ベートーヴェンの「第八」

 日本では年末になるとベートーヴェンの交響曲第9番(「第九」)が盛んに演奏されるのが風物詩ですね。実際これによって多くの声楽家やオーケストラ奏者が仕事の場を得られるわけで、日本の西洋クラシック音楽界にとって相当な恩恵があることでもあると思われます。

 と言いつつ私自身は実は「第九」をあまり聞いたことがないことをここに白状しましょう。もちろん先輩や仲間が心血を注いでいる舞台を観たいと心から思っていますし、応援したい気持ちもあります。ただ正直なところ私はあの作品が少々苦手なのです。何しろ非常に長大ですよね。第一楽章の冒頭から第四楽章の終わりまでを全く居眠りせずに聞き通すという過去数回かの挑戦は、全て失敗に終わっています(苦笑)

 そもそもの私の好みの傾向として、頭にハチマキしてコツコツと捏ね上げるような音楽は私の肌にあまり合わないようです(もっとも「第九」という作品の気質をそのように単純に一面的に捉えてよろしいものかという問題はあるのですが)。それよりもむしろ、翼の生えた靴であちこち飛び回るような「いい加減な」音楽を好みます。そう、例えばベートーヴェンの交響曲第8番のような。

 この「第八」は(標準的な演奏時間で考えれば)ベートーヴェンの最も小さい交響曲と言えるでしょう。しかし私たちはその中で、四つのしなやかなユーモアに満ちた楽章をじゅうぶんに楽しむことができます。気品をたたえながら人懐っこく、まるでシャンパーニュの泡のように聞き手を愉悦へと導いてくれるのです。私がとりわけ好きなのは第一楽章ですが、冒頭から大らかに腕を広げて歓迎するような主題が挨拶を送ってくれます。それから私たちはほどなくして可愛らしい円舞へと案内されるのです。パートナーを代えながら円舞は高揚し、乾杯の大歓声へと至るのです。宵が深まってきて、宴の裏側で繰り広げられる個別的な人間模様。それはときに甘酸っぱく、ときにほろ苦いものかもしれません。そして新しい日が昇ります––––。

 大規模な作品を名作だと誉め称えることは簡単です。大規模であるというだけでそこにはわかりやすい「すごさ」があるからです。その一方でさりげなく人の心を軽くする知的な魔法は、一見その「すごさ」がわかりにくいのです。もちろん両者はそれぞれが「価値」であり、私は優劣を主張しようとしているのではありません。ですから皆さん、この年末は良ければ「第九」と合わせて「第八」を聞いてみてはいかがでしょうか?

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