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お母さんの夢

その子はY君といって、息子の幼稚園の同級生だった。小柄で華奢だったが、スポーツ万能で明るく屈託がない。お兄ちゃんと妹に挟まれた真ん中っ子だったが、優しいお母さんに十分に可愛がられている感じの優しい気性の子で、人気者だった。
ご自宅は地元の大きな農家で、おばあちゃんとおじいちゃん、大ばあちゃんも一緒に暮らす大家族だった。
ウチとは家も近く、息子はお兄ちゃんや妹さんも一緒によく遊んでもらった。

彼は幼稚園のお母さん達の間で、ちょっとした『有名人』だった。
食物アレルギーがあったのだが、対象品目が途方もなく多かったからである。
小麦、卵、牛乳などの代表的なものは勿論、豚肉、トウモロコシ、大豆、ジャガイモ、蕎麦・・・両手両足の指を使っても足りないくらいだった。
その家は子供全員にアレルギーがあり、お兄ちゃんは米とリンゴ、妹はキウイとイチゴ・・・といった具合だったから、ママ友の間では『あの子のお母さんは毎日一体どうやってご飯を作っているのか』とよく話題になっていた。

園で餅つき大会があった時、私は役員に当たっていて、餅につけるあんこやきな粉、大根おろしなどを準備していた。各テーブルに配り終えた時、Y君のお母さんが小さな妹を抱っこして座っているのが目に入ってハッとした。
しまった。これだとY君が餅につけて食べられるものが何もない!
あんこは小豆、きな粉は大豆。どちらもY君はダメである。大根おろしには大豆を原料とする醤油がかかっていた。醤油なしの大根おろしは幼稚園児には厳しいだろう。
どうしてあげれば良いだろう?迷ったが、他の学年の役員はY君のアレルギーを知らないから、取り敢えず知らせねばならない。
私は急いで会長のNさんに相談に行った。
「え!!そんな子、いるの!?じゃあどうしようか?」
私達が額を集めて考えているところに、Y君がトコトコやってきた。
「おばちゃん、オレ、餅だけでも食える。大丈夫、美味いで」
そういって、口の周りを餅取り粉だらけにして笑った。
妹を抱っこしたY君のお母さんもニコニコしてこちらを見て、『心配しないで下さい』という風に頭を下げた。

Nさんはしばらく言葉もなく突っ立って、そんなY君親子を見ていたが、
「きな粉に入れる上白糖、まだあったよね?あれなら、大丈夫でしょ!別皿にして、あの子に渡してあげて」
と私に言った。
アレルギーにはさっぱり詳しくないけれど、多分砂糖なら大丈夫だろう。
私は急いで砂糖をてんこ盛りにした皿を、Y君に持って行った。
「わあ、わざわざすいません。ありがとうございます。良かったねえ、お砂糖、美味しいねえ」
Y君のお母さんは本当に申し訳なさそうに私達に礼を言って、砂糖をつけて餅をほおばるY君を嬉しそうに見ていた。
「大変やなあ、お母さん」
Nさんは遠くからそんなY君親子を眺めながら、しみじみ呟いていた。

別の日、Y君が我が家に遊びに来てくれたことがあった。
その時私は彼のアレルギーのことをあろうことかすっかり失念していて、クッキーやチョコレートをおやつに出してしまった。
「あ、オレこれあかん」
Y君がおやつを見て呟くのをきいて、私はハッとなった。
「ゴメンゴメン!!忘れてたよう!ごめんな、Y君。何やったら大丈夫?買ってくるわ!」
平謝りしたが、Y君は気に留める風もなく、
「大丈夫やで、おばちゃん。オレ、自分で食える菓子持ってきたから。○○君(息子)も食べや」
といってリュックからいくつかの菓子袋を取り出した。
芋けんぴやせんべいが次々と出てきた。息子は見慣れない菓子に歓声を上げた。
仲良く二人して食べながら遊ぶ様子を見ながら、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

帰るY君を自宅に送っていって、お母さんにおやつの件を謝った。
「あ、いいんですよ。ウチの子、慣れてるので。少しずつ食べられるもの増えていってますしね」
お母さんはニコニコしてそう言って、お手製のバナナのパウンドケーキを出してくれた。アレルギー物質が一切入っていないのだという。
でも十分に美味しくて、私は食べながら凄い、を連発してしまった。
「ご飯の準備、大変でしょう?」
はしゃぐ三兄妹と息子を見ながら私が言うと、お母さんは
「ポテトサラダはサツマイモで作ってます。糸こんにゃくで麺の代わりにしたり。お醤油はアレルギー対応のを使いますけど、工夫次第で案外何でもできますよ。子供は食べるの大好きですから、なるべく諦めさせたくなくて。『自分は可哀想なんだ』って思わせたくないんです」
サラリとそう言って微笑んだ。
パウンドケーキを頂きながら、私はなんだか泣きそうになってしまった。

「家族揃ってマ〇ドナルドに入るのが夢なんです」
お母さんが笑いながら教えてくれた家族の夢は、二十年近くたった今も私の記憶に焼き付いていて、まだ忘れる事が出来ない。
お子さん達ももうすっかり大きくなって、あのお母さんも随分楽になっていることだろう。
あの夢はかなっただろうか。
食物アレルギーの話題を聞く度、懐かしく思い出す親子である。