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憧れのドレス

この年齢になると、襟ぐりが大きく開いたり、肩が大きく出るような服装は自然としなくなる。
今の季節は寒いという実質的な問題もある。手首、足首といった『首』のつく部分は冷やさないようにした方が身体に良い、とも聞く。体調を崩すかもしれないリスクを冒してまで、そんな挑戦的?な服装をする気も起きない。
首元の皮膚に張りがなくなり、年齢を感じさせるようになってくるのも、こういう服装をしにくい要因の一つである。誰も見てはいないだろうけど、鏡に映る自分の首はあまりにも貧相で情けなくなってくる。不細工な自分はなるべく隠したい。私も一応まだ、女の端くれである。

でも本当は、私はデコルテの開いたデザインが好きである。
自分に似合うとは思わないが、華奢な感じがして、儚げで、乙女チックで、物凄く女の子女の子した感じがする。私を甘い気分にさせてくれる。
でも自分では持っていない。
マネキンがこういう商品を着ているのを眺めるのは好きだ。だが手に取ってはみない。試着なんてしたことはないのは当然である。

実は人生で一度だけ、思い切りデコルテの開いた服を着たことがある。そう、ウエディングドレスである。
人生で(多分)一度切りしか着ないものだから、思い切り拘りたい。そう思った私は、ドレスを専門店で選ぶことにした。ホテルの用意するものは値段が高い割にデザインが少なく、自分の着たいものが着られないと思ったからである。
この頃はまだ若く、勿論首の皮は弛んでいなかったが、私は無意識にデコルテを隠すようなデザインのドレスばかり選んで着ていた。
自分にはこういう甘い形のデザインは似合わない、と決めつけて、着る前から諦めていたのである。人生に一度切り、と言いながら、自分の本音は押し隠していた。
しかし、なかなかしっくりと似合うと思えるドレスは見つからなかった。
一緒に行った母も、
「なんか、違うねえ。綺麗なドレスなんやけど、こう、ねえ」
と首をひねってばかりいた。

その時、ショップの担当者が
「在間様、こういったデザインはお嫌いですか?」
と言って、大きくデコルテの開いたドレスを出してきてくれた。
「いやあ、あんまり似合わないかもと思って・・・」
私がためらいながらそういうと、彼女は大きく首を振って、
「いえ、多分お似合いだと思います。これって、背の高い方だとちょっと寒々しい感じになってしまうんですが、小柄な方だとキュートな感じになるんですよ。在間様は丸顔でらっしゃいますから、余計にお似合いだと思います」
とニコニコして、そういうデザインのドレスを沢山出してきてくれた。

ドレスを目にした私は嬉しいような、でも『似合わなかったら恥ずかしいし、どうしよう』といった困ったような気分になって、一人で戸惑っていた。なかなか素直に試着する気にはなれなかった。
自分が着なくても良い母は無責任に
「いやあ、可愛いねえ。案外こういうのも良いかもねえ」
などと、お人形さんの服選びをするように目を細めている。
「そうですよ。ウエディングドレスは普段のお好みと違うものが意外に似合ったりするんです。皆さんそうなんですよ。ちょっと冒険してみませんか?試着ですから、どうぞお気軽に」
母の言葉に力を得た店員にぐいぐい押されるように言われて、私は恐る恐るデコルテの大きく開いたドレスに袖を通した。

鏡に映った自分は、それまでのどのドレスを着た時よりハツラツと、幸せそうに見えた。表情まで明るくなったのである。
「鎖骨がお綺麗だから、こういうデザイン良いでしょう?」
店員が後ろから鏡を覗き込みながら、嬉しそうに言う。
「いやあ、これがエエわ。一番垢ぬけてる!あんた、首元隠さへん方がええわ!」
母も嬉しそうに言った。
鎖骨を褒められたのはこれが初めてだった。ずっと隠してきたから当たり前だけれど、『あなたにも女性として美しい部分がありますよ』と言われたようで、恥ずかしかったけれどとても嬉しかった。

勝手に『似合わない』と決めつけて、心の奥底にある自分の本当の希望に重い蓋をしていた私の、最高に嬉しかった瞬間だった。
当時はそれが自分の本当の気持ちだなんて、気付きもしなかった。あれから何十年も経った今になれば、鏡の中の自分が輝いて見えた理由が分かる気がする。周りの人に背中を無理矢理押される形ではあったけれど、自分の本当の望みを叶えた幸福感からだろう。

お名前も忘れてしまったけれど、あの時の店員さんには未だに感謝している。
そしてデコルテの開いた服を見かけると、あの時の満たされた気持ちを思い出して、ほんのり胸が温かくなるのである。