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律儀な饅頭屋

子供の頃から和菓子が大好きだ。洋菓子も好きだが、お腹の弱い子供だったから、そういう心配なく食べられる和菓子の方が良かった。
甘さが諄くなく、後口が良いのも気に入っていた理由の一つだったと思う。

祖父母宅の近所に、小さな饅頭屋があった。そこそこ歴史もあるようだったが、なんと言うことはない普通の饅頭屋である。
春になれば花見団子、お彼岸にはおはぎが通りに面したガラスケースに沢山並べられていた。前を通る度に美味しそうだなあ、と指を咥えて横目で眺めていた。

祖父母は世間一般と同じく、孫を喜ばせることに一生懸命だったから、そんな私の様子を見逃さなかった。いつもどれが食べたいのか尋ねられ、食いしん坊の私が一つに絞りきれないのを知ると、店員に私が指した物の他にも何種類かの饅頭や団子を包ませた。
今のように綺麗なプラスチックケースに入れるのではなく、内側に蝋をひいた紙に包まれて簡単に紐をかけられ、袋に入れて渡された。
あんこや団子といったお菓子は洋菓子に比べると重量がそこそこあり、祖父母が沢山言うものだから、持たされると結構重いな、と思った覚えがある。

夏に私が楽しみにしていたのが水無月というお菓子だった。ういろうの上に小豆を敷き詰めた、この時期だけ出回るお菓子である。
饅頭屋の前を通ることがわかっている時は、必ずおねだりして買ってもらっていた。
時々何かの都合で店頭に並んでいないことがあると、私はがっかりした。そんな私の様子を見た祖母は、旧知の店員に売り切れかどうか尋ねるのが常だった。

ここの店員は全員家族で、祖母の質問に、
「おーい、水無月何時ごろ出来るんや?」
とすぐ側の作業場にいる人間に向かって聞いてくれた。そして、
「○時だったら蒸し上がります。出来上がったらお届けしましょうか?」
と言ってくれた。
今でこそそういう宅配もあるが、まだ昭和の時代である。家ではスーパーにしか行ったことのない私はびっくりしてしまった。
が、祖母は平気で
「ほなお願いしよかしらん」
と言って他のものと一緒に届けてくれるように頼んで、びっくりしている私を促して店を後にした。
こんな時、店主夫婦はいつも揃って店の外に出てきて、
「すぐにご用意出来なくて、えろうすんません。出来上がったらすぐにお持ちしますんで」
と深々と頭を下げた。
「丁寧なお人や」
と祖母はよく笑っていた。

私が行く度に大量?の饅頭を買うものだから、私は饅頭屋のご主人に
『饅頭の好きなお孫さん』
として記憶されてしまった。用事があって近くを通ると目ざとく見つけて、
「いつもおおきに」
と大きな声をかけてくれるので、買うつもりで来ていないとなんとなく祖母も私もバツが悪いような気分になり、
「ちょっとだけ買うて行こか」
ということになった。商売上手だったのかも知れない。

私が帰った後も、祖父が近所を歩いていると
「いつもお世話になっております」
と大きな声で挨拶されるのだ、と言って祖父は苦笑いしていた。
祖父母宅とこの饅頭屋の間には、西大路通という大きな道路が通っている。饅頭屋の店主夫婦は、この大通りの反対側にいる祖父を目ざとく見つけて挨拶してくれるので、周りにいる人は何事かと思ってキョロキョロするものだから、祖父はちょっと恥ずかしいらしかった。
「商売熱心な夫婦やのう」
と祖父は笑いながら言っていた。

祖父母が亡くなった時、店主は葬儀にきてくれた。いつも白い作業着姿しか見たことがなかったから、喪服姿の店主は違う人のような気がした。

今でも水無月を見ると、美味しかったなあ、と幸せな気分になる。そして丁寧な店主夫婦と優しかった祖父母を懐かしく思い出す。
店は代替わりして今も同じところにある。改装もせず、ずっと昭和の佇まいだ。
すぐ近くに祖父母の眠る寺がある。