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『こけこおっちゃん』の焼き鳥

生来の食いしん坊である私の舌には、子供の頃に食べた忘れられない味の記憶があれこれと刻み込まれている。
初めて食べたハンバーガー。透明の手作りゼリー。母の煮てくれた切り干し大根。祖母の定番の身欠きにしんとナスの煮もの。冬のおやつの蒸しパン・・・それらは『美味しかった』という味の記憶と一緒に、食べた時の楽しく幸せな気持ちが、強く長く印象に残っているのだとしみじみ思う。

そういう子供の頃の思い出の食べ物の一つに、『こけこおっちゃん』の焼き鳥がある。
これは出来上がった状態のものではなく、自宅で焼くものだ。
子供の頃近所に時々、この焼き鳥を販売する車がやってきた。お世辞にも綺麗とは言えない感じの、グレーの幌をかけた白い軽トラックだったと思う。
団地内にこの軽トラックが入ってくると、
『えー、こけこおっちゃんの焼き鳥です。一本○○円、一本○○円』
という声が、大音量でスピーカーから繰り返し流れる。
『こけこおっちゃん』というのは商標だったのだろうか、未だに良くわからない。今調べてみてもそんな焼き鳥のブランドはない。『こけこおっちゃん』でいくら検索をかけても全くヒットしない。だから多分、地域の小さな鶏肉屋さんが、移動販売で時々売っておられたのだと思う。

父はこういうものが大嫌いな人だったから、この焼き鳥が食べられるのは父が飲み会や出張で不在の時に決まっていた。『こけこおっちゃん』の声が聞こえてくると、公園で遊んでいても家に飛んで帰って
「おかあさーん!『こけこおっちゃん』来てる!!買って来ていい?」
と言って、貰ったお金を握りしめて買いに行く。
こんなに楽しみにしていた癖に、どんな人が売っていたのか、いくらくらいだったのか、残念ながら全く記憶にない。余程食べる事ばかり考えていたらしい。子供なんて現金なものだ。

買いに行くと後ろの幌を開けて串を取り出し、ビニール袋に希望の本数を入れて手渡してくれる。串にささった鶏肉は、どろりとしたたれに漬けられた状態で売られていた。
このたれは甘辛く、普通に食べる焼き鳥とは随分違っていた。見た目と味の印象としては、みたらし団子のたれが近い。多分醤油やみりん、砂糖などを使ったものだったのだろう。
大人になった今だったらちょっと敬遠してしまうかも知れないと思うが、当時はこの甘辛いたれが大好きで、焼いた後袋に残っているたれも舐めたい、と思うくらいだった。

焼き鳥のグリルなんて勿論家にはないから、焼くのは専らホットプレートであった。母と妹と三人で、香ばしい匂いの立ち昇る鉄板を見ながら、じっと焼き上がるのを待つ時間は幸せそのものだった。
普段は家で焼き鳥なんて食べなかった。焼き鳥と言えば父が飲み屋で食べてくるもの、と思い込んでいたから、こけこおっちゃんの焼き鳥は私にとってはちょっと背伸びした、『大人の味』でもあった。

何歳くらいまでこの焼き鳥を食べていたのか、本当に記憶がない。多分母も覚えていないだろう。
気が付くと、いつのまにか『こけこおっちゃん』は来なくなっていた。私達も大きくなり、やがて父のしていたように、居酒屋で焼き鳥を食べるようになった。だからあの『こけこおっちゃん』の焼き鳥の味が、普通の焼き鳥とは全く別なものだったことに気付いたのは、大人になってからである。
夫にも訊いてみたが、そういう移動販売は記憶にない、というから、多分本当に地域限定の味だったのだろう。

独身の時はお気に入りの焼鳥屋さんがあった。結婚してからも、何度か夫婦や家族で色んな店に焼き鳥を食べに行った。どこの焼き鳥も美味しかった。
でもどの店でも、あの『こけこおっちゃん』の焼き鳥を食べた時ほどワクワクしなかった。
もう食べられない味だと思うからか、焼けるまでの時間が楽しかったからか、それともただ未知の味が珍しく印象が強かっただけなのか。
時折、無性に食べてみたくなる焼き鳥である。