはお母さんへのダメ出し、モラハラとなり、わたしにも飛び火した。

出来のいい兄で虚栄心を満たし、出来の悪いわたしはかわいそうな自分を演出する道具にされた。

わたしが不登校など、世間のレールから外れて自分の思い通りにならないとわかった瞬間、人格否定とモラハラのオンパレード。

そして認知症が進み、自分が弱い立場になった途端「お前だけが頼みだ」とてのひら返し。

正直、わたしは感情的に執拗に誰かをいじめたり、悪意をもってえこひいきする人が嫌いなんだけど、それはそんなばあちゃんを見てきたからかもしれない。

ばあちゃんに育てられたお父さんも、結構なモラハラっぷりだ。無自覚っぽいのが癪に障る。けれど精神科医が見抜けなかったように、うちの家族はとにかく外面がよく、まともに見える。表面を取り繕い、仲良し平和家族みたいに見せるのがほんとうに上手い。

けれど実際は中身はぐっちゃぐちゃで、そういう家族の歪みを顕在化させるため、ある意味わたしは傷を背負ったのだと思う。

機能不全家族では、家族を成り立たせるために、誰かひとりが犠牲になるということがあるそうだ。それは子供とは限らないし、時と場合によって変わる。

家族にそういうふうにされてきたわたしは過去、自分の意思を大切にできなくて、自己肯定感の低さに付け込まれ、家族どころか実社会でも厄介なひとにターゲットにされることがあった。

これは家族に対する感情とは別に、そういうものなのだろうなという俯瞰的な理解をしている、という意味で、自分がかわいそうだと言いたいわけじゃない。

もちろん怒りはある。許せないという気持ちも。

けれど最近は、ぷちハードモードにしてくれてありがとうとすら感じる。

そのおかげで色々な人との出会いがあったし、学べたこともあったから。

すこし強がりかもしれないけれど。

でも、わたしの傷はわたしのものだ。

癒すも抱えるも、わたしが決める。

わたしは、そういう家族への復讐のために、人生を使わない。

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