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【小説】極秘任務の裏側 第5話

 一ノ瀬は本社前の大通りに出た。今度はどこへ向かうか、ちゃんと把握している。
 つまり……L38を盗み出したのは10歳の銀次郎で、彼は何者かのターゲットになっている可能性があるため、今は護衛がついているということだよな。そして肝心のL38は行方不明……と。ふむ。護衛はたしか「エンヤ」という名前だったか。その護衛の人から情報をもらわないといけないな。どんな人なんだろう。護衛をするくらいだから、屈強な男性かな。筋肉とか、こう……一ノ瀬はスーツの上から自分の頼りない胸板を撫で、溜息をついた。多くの人が筋トレにハマった経験があるように、一ノ瀬も高校の時に1回、大学の時に2回くらい筋トレに夢中になった時期があったが、努力も空しくなんの成果も得られずに終わった。いや、成果を得られる前に終えてしまうといった方が正解だろう。そもそも、汗を滴らせながら筋トレをするという行為が一ノ瀬にはあまり向いていない。彼はストイックという言葉からかけ離れた人間なのだ。それでも、逞しい肉体には憧れがある。努力しないであの体になれたらいいのに……と言っている人間には絶対に手に入れられないものなのだが。

 電車に乗って、先程の駅に戻ってきた。ここら辺に銀次郎と護衛の「エンヤ」がいるはずだ。
「ごめんごめん! ターゲットは?」
「え?」
 振り向くと、軽く駆け寄ってきた男。まさかのケイである。また当たり前のような顔をして隣にいる。
「連絡しようと思ったんだけど、今会社のスマホしか持ってなくてさ」
「いや、あのさケイ」
「うん?」
 しまった。ハラダさんはなんて言ってたっけ。ケイの追跡って、どうすればいいんだ? 目の前にいるけど。このままハラダさんのところへ連れて行けばいいのか?
「ちょっと、一緒に本社に来てくれる?」
「いいけど、あとでね。今はターゲット追わなきゃ」
「いや、そうなんだけど……。ていうか、そもそもおまえ、ターゲットって……」

 ん? こいつって……スパイなんじゃないの? いや、絶対そうだろ!

一ノ瀬は確信した。今まで謎過ぎて逆に気づかなかったけれど、よく考えたらスパイ以外にありえない。そう思ったらすべてに納得した。
それでどうする? スパイだとして、どうすればいいんだ? 目の前でハラダさんに電話をかけるわけにもいかないし。あー! なんで聞かなかったんだ! ちょっと前までケイのことで頭がいっぱいだったはずなのに、銀次郎の話を聞かされたり、ボスに会ったりして、ケイの対策が頭から抜けていた。どうしよう……臨機応変、臨機応変……。一ノ瀬は心の中で四字熟語の呪文を唱えた。

