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「寺田の足の甲はキャベツ」(朝井リョウさん『少女は卒業しない』より)独り言多めの読書感想文


「愛しさ」とはどこから生まれると思う。見ていて気分のいいものはたくさんあれど、その差は「触れたいと思うか、加えて触れられるか」が深く関わってくると思う。
 恋人同士は赦し合う。ダメな自分をさらして受け入れて笑い合う。まずは寺田に対する愛着から話を始めよう。この感情は、少女目線でアイテムに集約されている。

〈ぐしゃぐしゃのカッターシャツ姿で走ってくる〉
〈ゴムがよれよれになったトランクスが覗く〉
〈きっと何年間も使っているのであろうタオルは厚みが全くなくなっていてしゅわしゅわだった〉

 総じて〈寺田がかわいかった〉につながる。この「かわいい」という感覚は男性に正しく共有できるだろうか。

〈あたしはその毛(すね毛)をそっと触るのが好きだ。「うわっわわわ」とくすぐったそうにする寺田がかわいいから〉

 好きな相手にちょっかいを出して、その表情の変化を楽しむのは女性も同じ。わざと困らせるのは、わがままを言うのは「いい子でいる必要がないと思った上での甘え」であり、特定の人にしか発動しない。
 二人の仲の良さは行動に現れる。ミラーリングとか名付けずとも勝手にシンクロする。純正のそれは、形は違えど全く同じ。

 皆はだしでバスケをしている中で寺田が言った「脱いでいいの? 俺たぶん水虫だよ?」この時少女は寺田の卒アル、男バスの集合写真の目の部分に黒い線を引いていた。
 形は違えど全く同じ。それは本人たちではなく、周りが判断すること。男バスの仲間から見た寺田と、女バスの仲間から見た少女はきっと同じように称される。「最悪だアイツしょうもな」


 愛しさ。東棟に入っていく教師と生徒を見かけて〈「今、先生と生徒がひっそり東棟に入ってったぞっ。たぶん図書室によくいる先生!」〉とはしゃぐ寺田。文化祭最終日、花火の上がる中、生徒会室に生徒会長と生徒会の女性がいるのを見かけて〈「なんか俺たちってこういう場面に呼び寄せられるのかな?」〉とどこかうれしそうにする寺田。
 呼び寄せられると思ったのは「同じ事象に遭っても、認識するものとしないものがあるように、無意識に自分(自分達)と似たものを認識しやすいから」かもしれない。見たいものを見ていたとしたら、それは自分に関係するもの、共通するものであり、自分たちの付き合う直前と同じなのかなあと勝手に幸せな気持ちになる。


 対比。連動する。影響し合う二人は同じ行動を取る。
 東京に遊びにいく時には案内してほしいという後輩の声を聞いた時、寺田は〈背中で跳ね返すようにぐんと伸びをした。ぐん、ぐん、ぐん、と、思いっきり〉その後、寺田の後に続いて自転車をこぐ少女は〈肩甲骨の浮いた寺田の背中を見ながら、自分の背中にくっついている三月をぐん、ぐん、ぐんと引っ張〉った。
 東京に行ってしまう彼女という未来を〈背中で跳ね返す〉寺田。四月には東京にいる自分。〈三月をぐん、ぐん、ぐんと引っ張る〉ことで、ギリギリまで寺田の傍にいたい少女。やっていることは、望んでいることは全く同じ。けれど、時間は待ってはくれない。その切り替えが、女バスでふざけ合っているその流れのまま、仲間の一人が言った「後で駅前のサイゼに集合ね」
 この後少女の一人称で〈あたしは心の中で倉橋にありがとうと言いながら、カーディガンのポケットの中に手を入れた〉と続く。ふざけ合っているその流れから、急に「心の中で」になったり「ポケットの中に手を入れ」る動作になったりする。二人を取り巻くものは何も変わらなくても、二人の見ているものだけが確実に変わる。


 ここから二人を隔てるものの存在がクローズアップされる。
 どうしようもない現実を突きつけたのが「晴れた空」と「季節外れの花火」
 少女の最大の過ちは、ほぼ確の未来を早い段階で共有しなかったこと。

 高校生の一日一日は濃い。受験のこともあっただろう。タイミングも難しかったかもしれない。それでも。
 好きだから。お互い本気でふざけ合える時間をギリギリまで伸ばしたかったのかもしれない。それでも。いや、だからこそ。
 好きなら。相手のことを思うなら、自分がどうあろうと決めた段階で共有すべきだった。増してや〈むせかえるような草のにおいを嗅ぎながら、何も考えずにあたしは言ったんだ。二人で花火をやりたい、なんて、そんなこと〉言っちゃダメだ。当たり前に次の年も花火ができる未来を描かせてはいけなかった。

 温度差。いつの日か寺田に〈お前が悲しい気持ちになると雨が降る〉と言われたことがあった少女は、同じ空を見上げて思う。

〈もうこの町の空は、すぐに東京に出ていくあたしの気持ちなんかに左右されない〉
 そうして〈飽きるほど見てきたこの風景が、急に、あたしのことを遠ざける。前を走っている寺田だけが、風景の中に呑み込まれていく〉

 目前に迫る別れ。じゃれ合うように一つだった個体が、激しい痛みと共に分離を始める。苦しいに決まってる。痛みに、防衛本能に自分を守ろうとしてもおかしくない二人の、けれどもここで描かれるのは、どこまでも互いを思いやる様子。

 まず少女が謝る。この〈「ごめんね」〉には、本当はもっと早く言うべきだった、何も考えず無責任な約束をするべきじゃなかったという懺悔も含まれている。寺田は〈「ごめんねって何だよ」〉と答える。少女の気持ちが分かるから。逆の立場だったら自分でもそうしたかもしれないと思ったから。そうして知らない間、確かに100%幸せな時間を過ごせたから。加えて、少女には笑っていて欲しかったから。

 春の真昼。世界で一番似合わない場所でやる花火。本当は来年も同じように花火がしたかった。ちゃんと夏の夜に。叶わないと分かった寺田は、けれど約束だけは覚えていて、自分にできることだけでも叶えたかった。「好き」とか「愛してる」とかじゃない。何気ないことを覚えている、それこそが愛情表現そのもの。


〈喚くほど子どもじゃない。だけど離れても愛を誓えるほど大人でもない〉


 この人だと思った。でも思ったところでどうしようもなかった。


〈寺田のキャベツみたいな足の甲と、あたしのレタスみたいな足の甲。二つ並べるとあたしは自分を女の子だって思えた〉


 愛しさ。心許なさ。それは自分以上に、相手を案ずる思い。
 分かってる。出ていくよりも残される側が辛いこと。
 寺田はずっと堪えてた。好きだから笑っていて欲しくて。好きだから夢を応援して。好きだから、自分にできる最上の愛情表現が手を離すことだと分かったから、自分の気持ちを押し殺して。最後までちゃんと恋人をしてくれた。一番の理解者でいてくれた。
 それが分かったから受け入れる。ありのまま。与えたかった全てを。
 そうして「伝わってるよ。幸せだよ。ありがとう」が、


〈こっち向かないでいいよ〉


 少女が落ち込んでいる時、核心には触れず、ただ傍にいてくれたように、今度はあたしが。


〈(花火の)火が消えた〉


 唇をかみしめて分離する。止まらない現実を。痛みを抱えて、再び歩き出す。
 形は違えど全く同じ。それは本人たちではなく周りが判断すること。
 きっと二人は、似たようなやさしい教師とカウンセラーになる。









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