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ワイン風呂と風のベンチ(“ことば”と“意味”をめぐる対話 第二回)

小伝馬町の本屋「ほんやのほ」の店主、伊川佐保子さんと、国分寺の「語学塾こもれび」の塾長、志村響さんによる"ことば"と"意味"をめぐる往復書簡。第一回は伊川さんから志村さんへのいろは歌付きのお手紙で、「言葉の抜け穴」がテーマでした。
第二回は、志村さんから伊川さんへのお手紙。「ワイン風呂」と「風のベンチ」という何やら不思議な言葉が並んでいますが、さて、その真相やいかに。 (編集:ことばの本屋Commorébi(こもれび)秋本佑)

伊川さん、唐突ですが、「ワイン風呂」ってご存知ですか?並べただけでゲシュタルトが崩壊しそうですが、なんと実在するみたいです。大きなホットワインみたいで趣があるじゃない、ってまさか飲まないと思いますけど…

と、のっけから何の話をしてるんだろう?と不安にさせてしまったかもしれませんが、これからワイン風呂の効能について熱弁を振るうわけではないのでご心配なく。僕がしたいのは、あくまで言葉の連想ゲームです。でもワインと風呂?接点は「液体である」というくらい、、 種明かしはもう少し待ってくださいね。

お手紙、ありがとうございました。「同じ言葉なんてありえない」、読みながらハッとしました。そういえば僕も普段の授業で “同じようなこと” を言っているな、と思い当たりました。

それは外国語参考書の例文についてです。なんでもいいのですが、〝 私は今朝8時に起きました 〟とか〝 明日は雨です 〟とか、どんな簡単な例文であったとしても言葉は発された途端「毎回違う生命を宿してしまう」し、「それは常に状況や語りとともに変化して」います。0時寝と5時寝じゃ8時起きの質は違うし、晴れ続きの冬なのかどんより湿った雨季なのかで明日の雨の重みも変わりますよね。文脈(“発話状況” と言ったりもします)から切り離された言葉は離陸せずに飛んでいる飛行機のようなもので、きっとどこにも着陸できないでしょう。 

話が逸れましたが、「言葉の抜け穴」という響きがすごく気に入りました。自分の城に籠らないように、少しでも風通しがよくなるように。伊川さんにとっては詩や回文が、言葉の城の抜け道になっているんですね。
普段使っている “日本語” なのに、使いようによってはどこまでも、意味を剥がして転がして、またパン粉みたいに意味をまぶして自分だけの出来立ての言葉が生まれるんだということを、伊川さんの言葉使いを見ているといつも感じます。すごい、本当に。

僕はというと、自分の「抜け穴」を見つけるのに少しだけズル、というか裏技を使いました。何かと言えばもちろんフランス語です。この、二つ目の言葉を手にする感覚というのはなかなか上手く表現できないのですが、僕の中のイメージは、日本語のボーダーにフランス語のストライプがかかって格子模様になるような感じです。あるいは池に、二つ一緒に小石を投げ入れて、その波紋が重なったところで交差するような…。ともかく、おかげで僕の城には抜け穴どころか、風穴が開きました。母語と違った言語を学ぶというのはそういう危険、暴力に身をさらすことでもあると思っています。

ところで僕は伊川さんもご存知の通り、大学では言語学を専攻していました。なかでも音声学、音韻論と呼ばれる分野を中心に勉強したり、自分でフランス語を教えるときも発音に重きを置いていたりします。
音韻論の世界で “ミニマルペア” と呼ばれるものがあるんですが、聞いたことはおありですか?Wikipediaによる定義は以下の通りです。

ミニマル・ペア(Minimal pair)、もしくは最小対語(さいしょうついご)、最小対(さいしょうつい)、最小対立(さいしょうたいりつ)とは、ある言語において、語の意味を弁別する最小の単位である音素の範囲を認定するために用いられる、1点のみ言語形式の違う2つの単語のことをいう。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ミニマル・ペア

