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祝・心臓に毛

この前のとても暑かった日のことである。私がレジに入っていると、一人の初老の男性が汗をかきかき、私の居るレジにやってきた。
「これね、返品したいんだけど」
おもむろに袋から取り出したのはヘルメット。自転車に乗る際に着用が推奨されてから、購入される方が増えている。本来はウチではなく隣の自転車売り場のレジで打つものだ。が、自転車売り場は修理業務も行っている上に、社員がMAX二人しか居ないのでレジが空になることも多い。お支払いを希望されるお客様が商品をお持ちになって、
「お勘定ここでも良い?」
と仰る時はこちらで対応している。忙しい時はお互い様だ。

本来、他の売り場の商品を返品に来られた場合は、その売り場に直接行って頂くか、インカムで売り場担当者に了解を取ってから返品を受け付ける。が、明らかに再販(戻ってきた商品を他のお客様にもう一度売る)しても問題ない、と判断できる場合は受け付けてから事後報告で済ませることもある。
自転車売り場を見に行ったが、丁度修理のお客様が三人待っている状態のようだった。二人共忙しそうだ。これは頼めない、と思い早々に引き返してきた。
ヘルメットを見る限り値札もついているし、レシートもお持ちだ。しかし、一応マニュアルではこう聞くことになっている。
「何か不都合ございましたでしょうか?」

お客様は
「色がさあ、気に入らねえんだよな」
と顎を上げた。さよか。じゃあ最初から買わんといたらええのに、とは思ったが、そんな事はおくびにも出さず、
「さようでございますか。では一応商品を点検させて頂きます」
と言ったらお客様の態度がコロッと変わった。
「そのまま持って来たって言ってんだろ!返品させろよ!」
目が怒っている。レシートの日付は三日前だ。そのままだったと言われたって当日すぐ来られたのではなく、お客様の手元に渡ってから三日間という時間があるのだから、点検する必要がある。
どうも気温が高くなると、お客様の導火線に火がつくのが早くなるような気がする。

ちょっと前まではこういうお客様にビビっていた。が、最近また心臓に毛がボチボチ生えてきた。知識は一向に身につかなくても、度胸だけは身に付く、おばはんの怖い習性である。
「はい、承っております。誠に申し訳ございませんが、見させて頂く決まりでございますので、改めさせて頂きます」
我ながら肝座り過ぎだと思うくらい、落ち着き払って答えながらヘルメットを手にした。いつの間にか横にMさんが来て、固唾をのんで見守っている。こういうお客様が来た時、レジには独特の緊張感が走るから、売り場に居ても何となくわかる。察して駆けつけてくれたのだと思う。
お客様はチッと舌打ちしながら、レジ台に腕をついて私を睨む。その目にニッコリと微笑み返しながら、さっさとヘルメットを点検した。異常なし。再販可能だろう。
「ありがとうございます。お待たせいたしました。では返品を受け付けます」
そういうと、お客様はホッと表情が緩んだ。欲しくもないヘルメットをこのまま買わされることになったら嫌だなあ、と思っていたのかも知れない。

返品作業をして、お客様にお帰り頂くと
「凄い!ちゃんと対応できましたね!でも怖くなかったですか?」
とMさんが心配してくれた。十五年ほど年下の彼女に心配されたり褒められるのは、なんだかくすぐったい。
「原則は『規定通りに説明する』ですよね?」
と言ったら、
「そうなんです。でも相手によってはとても難しい時がありますから。毅然とした態度を取るのが必要なんですが、怖い方もいらっしゃいますし。見極めは難しいですよね」
とMさんは言っていた。その通りだと思う。私は運が良かったのだろう。

不遜な態度はいけないが、お客様に言われっぱなしでもいけない。こちらのルールをお伝えして、ご理解頂くことが必要なのだが、説明してもわかって頂けない方もいらっしゃる。
思うに、こちらが『これはこういう理由でどうしても守って頂きたいのです』ということを自信を持って伝えることが出来れば、かなりの確率でお客様にわかって頂けるかと思う。それには自分がその理由に腹落ちしていないといけない。
今回は再販可能かの判断が必要、というちゃんとした店の理由に納得していたから、私も自信を持って対処できた。その自信が堂々とした態度に繋がったのだと思う。
まあそれでも言うお客様は言うのだけれど、それは自分のせいじゃない。しょうがない、別の星の人間だ、と諦めるしかない。

それにしても、返品は面倒くさいから、嫌いだ。
暑い中折角お運び頂くのだから、お客様にはよーく考えてからお買い物頂きたいものだ。でないと心臓に毛の生えたおばはんに、嬉しくない対応をされますよ。