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楽しみ方は人それぞれ

今、私のいる楽団のクラリネットパートには落ち着かない雰囲気が漂っている。

夏のコンクールをまずまずの成績で終えた後、現在は2月に開催する定期演奏会に向けて、候補曲の試奏と個人練習を交互に行っている。
クラリネットパートは、超高音域を担当するE♭(エス)クラリネット、主にメロディーを担当する1st、メロディーのハモリを担当する2nd、中~低音域のリーダー的存在となる3rd、木管低音の重鎮バスクラリネット、の5つのパートに分かれている。

私はちょっと前に、コンクール終了後はE♭クラリネットへ、という異動の内示?を受けていたので、今はこれを吹いている。あとはなんでも器用にこなす若手のTちゃんがバスクラリネットに移り、特殊管二人はめでたくこれで落ち着いている。

問題は特殊管以外である。
コンミスである団長が、いきなり3rdのトップに異動したのだ。
「もう隠居する」
というのが団長の言なのだが、まだそんな歳ではない。みんな驚いて不思議がっている。
団長が自分の後継に据えたのが、新人のS君である。彼は私より少し後に入団した。明るくてあっさりした良い子、というのが私の印象である。
何より、文句なしに上手い。高校生の時は吹奏楽、大学ではオーケストラを経験しており、音質も音程も良いし、フレージングも流れるようで聴いていて心地良い。ポップスを吹いても安定のリズム感の持ち主でもある。特殊奏法も難なくこなす。音大出ならともかく、専門教育を受けていない人でここまで上手い人を私は初めて見た。
元プロオケ出身の音楽監督のN先生も、
「いやあ、君上手いねえ!」
と手放しで褒めるほどの技量の持ち主である。

ところがこのS君、吹奏楽にそんなに”必死”ではない。
県内にある、全国でもトップクラスの楽団に見学に行ったものの、
「軍隊みたいでなんか楽しくなさそうだったんで」
と入団を見合わせ、適度に『ゆるい』ウチの楽団に入ることにしたそうだ。
あなただったら絶対入れるのに、とみんなで言ったら、
「そこまでしたくないです」
としれっと言う。
コンクール直前の日曜練習の日、参加できないというので理由を聞いたら、
「その日、フットサルの試合なんです」
と隠しもせずいうので笑ってしまった。彼なら本番もきっと大丈夫だろうと思っていたし、実際大丈夫だったのは言うまでもない。
吹奏楽に対して”必死”ではない。楽しみの一つ、という感じなのだ。
肩の力の抜け加減が面白いなあ、と思っていつも見ている。

そんな彼がいきなり次期コンマス、と指名された。
彼にしてみれば寝耳に水である。
「僕、そんなつもりないですよ」
用意された椅子を前に、戸惑い気味である。しかし、彼を置いて他にコンマスを引き受けられる者はいない。
それはきっと、彼自身もわかっている。でもそこまでやりたくないのだ。

バスクラリネットのTちゃんと私の特殊管チームは蚊帳の外なので、
「S君、受けるかな。外堀埋められたって感じやねえ」
「どうでしょうねえ。Sさんって『嫌なことは嫌』っていうタイプじゃないですか?」
と興味津々で成り行きを見守っている。

夢中になれることは素晴らしい。だが、夢中になることを他人に強要出来るものでもない。
若いんだもの、なんでも楽しめば良いやんか。
彼の事を「やる気が感じられない」なんて悪く言う人も居るが、必死になるのが正しくてそうじゃないのが間違いなんて誰にも言えない。
ルール破りはいけないが、彼はそんなことはしない。その上で、自分の『楽しい』を最大限尊重しているだけなのだと思う。それも一つの楽しみ方だろう。

団長へのS君の返事は、
「ちょっと考えさせて下さい」
だったそうである。
彼をコンマスに据えたい団長の気持ちも物凄くわかる。コンマスの力量と人格はバンド全体に影響するからだ。
「若い世代にバトンタッチすることはいつも頭にあった」というから、S君が入団した時からチャンスを狙っていたのだろう。

S君の返事をパートのみんなが固唾を飲んで待っている。
かく言う私は、
「あ、引き受けます」
という彼のかるーい返事を大いに期待している一人である。
彼がこれからも私達と一緒に、気軽に演奏を楽しんでくれるよう、切に願っている。彼ならそう出来る筈だから。