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おじさんの言葉

「本当にいいものとは、好き嫌いがハッキリと分かれるものなんだよ」

かつて、あるおじさんが私に言った言葉だ。

ここで言う「いいもの」とはすなわち、「いいコンテンツ」という意味だ。

今ではもうネット上のパフォーマーは珍しくないが、そういう類のことを15年以上前の個人サイト全盛期にはじめていた、あるおじさんの「コンテンツ指針」だった。

当時、嫌われる恐怖に怯えてばかりいた私には衝撃的で、私もそんな「いいもの」になりたいと強く憧れた憶えがある。

以来私はずっと、この言葉に囚われ、ある意味では支えられてきた。嫌われることへの恐怖と、「いいもの」になることへの欲求の間で、今でも揺れ動いている。

私がおじさんと出会った当時、私は中学生かそこらの歳で、マセている上にグレているというどうしようもなさだった。

どうしようもなさで言えば、おじさんもなかなかだった。不況のあおりを受けて長年勤めた会社をリストラされ、無職となったばかり。

しかし全く暗いイメージはなく、むしろ無職を満喫していた。退職金と失業保険を元手に、住んでいた家を離れ、ネットで知り合った友人とルームシェアをして、遊び回っていた。

そして自分の経験をネタに、人を笑わせるコンテンツを作っていた。

今にして思うと、おじさんは、ただサラリーマンに向いていなかっただけだと思う。

どうしようもなく下品で、すけべで、変態だったけど、話がうまく、バカのふりをした、実に頭のいいおじさんだった。

おじさんとは、ある人のホームページの掲示板で知り合った。それなりに仲良くなって、電話では何度も話して、眠れない私のしょうもない話に夜通し付き合ってくれた。一度だけ、実際に会ったこともある。

ちなみにそのおじさんは、偶然知ったのだが、なんと今は芸人を目指しているようだった。もう、還暦近いというのに。面白い人の人生は、ずっと面白いんだな、と感嘆した。

彼の才が花開くことがあろうとなかろうと、40歳で人生の機転を迎え、今もなおやりたいことを追求しているその姿を、尊敬した。おじさん自身の人間性は全く尊敬できないけど、かくありたいと思った。

もしかしたら、おじさんはもう私のことを覚えていないかもしれないけれど。おじさんのあの言葉は、不本意ながら私の生きる指針になっている。
(多分、話せば思い出すだろうけど、面倒だから私からは連絡しない。また縁があれば会うこともあるだろう)

そんなおじさんとの思い出話はさておき、ずっと借り物だった冒頭の言葉は、最近は少しずつ自分のものになってきている。

そして、今日はその言葉に私が見てきた世界をもとに、少し、付け加えたいと思う。

「本当にいいものとは、好き嫌いがハッキリ分かれるもの。そして、それが好きな人には、とことん深く愛されるもの」

ちなみに「愛される」を「心惹かれる」「心奪われる」に置き換えてもいい。

と言いつつ、好悪がハッキリ分かれるのだから、深く愛されて当然だろう、という反論が頭に浮かんだ。たしかに、あんまり意味は変わっていないかもしれない。

しかし、その輪郭は以前より明確になった気がする。私自身が何かを「深く愛する」ことができるようになったので、実感として、その言葉の意味を少し理解できるようになったのだと思う。

あれから15年以上経って、私はあの時目指していた夢は諦めてしまった。それどころか、私は未だ何者にもなれていない。目指すものの形すら、決まってはいない。

だけど、おじさんの言う「いいもの」になりたいとあの日に抱いた憧れは、変わらずここに燻っている。

だから、まだ形はおぼろげにしか見えないけど、私は変わらず「いいもの」を目指していきたい。

ということで、さしあたって、今は愛してくれる人が少なくてもめげないことにする。笑
嫌われることは怖いけど、嫌われることを恐れて私がつまらなくなることはもっと怖いから。


───ところで、あなたが深く愛する「いいもの」とは、どんなものですか。

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