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鶴、後を濁さず

女性と言うのはいくつになっても、イケメンが大好きである。男性だって、幾つになっても美女には鼻の下を伸ばすのだろうから、人間そんなものだ。私だってイケメンは大好物である。

前の職場で二番目にお世話になった社員のSさんが転勤して来る前は、こんな噂で持ち切りだった。
「山Pに似てるって」
「○○大(某国立大学)の経済学部出てるんやって」
我が職場での絶滅危惧種、エリートのイケメン君だという。どんな人がやってくるのか、若い女子社員のように騒ぎはしないけれど、私も興味はあった。

Sさんは三十代前半、といったところだろう。細身で小柄な人だった。
着任してすぐ、私達パート一人一人のところにやってきて、
「本日からお世話になります、Sです。よろしくお願いします」
と照れ臭そうに笑いながら、聞き取れないくらいの小さな声で、丁寧に挨拶してくれた。
確かに山P(俳優の山下智久さん)に似ている。細い縁のフレームの眼鏡がよく似合って、いかにも知的な感じに見えた。
「賢そう~」
「やっぱ違うねえ」
何が違うのか、ちっともわからないが、みんなそんな風に噂しあった。

Sさんの仕事の仕方は、それまでの担当者とはちょっと違った。
着任してからの数日間、全ての棚の商品出しを黙々とやったのである。普通はざっと最初に棚を見て回るくらいで、バイヤーは商品出しなんて殆どしない。だが、Sさんは駄菓子から米まで、一週間ほどかけて担当している商品を一通り出して回った。私達との会話はほぼなく、作業も早い。
「Sさん来るとプレッシャーやわ」
なんて言う仲間もいたくらいだった。
ところが全ての棚を回り終えると、今度は事務室のパソコンの前に座りっきりで、滅多に売り場に出て来なくなった。
「なにー?最初だけ手伝ってくれたん?」
と不満を言う人もいた。

ところが、である。Sさんがきてひと月ほどすると、様々な変化が表れてきた。
先ず、売れ筋商品の在庫が常に豊富にある状態になった。倉庫は綺麗に整頓されていて、何がどこにあるかが誰でも一目でわかる。
賞味期限切れで廃棄したり、期限が近づいて見切り売りする商品は殆どゼロに近くなった。
値段の入力ミス、発注もれなどもない。
売り上げは当然上がっていった。私達も仕事がとてもしやすくなった。

こういう時、
「どや、オレのお陰で業績上がったやろ?」
という顔をする人がとても多いが、Sさんは全然しなかった。謙遜している感じではない。特に嬉しそうでもない。ただただ、業務を効率よくこなすことにのみ、注力しているように見えた。でも仕事が好きなようには、どうしても見えなかった。
『取り付く島もない』というか、愛想がないというか、表情も乏しかった。話しかけても無駄話は一切しない。第一、売り場に出てこないから、そもそも話が出来ない。
一体どういう人なんだろう、とみんな首をひねっていた。

パート仲間で一番高齢の、Nさんという人がいた。この人は社員がサボっていたりすると容赦なく、
「そんなことしてたら、いずれ自分が損するねんで。とっとと仕事に戻り!」
と平気でお説教をするような人だった。
この人が何故か寡黙なSさんと物凄くウマが合い、色々本音を聞き出していたのは、なんとも不思議なことだった。

NさんによるとSさんは大学四年生の時、全く就活をする気になれず、そのまま卒業してしまったらしい。アルバイトで塾の講師などをボツボツやっていたが、そのうち父親が癌になり、余命を切られてしまった。安心させてやりたくて、取り敢えず就職したのがここだったそうだ。
「『ここはな、あんたみたいな優秀な人がいるとこと違うで。あんたは掃き溜めに鶴やで。早うどっか転職し。その方がお父さんも喜ぶわ』って言うたら笑ってはったけどな」
Nさんの言葉にみんなで、
「確かに、Sさんはこの職場には勿体ないくらい優秀やなあ」
と笑いあっていた。

そんなある日、店長が朝礼でSさんの退職を告げた。突然のことで、みんなびっくりしてしまった。
県内にある大手メーカーに転職が決まったとのことだった。みんな残念がったが、Sさんならさもありなん、と妙に納得感があった。
退職を前に、Sさんは丁寧に職場を掃除し、机をこれ以上出来ないくらい整頓していた。
『立つ鳥後を濁さず』を実践しているようだった。淡々と作業を続ける姿を見ると、ちょっと見捨てられたような、寂しい感じがした。

Sさんの退職日は私の公休に当たっていたので、私は買い物ついでにSさんに挨拶しに店に赴いた。
「Sさん、お世話になりました。ありがとうございました」
売り場で最後の発注に余念のない様子のSさんを見かけて、声をかけた。
Sさんは驚いた様子で振り向き、照れくさそうな笑顔になった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「お邪魔してスイマセン。今度は全然毛色の違う仕事ですか?」
「ええ、製造管理です」
「そうですか。お元気で」
「ありがとうございます」
Sさんは少しニッコリすると、また発注を始めた。私はちょっと苦笑いして店を後にした。

翌日事務所のSさんの机の上には、短い礼状を添えたパート宛のお菓子と、この先一週間分の売り出し商品のポップがキチンと揃えて置いてあった。
少しの期間しかご一緒出来なかったが、何故か忘れられない人である。