「音素」、というのは特定の言語で使われる音の最小単位で、一つ一つの、概念としての母音や子音のことを指します。数学の世界で言えば素数みたいなもので、2と3と5を集めれば30が出来るように、/h/と/o/と/N/を集めれば本が出来ます ( / / は音素を表します)。次にこの /hoN/ という並びから「1点のみ」音を替えて /heN/ とすると、なんだか変だなぁとなります。それは日本語では “本 /hoN/” と “変 /heN/” は別々の単語として存在しているからで、このように違う二つの単語として認識することを意味の「弁別」と言います。そしてこの、一音しか違わない組み合わせを “ミニマルペア” と呼び、「本 - 変」のようなペアが存在することが、日本語において /o/ オ と /e/ エ が違う音素である証拠にもなります。

蘊蓄が過ぎましたが、ここでようやく連想ゲームの種明かしです (お待たせしました)。「ワイン」と「風呂」なんて一見まったく関係なさそうな単語を並べましたが、フランス語で「ワイン」を "vin"、「風呂」を "bain" と言い、綴りを見ても分からないのですがそれぞれ発音記号で表すと /vɛ̃/ (ヴァン) 、そして /bɛ̃/ (バン) になります ( /ɛ̃/ は口を横に引いて「アン」のように発音します )。そう、ワインと風呂は、フランス語の宇宙ではミニマルペアになるのです。
[v] は、上の歯を下唇に軽く当て空気を擦りながら出す音です。[b] は両唇を合わせて、溜めた空気を破裂させて出します。よく似た音ですが、唇を閉じるか閉じないかの微妙なラインで、同じ液体でも在り方が随分変わってしまいます。(ちなみに日本語では /v/ という音素はなく、[v] という “音” は音素 /b/ に回収されてしまいます )

ところで、さっきご紹介した " vin /vɛ̃/ "、子音の発音はそのままで、口を横に少し狭めて、喉の辺りを縦に大きく開けてみてください。ヴァンともヴォンともつかぬ音が出てくると思うのですが、これはフランス語で " vent /vɑ̃/ " という単語で、「風」という意味。ミニマルペアです。横に開いた口を縦に開くと、今度は液体は気体になって、唇の間を通り抜けます。

伊川さんはお手紙の最後でこうおっしゃっていましたね。

「私はいつも、言葉を使っているふりをしながら、こんなふうに言葉にたくさんの奇跡を教えられています。願わくば、世界中の城に思いもかけない抜け穴がありますように。そして、そこにやわらかな風が吹き抜けますように」

抜け穴から漏れ出た言葉たちが、どこかで繋がっていたらいいなぁと思います。宇宙は四次元に見えますが、一説には11次元もあって、余った次元は四次元空間に「まるまって」存在しているのだと、昔読んだ宇宙の本に書いてありました。きっと僕らの言葉も聞こえたり見えたりする分はほんの一部で、あとは僕らの中に、外に、間に、まるまって隠れている。それで気まぐれに僕らを語らせ、書かせ、また眠りにつくのでしょう。

少し長くなりました。ベンチ ( banc /bɑ̃/ ) で一休みしませんか?

●志村響(しむら・ひびき)
1994年東京生。「語学塾こもれび」塾長。まぁ無理にフランス語やらなくてもいいのでは?が口癖になりつつあるフランス語教師。言葉と音と服が好き。人の話を聞いていないように見えるときは相手の声音を聴いているか、月にいる (être dans la lune) かのどちらかです。
●伊川佐保子(いかわ・さほこ)
1992年東京生。本屋「ほんやのほ」店主、会社員もしている。言葉と本と人が好き。手紙をポストに投函するのが苦手。飛び立つ胸に書店ひとつも止し、晴れたが幸いへ行かせて「世界平和」いざ語れば、書物と瓶で四時に眠った人(とひたつむねにしよてんひとつもよしはれたかさいわいへいかせてせかいへいわいさかたれはしよもつとひんてよしにねむつたひと)。

<これまでのお手紙>
第一回 伊川佐保子 「言葉の抜け穴」(2019/11/20) 

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