「なにぼーっとしてるの?」
 頭の中で必死に考えを巡らせているつもりだったが、ケイの目にはぼーっとしている一ノ瀬しか映っていなかった。
「いやー……こういう時ってどうすればいいのかな?」
 一ノ瀬は、まさかの本人に聞いてしまうという愚行に出た。
「なにが?」
「だから……ほら、おまえあれだろ、スパイ」
「はあ?」
 ケイは呆気に取られている様子。違うのか? いや、絶対そう。
「仮にそうだとしてその対応はどうなの? 間違ってるよ、いろいろ!」
「いや、違わないね。おまえはスパイだ」
 一ノ瀬は久しぶりに自分の感覚に自信が持てた。今日は一日、頭の中が疑問符だらけだったけど、今は胸を張って大きな声で言える。こいつはスパイだ!!
「違うって。信じてよ、一ノ瀬」
「信じてよじゃないよ! そもそもおまえ誰なんだよ!」
「はあ?」
 ケイは再び呆気に取られている。
「本気で言ってる?」
「え? いや、だって知らないよ……あれ?」
「知ってるじゃん。普通に話してたのに、なんなのいきなり」
 ケイのことを改めて見てみる。チャラい雰囲気だけど爽やかで、うっすらメイクしてるよな? たぶん男。任務だとか言ってる割に、細いパンツにおしゃれなジャケットなんか羽織っちゃって。自分は任務だからと、着慣れないスーツを着てきたのに。……会社の人間っぽくないよなぁ。いや、ボスがあんな感じだったし、本社では意外とみんなこんなだったりして。
そういえば……なんかずっと懐かしいと思っていたけど、この匂いだ。香水? この匂い……なんだっけなぁ。
「やっぱ、俺知ってるのかなぁ、ケイのこと」
「今更なんなの。どう考えてもおかしいのは一ノ瀬の方だよ」
 なんかそう言われてみれば、自分がおかしい気がしてくる。
「ねえ、俺たちが初めて会ったのって――」
「今思い出話してる場合じゃないでしょ。いい加減にしてよ。銀次郎はどこなの!」
「え?」
「は?」
「なんで銀次郎君のことを知ってるの?」
「ターゲットでしょ? 目を離しちゃだめだよ」
 そうだった。一ノ瀬はついさっきまで何も理解していなかったけれど、ケイは最初から何か知っていた。銀次郎までしっかり把握していたのか。
 えっと……ターゲットとは、やはり銀次郎だった……つまりハラダも知らないミクブロ部外者のケイはL38を狙っているのだ!
「なあ、ケイ。その情報、どこから聞いた?」
「え」
 珍しくケイが少し動揺しているように見える。
「おまえは誰からの任務で動いてるの?」
「やだなぁ。一緒にいたじゃない、雑居ビルでさ」
 一緒にいたかは未だに謎なのだ。だってあの時、気づいたらケイがいたわけであって、いつから隣にいたのかわからない。しかしそれより――
「あの時、スマホの相手はハラダと名乗った。俺は俺の知ってるハラダさんだと思ったんだ。でも違った。あの偽物は誰なんだ?」
「いやぁ……ハラダなんてよくある名前だし……」
 ケイは目を泳がせている。
「違う! たしかに俺の知っているハラダさんの『フリ』をしていた! 意図的に嵌めたというか、これはあれだ、あれ……えっと……騙しみたいな……さっき使った言葉なんだけど……あれー出てこない……」
「詐欺?」
「それ!」
「あるよねー、簡単な言葉が急に出なくなっちゃうやつ。まだ若いのに……はは」
 しまった。一気に畳み掛けるチャンスだったのに、妙に和やかな雰囲気になってしまった。
「ねえ、ケイ。ふざけてないでさ。ちゃんと教えてよ」
「悪いけど話すと長くなるんだよ。とにかくスパイじゃないから! いや、ある意味……? いや、スパイではない……のかなぁ?」
「怪しすぎるよ! もう俺どうすればいいの……。ハラダさんに電話していい? 本物の」
「いや、それはやめよう」
「おまえに決定権なんかないよ!」
 一ノ瀬はポケットからスマホを取り出した。
「まてまてまてまて」
 ケイが一ノ瀬からスマホを取り上げた。
「何が最優先なのか、よく考えようよ」
「どういうこと?」
 目の前にスパイらしき人物がいて、その人物の意見を大人しく聞いている一ノ瀬。聞く力は大事だが、誰の話を聞くべきなのかはよく考える必要がある。
「今、僕らは銀次郎を追っている。彼がL38を持っていて、それを狙う危険な人物から守るためだ。そうだね?」
「えーっと……」
 そうだったような気もするけど、それは誰の任務だ? よくわからなくなってきた。たしかに銀次郎を守るためにって話もあったっけ? なんか微妙に違う気が……。
「いや、違う! L38はもう他の人物に渡ってるんだよ! だからその話をきくために……やば!!」
 一番言ってはいけない相手に情報を漏らしてしまったではないか! ケイのやつ……なんてテクニックを使ってくるんだ。しかしこれは本当にまずい。今から誤魔化せる気がしない。
「っていうのは嘘でー」
「他の人物って? どういうこと?」
「いや、今のは間違い。銀次郎君が持ってる。ほんと」
 ケイはもう一ノ瀬の話を聞いていなかった。斜め右方向を睨みながらじっと考えている。何を考えているのだろう。考えさせちゃだめだ。どうにかしないと。
「ねえ、ケイ。そういえばケイの趣味ってなに?」
「麻雀」
 ケイは一ノ瀬を振り返りもせず、明らかに別のことを考えながら短く答えた。
「麻雀かー……」
 だめだ。どうしよう。ボスやハラダになんて言えばいいのか。一ノ瀬は泣き出したいのと逃げ出したいので胸が破裂しそうになり、脳が動きを止めた。ふう。もう、しゃーない。流れる雲を眺めてみた。今何時くらいだ? 社長室の前で待たされていた時、からくり時計が2時を知らせていた。お昼食べ損なっちゃったから、あとでボスにもらったクッキーでも食べよう。

「じゃあ、僕いくね」
「え! どこに」
「ボスのところに」
 そういうとケイは、先程一ノ瀬から取り上げたスマホを返した。一ノ瀬はスマホのことなどすっかり忘れていた。
「え、ボスってどのボス?」
「君は僕とは別の任務中なんでしょ? またね、一ノ瀬」
 去っていくケイを見送りながら、この匂いなんだっけなぁ、と残り香が消えるまで立ち尽くしていた。


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