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文書はアートなのか

先日の記事で発信はアートだと書いた。

発信することはまさに心の中にあるものを
言葉という道具でアウトプットすることであり
まさにアートだと思ったからである。

人によっては音楽という形で出したり
創作物を作る形で出すかもしれないが、
その一つに文章を書くことがあると
私は考えている。

この考えは以前から持っていたものだが、
先日ある部下と話しているときに
ふと気になることがあったので
今日はそのエピソードをご紹介しようと思う。

私には部下が何人かいるが、
そのうち一人の部下は
芸術系の大学の出身である。

繊維関係の商品開発なので
基本的には化学系の知識が求められるのだが、
この部下の場合は圧倒的なコミュニケーション能力と
商品開発の仕事を強く希望していたこともあり、
配属されることとなった。

配属された当時は化学の知識がないこの部下を
どのように育てていこうかと考えていたが、
とても積極的に業務に取り組んでくれたおかげで
想像していたよりもずっと早く業務の知識も
身に付けたのだった。

そんな部下と先日話していた時、
ふと学生時代の話をしてくれた。

芸術系の大学では作品を定期的に発表するのだが、
芸術作品は単に発表するだけではなく、
その作品に込めた思いなどを
文章にして添付するそうである。

今は結婚している部下だが
当時付き合っていた彼氏 (今の夫)と
大学の作品展を見に行ったときに、
「みんな文章が上手くてびっくりする」と
言っていたらしい。

部下が行っていた芸術系の大学は
いわゆる偏差値でいうとそれほど高いわけではない。

それに対して、部下の彼氏の行っていた大学は
いわゆる国立大学で偏差値は高い。

しかもその彼氏は文系の学科なのだが、
そんな彼からみても、芸術系の学生の書く文章は
あまりに読みやすく、美しいと感じたらしい。

これはまさに文章がアートだからでは
ないだろうか。

この話の発端になった部下は
化学のバックグラウンドがない中でも
日々、色々な実験を行い報告書を上げてくれているが、
初めの頃からその文章は驚くほど論理的でわかりやすいし、
ほとんど修正する必要がないほどであった。

冒頭にも書いたが、芸術作品とは
自分の心の中にあるものを
何らかの形で取り出して現実世界にあるもので
再現したものである。

つまり、芸術作品を定期的に発表するということは
心のアウトプットの練習をしていると
いうことと同じなのだ。

以前の記事で私はこれをダムから水を放流する
バルブのようなものと書いたが、
文章とは違う形で常にアウトプットすることで
表現のバルブがスムーズに動くのではないだろうか。

それ故に文章での表現が上手いし、
心の中から取り出してそれを相手に伝えるという
エネルギーがあるので、
読み手にもスッと入ってくるのだ。

話の中でこのような考えを部下に言うと、
とても共感してくれた。

心と心をつなぐ電話のようなツールとして
私たちは言葉を生み出し、それを組み合わせて
日々使っている。

もちろん日常会話でも話をして
アウトプットをすることはあるのだろが、
それはキャッチボール的な要素が強い。

自分の中から出すと言うよりも、
相手からきたボールに対して
腕の筋肉を使って投げ返すようなものである。

自分の心の中からボールを取り出し、
相手に向かって投げる練習をしない限り
それを伝える力は強くならないのだ。

今回のエピソードで改めて文章はアートだと感じた。

今日も拙いながらも私の想いをこの文章に込めて
発信しようと思う。

あなたはどんな形で心を表現するのが好きだろうか。
一度自分と向き合ってみてはどうだろうか。


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