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一緒に入ろうよ

我が夫は人前で妻と手をつなぐ、という事を全くしない。婚約中も、新婚旅行中も、結婚後もであったから、私は一時期はわかりやすく夫不信に陥ったりしていた。
照れくさいというのが最大の理由らしく、そういうところは夫の父に似ているなと思う。

手をつなぐことすらこの調子であるから、一緒にお風呂に入るなんてもってのほかである。嫌だというのを承知で、
「ねえ、たまには一緒に入ろうよ」
と言おうものなら目を逸らして
「いや」
と言う。反応が面白くてわざと何度も誘うと、終いには怒って入ってしまう。
普段は風呂が沸いてもぐずぐずしてなかなか入ろうとしないので、早く風呂に向かわせるためにわざと言う事もある。どんなに急かす言葉より効果的なので、わりとよく使う手である。

婚約中も含めて、結婚以来今まで一緒に入ったのはたった一度きり。それも子供が一緒だった。
旅行で三重県の小さな民宿に行ったのだが、その日そこに泊まっているのは私たち家族だけだった。風呂が沸いたことを知らせに来てくれた宿の方から、
「すいませんけど、ご家族で一緒に入って下さいますか。男湯、女湯分けませんので」
と言われたのである。

掃除やお湯を張る手間を考えれば、当然だろうと思ったので、私は軽く承諾した。
が、夫は動揺して固まっている。宿の人が帰った後、夫は私の方を見て、
「お前、先入るか?」
と聞いた。声が心なしか上ずっている。
家の風呂じゃあるまいし、でかい檜風呂になんで私一人で入るねん。
「一緒に入ろうや」
というと、夫は言葉に詰まってうつむいてしまった。
「ジロジロ見たりせーへんよ」
と言ったのだが、明らかに身体がこわばっている。子供は見たことのない夫の姿にきょとんとしている。子供5才。どんな父親やねん。幼稚園でネタにされるで。
結局、家族みんなで入るという体験がしてみたい子供に押し切られる形で、一緒に入ることになった。

脱衣所に着くなり、超速攻で服を脱ぎ、タオルで前を隠しつつ風呂に急ぐ夫。小学生がプールの授業の前に着替えているみたいである。逃げんでもええやん。
子供と二人で入っていくと、夫はもう身体を洗い始めていた。こっちを見向きもしない。変な人だなあ、とおかしくなる。
子供は嬉しいので、さっさと身体を洗って湯舟の夫の所へ行く。子供だと恥ずかしくないらしく、お湯を掛け合ったりしてふざけている。
私が入っていくと、浴槽の端の方にさーっと移動していく夫。嫌いかい。

子供は喜んで私と夫の間を行ったり来たりしている。両者の距離は一向に縮まらない。私が詰めると夫が引く。夫が引くと私が詰める。まるで結界が張られているようだ。
終いにばかばかしくなって、笑えてきた。子供は理由もわからず一緒に笑っている。夫もとうとう苦笑いしだした。
「嫌なん?」
「嫌」
夫は言いながらニヤニヤしている。
「なんで?」
「恥ずかしい」
やっぱりかい。小学生か。

早々に夫と子供が上がっていった後、私はゆったりと一人風呂を楽しんだ。こんなに広くて気持ちの良いお風呂、十分楽しまないと勿体ないではないか。
檜の良い香りがする。新しくはないので微かだが、入浴剤のウエッとなるあのキツイ匂いとは全然違う。手足もゆっくり伸ばせる。極楽極楽。
すっかり温まって、気持ち良くなった。

ほこほこして部屋に戻ると待ちかねたように夫が、
「オレ、もう一回風呂入ってくるわ」
という。
「もうすぐごはんやろ?」
と言ったが、どうしても一人で入りたいらしいので、待っておくことになった。
随分経ってから、夫は本当に気持ち良さそうに帰ってきた。
その顔を見て、私と一緒では無理だったってことですかい、とちょっと拗ねてしまった。

あれ以来、まだ一度も夫と一緒に風呂に入ったことはない。
最近は誘うと、
「そのうち入浴介助で一緒に入ったろう」
と言ってニヤニヤしている。
「絶対やで。介助してや。約束やで」
とこっちも負けずに言い返す。
完全に私の方が先に介助が必要になると思い込んでいるから、たちが悪い。

妙な恥ずかしがり屋もあったものだ。
想像していた男性像とはずいぶん違うけど、こういうのも面白くて良いか、と諦めつつ自分に言い聞かせる日々である。

でももう一回くらい、入浴介助が必要になる前に一緒に入ろうよ。
やっぱりダメ?