見出し画像

飴の楽園

レジ係の仕事をしていると、『厄日』って本当にあるんだと思う。
レジの機械にいつもは詰まらない硬貨が詰まり、回収に難儀な思いをする。レジの手順をうっかり間違えて、時間がかかってしまう。キャリーケースの仕様説明(販売時の必須作業である)をしている最中に、ラッピングの依頼が入る・・・などなど、何故か忙しい時ほど忙しいことが重なるようになっている日、というのがある。
今日は正に、その『厄日』だった。
但し、忙しくはなかった。『変わったお客様』が次々とご来店されたのである。

朝、鏡を拭いている私に、一人の高齢男性が声をかけてきた。
「踵の高い男性用の靴、あるかな?」
お顔を拝見して、心の中であっと叫んだ。レジの中の若い女性従業員に手を出す、厄介なご常連である。最近見なかったので、入院でもされたかな(勝手に失礼)と思っていたのだが、お元気だったご様子だ。
要するにシークレットブーツ的な物が欲しいのか、と思いきや、
「今ね、ボクが履いてるのより二ミリくらい高い踵の靴が欲しいの。これと近い感じのが良いなあ」
とニヤニヤして私を見る。ははーん、いつもの調子だ。おいでなすったな、とこっそり身構えた。

この方の接客にはコツがある。
先ず、半径一メートル以内に決して近寄らない事。常にこの距離をキープすることに細心の注意を払う。相手は絶妙なタイミングで距離を詰めてくるが、怯んではならない。幸い耳は遠くないから、こちらの声は聞える。
次に、仰ることを『真に受ける』フリをする事。正直、スニーカーの踵の高さの違いなんて、分かる訳ない。しかも二ミリなんて、誤差の範囲内である。要するにこの方はとっかかりは何でも良いわけで、『話を聞いて欲しい』『まともに相手して欲しい』『相手が困るのを見たい』だけなのだ。
そうは問屋が卸しませんぜ、旦那。
「左様でございますね。こちらなど如何でしょう?踵高めのデザインになっております」
と適当な言葉を並べて、くそ真面目に接客する。腹の内は勿論『アッカンベー』である。
「アハハ、あなた面白い人だねえ。今日は良いよ。ありがとう。またね」
とお客様は帽子を取って、丁寧に挨拶してお帰りになった。
ふう、一丁上がり、である。またのご来店はして欲しくない。

一時間ほどして、一人の女性がレジにブーツを持ってやってきた。
「これね、どこのメーカーのなの?」
見ると特売品のブーツである。倒産処分品で、一山いくらで安く仕入れたものだから、置いてある商品はサイズも色もメーカーもまちまちである。箱を見てみたものの、やはりメーカー名の記載はない。
「お客様、こちら生憎メーカー名までは分かりかねます。申し訳ございません」
なんせ、千五百円。間違っても有名メーカーのものでない事だけは確かであるが、その言葉は心の内に引っ込める。
「あら、そう。じゃ、これなんて書いてあるの?」
とお客様が示したのは靴の中敷きに書いてあった文言だった。
『Candy Paradise』
と読めたので、その通りに発音すると、
「なんて意味なの?」
と真面目な顔で訊かれて、答えに窮した。

ちょっと可愛らしいファーの付いた、若向けのデザインである。だから雰囲気的にキャピキャピした感じを出したかっただけの、意味のない小細工だとしか思えなかった。
しかし、お客様は待っておられる。おかしいやろ。なんでそんなこと真面目に訊くねん。吉本のノリやで。とは思ったが、待っておられる限りは答えねばならない。うーん、意訳すべきか。しかしやりようがない。戸田奈津子さんのご苦労が偲ばれる。
ああでもない、こうでもない、と悩んでいるとお客様は、
「じゃあ、食品のお買い物行ってくるから、帰りに寄るわ。その時までに考えて、答えを書いて箱に貼り付けておいて」
とこれまた珍妙なリクエストをすると、食品売り場に行ってしまわれた。
宿題を出されてしまった。

どう訳すべきか。飴と楽園だと『and』がないし、甘い楽園だと『sweet』やしなあ、などなどいろいろ考えたがそのまま、
『飴の楽園』
しかないかな、と思った。しまいに面倒くさくなってきて、もう名詞二つやのに勝手に形容詞にしておかしいけどええわ、とそのまま書いて箱に貼り付けてお客様を待った。出来は兎も角、いくつになっても宿題は早く済ませたいものである。
その内、Nさんが出勤してきた。そこへ件のお客様が帰ってきた。
「出来ました?」
と訊いてくる。Nさんが何気なく箱の文字に目をやって、不思議そうに目を丸くした。
「はい、これかと思います」
と見せると、
「あら、そうなの。じゃ、これ下さい」
とお客様は満足そうに微笑んだ。隣でNさんが必死で笑いを堪えているのがわかる。
お帰りになった後、二人で爆笑したのは言うまでもない。

今日は珍獣?に会う日だったのかしらん。ああ、面白かった。
あれっ、『厄日』じゃなかったのかな。