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ゆっくり溶かしていく

久しぶりに、近くのターミナルにある百貨店にきている。
入口付近にあった煩わしく嵩高い消毒液や、発熱チェック用のセンサーが全て取っ払われ、スッキリと入りやすくなっていて、心のつかえまで取れたような、明るい気分になった。人の流れが滞留しないので、スムーズに入れる。
目的のフロアには一つ上がらねばならない。エスカレーターに乗る人々を見ていると、マスクをしている人は三割くらいだ。怖いと感じる人も居るかも知れないが、個人的には解放感を覚えた。

同じフロアには有名ブランドの店がいくつかある。丁度夏に向けた涼しげな商品が沢山並んでいる。
ややシニア好みのしそうな上品な鞄を目にした時、そう言えば昔は必死になってこういうものを母に「貢いで」いたなあ、と思い出し、遠い昔に置いてきた筈の、苦い気持ちが胸に甦った。

独身で働いていた頃、私は母に関する「記念日」や「イベント」を大変意識して、少しでも母を「喜ばせ」ようと躍起になっていた。高級ブランドの洋服、鞄、時計等の装飾品を何の統一感もなく、次々とプレゼントし続けていた。
母は勿論喜んでくれたが、そこには毎回幾ばくかの当惑も混じっていた。そして「お母さんにこんなにお金を使わなくて良い、もっと自分が楽しむために使いなさい」と言われた。
だが、当時の私は「どうやったら自分を楽しませる事が出来るか」、もっと言えば「自分はどういう精神状態を楽しいと感じるのか」について、殆ど無関心だった。そこに意識を向けた事が皆無に等しかった。音楽に関する事には多少投資したが、他の「楽しみ」にはお金を使う事が出来なかった。いや、使う対象がわからなかった、というのが正しい。

母の機嫌を良くする為には、手っ取り早く物欲を満たすのが良い。ウチは私達子供がお金をいっぱい使うせいで貧乏だ。お母さんは可哀想に、贅沢せずに我慢ばかりしてきた。だから身につけたこともないような高額なブランド物を、娘の私が贈れば喜ぶに違いない。そうすれば私も「親孝行」な良い娘になれる・・・そういう単純で浅はかな計算が、自分でも気付かないうちに私の頭の中で何度も悲しく繰り返された。
そしてその私の計算に気付きながら、母は母で後ろめたさを感じつつも、自らの欲を満たしていた部分も多少はあったのだと推察する。

純粋に母の喜ぶ顔が見たかったか、と言えばある意味その通りである。だがそういった面は実は都合の良い隠れ蓑で、私が贈り物をする本当の理由は「自分の為」だったのだと思う。
贈り物をする私は親思いの「良い娘」。自分の汗水たらして稼いだお金を、母親に惜しげもなく「献上」する、素晴らしく「値打ちのある」娘。自分より他人を幸せにすることを優先する、人の鑑。
自分に向き合う事から逃げていても、母に対するわだかまりの正体を直視しなくても、世間一般の尺度に合わせれば、いとも簡単に自分の存在価値を認められる。
言うなれば「贈り物依存」だったのだと思う。

今日久しぶりに思い出した過去の自分は、今の自分とは似ても似つかない人間だが、どっちも同じ「私」である。
過去があるから今がある。恥ずかしい過去ではあるけれど、私が通るべき道だったのだろう。あの時はそうするのが私の「正解」だったのだと思う。
今はもう、母に贈り物はしていない。別に避けているわけではなく、そうするのが「今の」私にとって自然だからである。将来的にしたくなる時が来たら、その時はしたら良い。そう思っている。

母はあの頃贈った多くの品々をとても大切にしてくれている。それはそれで素直に嬉しく思っている。
自分のわだかまりは自分で溶かしていく。溶けきってしまう時は、もしかしたら一生来ないのかも知れないが、ゆっくりゆっくり、向き合いながら溶かしていこう。
わだかまりのある私も私。
大切にしていきたい。