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親が死んだらどうなるか~亡くなった日のこと~

親が亡くなったその日、残されたものはどうなるのか。

亡くなるまでのエピソードをまとめました。

深夜病院から弟に電話が入り、次いで兄、私たち家族と病院に駆けつけました。だけど、誰もその時には間に合わなかった。
兄が到着する10分前だったそうです。深夜12時までは病院に居たのに、亡くなったのは3時過ぎ。私より弟より兄が一番悔しいだろうな。

「子どもたちに手を握ってもらって看取られたい」

母が生前そう言っていたのでしばらく手を握っていました。布団はまだ温かったけど、手は冷えてきて、固くなってきていました。

でも、これ以上時が経っても母の身体が温かくなることなんてもうないんだからと、しっかり残ったぬくもりを感じていました。

冷たくなった顔に触れたときは、分かってはいてもドキッとしました。
「母は死んだんだ」という事実を突きつけられているような気がして涙が止まらなかったです。

「看取れなくてごめんね」という大人な私の気持ち

「なんで死んじゃうの、嫌だ、嫌だ」という子どもな私の気持ち

「これまで育ててくれてありがとう。生んでくれてありがとう。」
「見ててね、お母さん、私も子どもたちを立派に育てるから。」という母親の私の気持ち

深夜4時頃病院に到着して、泣いて泣いて泣いて、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃした頭と気持ちを一つ一つ洗い流していくうちに夜は明けていました。

朝6時になり、兄弟でこれから何をするのかを確認し、分担してこなしていくことにしました。

前日、たまたま兄と私で葬儀屋さんと打ち合わせをしていました。まさか、昨日の今日で教えてもらったことが役に立つとは思いませんでしたが、一度は葬儀屋さんに足を運んでいて本当によかったと思いました。

「作業をこなす」ということに集中している間は自分が混沌とした気持ちに振り回されることがなくて、ただひたすらやるべきことをやるだけだったので精神的に楽に思えました。

作業内容は
・訃報を伝える(親族、故人の知人友人、近所の方、自分たちの職場)
・葬儀屋に連絡し段取りを踏む
・病室の片付け
・自宅の片付け(一度家に帰りたいという母の要望から遺体を安置できるように)

正直、これだけでもかなり消耗する作業です。できることなら訃報を伝える人は事前に、名前と電話番号をまとめておいたり、予め携帯に入れておくとスムーズだったなと思いました。母の場合はメモに、「この人に知らせる」的な指示が色々なところに書かれていて、それを集約し、番号を本人の携帯や連絡帳などから探す作業が要りました。弟は、先に自宅に帰り片付けをすることになりました。残った兄と私で訃報の連絡、兄が葬儀屋とやり取りし、私が病室の片付けを担当しました。
よかったことは、自宅を離れるときに息子用にバナナやらパンの袋やらをとっさに掴んで鞄に放り込んでいたのですが、息子だけでなく大人も元気を出すために糖分が必要でした。買いに行く、とか大げさなアクションをしなくてもぱっとつまめてよかった。

そう、作業をしている間は哀しみを忘れていられた。忘れるとまではいかないけれど、欝々している暇がなかった。

私は、母が死んだら、もう何もできなくなる、と想定していました。

食欲も沸かず、消耗しきって、やる気も起きず、思考も停止する。

そんな風に思っていたけど、実際は全然違いました。兄弟と冗談も言えたし、笑うこともできたし、普通にお腹もすいて、何かをつまむこともできた。もちろん、分担した仕事をこなすこともできた。

思ったより、穏やかでした。

哀しいけど、これでよかった、いや、よかったという表現は適していない気もするのだけれども。自然とこうなったというか、あるべき方に向かったという感じでした。もちろん、どこかで深い哀しみがあるのですが。心の中は、穏やかな風が吹いていました。

#おかあさんとワタシ , #看取り , #親 , #死別 , #ガン ,


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