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【エッセイ】 金木犀の香り

人間が忘れていく順番は、聴覚・視覚・触覚・味覚そして最後に嗅覚らしい。

小さい頃、庭の中心に大きな金木犀の木があった。祖母はそれが私が生まれるずーっと昔からある木だと教えてくれたことがある。
秋になると、大きな金木犀の木は緑から黄色に変わり、家中に金木犀の香りが充満する。木の枝を揺らすと黄色の小さな花がシャワーのように降ってくる。よく、枝を揺らしていた私は父親に怒られていたのを思い出す。

私はそんな実家の金木犀の木が大好きだった。
私が高校生の時庭の中心に咲く、あの黄色は消えた。それは、私は高校3年生で暑さがまだ続いて、金木犀が咲く前の季節。私がひとり暮らしする物件を決めてすぐだった。

実家が恋しく感じることはほぼ無い。いや、元からそんなに寂しくなることもなかった。祖母には、用がないと帰ってこないとよく小言を言われたりもする。
ひとりで暮らしてみて分かったことがある。私は人と暮らすことが苦手だったんだなと、引っ越して気づいた。

ひとり暮らしを始めて、初めての秋のことだ。
1人で買い物をしていたとき、初めて入った雑貨屋さんで懐かしい匂いがした。それは私が好きな、あの、金木犀の香りだった。
秋には金木犀の香りのグッズが多く出る。ルームフレグランスだったり香水、ハンドクリーム、ヘアミストなど。
まるで金木犀の匂いに取り憑かれた様にいろんなグッズを買いあさった。どんなものでも、私が実家で嗅いでいたあの匂いとは少し違った。本物の金木犀の香りに近いなんて口コミに書いていても私には全然違ってみえた。

私の、あの、好きだった匂いはどこに行ったのだろう。取り憑かれたように買っていた金木犀の香りのグッズを私は使い切ることなくしまった。
あれから金木犀の香りを買うことはなくなった。
多分、私が好きだった香りはただの金木犀の香りじゃない。
あの庭にあった、あの金木犀の木を、あの家で嗅ぐのが好きだったのだろう。

秋になると、思い出す。
もう1年以上も帰っていない、もうそこにない金木犀の香りがずっと私の中に永遠と住み続けている。


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