自己紹介(生い立ち編(父からの虐待))

皆さま、初めまして。早咲花音と申します。(本名ではございません)

プロフィール欄に書かせて頂いたとおり、私はHSS型HSPです。 そして2017年からうつ病になってしまいました。

最初の投稿である今回は、私の生い立ちについて書かせて頂きたいと思います。 長文になりますがご了承ください。

私は物心ついた時から父親に虐待をされていました。 叩かれることも何度もありましたが、主に精神的な虐待がとても酷かったです。 父の言う事は絶対。だから「なんで?」「どうして?」と訳を聞いては絶対にいけない。 どんなに理不尽な事だとしても「はい」しか言ってはいけませんでした。

子どもの頃の私は、人見知りだけど明るくて優しくひょうきんな子でした。 困っている同級生を助けてあげたり、先生の言う事は絶対守っていました。 「これが欲しいーー!!」っと駄々をこねた事は一度もなく、家族で旅行に行った時も「欲しいお土産があったら何個でも買っていいよ」と言われても「一つで大丈夫!」っと一個しか買わない子どもでした。 自分の中で『お土産は一個だけ』というルールがあったのかもしれません。 つまり私は、母曰く本当に手のかからない子どもでした。

そんな私の何が気に入らなかったのか...父は私が何も悪い事をしていないのに、自分の機嫌が悪いというだけで私を叩いていました。 「○○(何かを直す作業など)をやっておきなさい」っと言われる事も何度もありましたが、本来大人がする作業のやり方を、小学生の私が知っているはずがありません。 父にやり方を聞いても「自分で考えなっ」と言われ、泣きそうになりながら頑張りました。 でももちろん出来るはずがありません。 そんな時も父からは「何にも出来ないんだから」「バカ」と何度も言われました。 中2の反抗期がくるまで、私は父に逆らった事は一度もありませんでした。 自分の意見を言った事も決してありません(絶対服従なので)。 常に父の顔色を見て過ごし「どうしたら怒られないか」と考えて行動したり、毎日ビクビクしながら生活していました。

そんな生い立ちゆえに、私は心に深い傷、トラウマをもって今も生きています。 HSPゆえに他の子よりも敏感に感じとってしまったのかもしれませんが、それでも、未だに心の奥底には父への恐怖があり、父に『何かを頼む』という事が出来ません。(子どもの頃頼み事をしたら「自分でやりなっ」と恐い顔で言われたり、引き受ける時も不機嫌な態度になっていました)

また差別も酷く、妹には、私に対するような酷い仕打ちはしませんでした。  父が何かのお菓子を買ってきた時も、私の目の前で、母と妹に笑顔でお菓子を渡し、私にはあげないっという事が毎回でした。 これは本当に悲しかったです。

月日は流れ、私が大人になり、初めて就職した会社でも周りの人に良いように使われ、影では悪口を言われ(実際に聞いてはいませんが雰囲気で察せました)、だんだん体と心がボロボロになり、ついに限界だと感じた私は会社を辞め、一人暮らしのアパートから実家に帰って療養をする事にしました。  しかしそこでも父に「仕事してないんだから家の事をもっとやりなさい」と何年もの間、何回も言われ続けました。 体がボロボロで体調の悪い日が多く、療養で実家に帰ってきたにも関わらず、父には全く理解してもらえず、私は吐き気を我慢しながら家の事をやっていました。 それでも満足できなかった父は他の人に「花音は家の事を全然やらない」「親への敬意がない」と悪口を言っていました(この事は父が話した人から直接聞きました)。 頑張って父の期待に応えようと私は必死でしたが無駄でした。

そんな生活を4年半続けたある日、糸がプツンっと切れたかのように、突然私は布団から起き上がる事が出来ず、動けなくなってしまいました。 これがうつ病の始まりです。

うつ病になってからも父と同じ家に暮らしている以上ストレスが全く無くならず、発症から3年経った今年の春、ついに私は気がおかしくなりそうなほど精神が壊れてしまいました。 このままでは本来の自分の意図に反して、狂った精神ゆえに自殺してしまうか、あるいは父を殺してしまうかもしれないっと思うほどに。 自分で自分をコントロール出来ないという事は本当に恐ろしい感覚でした。 それで父に必死にお願いし、祖母の家で生活してもらう事にしました。 あれから半年が経ちますが父とは一言も会話をしていません。 そして、父が近くにいなくなった事で私の精神的苦痛は本当に楽になりました。

私がうつ病になったばかりの頃、父が発達障害だという事を知りました。 全ての発達障害の方に当てはまるわけではありませんが、多くの発達障害の方が、記憶力、判断力が欠けているという事でした。 なので父曰く「虐待した事は認める。ただ、今まで花音にしてきた事は覚えていない」のだそうです。 発達障害は遺伝する可能性があると言われていますが、そんな父から、全く真逆の気質を持ったHSPの私が、よくまぁ生まれたものです...。  家系的にもそのような人は一人もいなかったため、母からは「花音は突然変異だね」と言われました(笑)

母の話になりますが、母は私が虐待されていた事を数年前まで知りませんでした。 なぜなら父が私に対して、母には言うなと口止めをしていたからです。 父の事が恐かった私は、泣いている私に対して母が「どうしたの?」と聞いてくれた時も決して言う事が出来ませんでした。

しかし母は、私が中学でいじめられた時も、父に虐待され部屋で一人で泣いている時も、例え理由が分からなかったとしても何時間でも側にいて私を慰めてくれました。 だから私は母に本当に本当に感謝しています! 今の辛い状態の中でも、私が生きていられるのは母のおかげです! 私にとって母は世界一の母親! 母親の鑑だと思っています!

生い立ちについて長くなってしまいましたが...次回は私がHSPを知るまでについて書かせて頂きたく思います。

長文をお読み頂きありがとうございました。

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