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昭和の深煎り愛好、王道の中煎り

久々にコーヒーの記事を書いたので、前によくスキを付けてくれていたユーザーの記事を見てみたところ、大学生で通販商売をしていたあおみどろ珈琲さんは大学を卒業しており、同じく大学生のまなみんさんは喫茶店を開業していた。

そのまなみんさんが、自家焙煎の本について「少し年配の方の堅苦しい話ばかりで若者にはキツイ」と辛口の評価をしていた。Amazonレビューを見ても、「価値観が偏りすぎ又古い印象」「昭和的なコーヒーが前提であって、実用的な部分はあまり無く」と散々な評価である。

主著者の嶋中氏のほうの他の作品を見ると、「おやじの世直し」「おやじの品格」「コーヒーに憑かれた男たち」「コーヒーの鬼がゆく―吉祥寺「もか」遺聞」等、おっさんの回顧録みたいなものに偏っているので、さもありなんというところか。

昭和の深煎り愛好

コーヒー観については世代の影響は大きく、最近、自家焙煎で豆も売っているタイプの喫茶店を何軒か回ってみたのだが、昭和のころからやっていそうな古い店は軒並み焙煎が深めであった。商品リストを見ると農園指定のプレミアム豆なども入っているのでトレンドを抑えているようにも見えるのだが、しかし売り場の豆がすべてフルシティ以上の焙煎で、その豆の特性を殺しているのでは?と思うこともしばしばあった。

コーヒー豆は、浅煎りでは生豆の品質差がはっきり出るのに対し、深煎りにするほど個性が消え、生豆の品質に関わらず画一的な「苦くキャラメルのような風味」に味が収斂していく。最も深い焙煎であるフレンチローストやイタリアンロースト、あるいはエスプレッソといった抽出法は、コーヒー豆の適地に植民地を持てなかった仏伊で、低質なコーヒー豆をなんとか美味く飲もうとした努力の表れである、とまことしやかに言われていたほどである。

旦部氏の本にもあるが、昭和の時代=冷戦時代は、コーヒー産地である第三世界諸国の経済を安定させ西側につなぎとめるため、国際コーヒー協定という一種の価格カルテルが形成された。このカルテルは高品質の豆を選抜しない集荷方式であったため、冷戦時終結までコーヒー豆の品質が上がらない時代が続いた。すなわち、昭和の時代には浅煎りに適した豆を入手することが難しく、やや深煎りにしてコーヒー豆の個性を消してしまうのが多くの場合最適解だった、と言ってもいいのだろう。

コーヒーの王道「中煎り」への復帰

しかし、コーヒーは本質的には「中煎り」がやはりベストバランスなのだと思う。前述の喫茶店巡りでは平成世代の同行者がいたが、彼女は「428さんが淹れるコーヒーのほうが絶対に美味しい」と言っていた。私自身はハイローストあたり(二ハゼ直前、油が全く浮かないレベル)で止めることが多く、浅煎りの冷水浸漬コーヒーも好評だったので、世代的に深煎りにこだわりがあるような人でない限り、こちらのほうが美味なのだろう(私が特別上手なのではなく、単に深煎りが苦手な人が多いという話)。

平成後期に台頭したサードウェーブコーヒーは、比較的浅い焙煎でも美味しい高品質の豆を選抜することを指向したSCAA (Specialty Coffee Association of America)の活動によるものである。そのSCAAのカッピングのための基準焙煎は、田口護氏の資料によれば、「アグトロン55は日本のL値22程度」とのことである。この値の対照表を探したところ、サクラコーヒーさんというところではアグロトン55はシティロースト、L値22はハイローストとしていた(このあたりの事情は私のこちらも参照のこと)。

多くの人にとってのベストバランスはハイローストあたりの「中煎り」で、であるからこそ「中煎り」すなわちこれが標準だ、と名付けられていたのだと思う。その点では冷戦カルテル時代の深煎り指向が特殊な時代だったのであろう。中煎りで美味しい豆が選抜され普通に市販されているこの時代、昭和さながらの深煎りは「あえて選ぶオプション」であって、初心者向けとも教科書的模範とも言えないように思う。

Panasonic The Roast 終売

さて、これは以前から書いていたが、コーヒー焙煎にこだわりがあると自称するなら温度プロファイルを完全管理できるPanasonic The Roastを買わなければ偽物だろうと言ってきたのだが、今サイトを見に行ったら終売になる様子である。

まあ正直なところ、10万円からというお値段は個人にはややお高い、というところだったのだろう。私自身も7万円の焙煎機を使っているので個人的には決して高くないと思っているし、自家焙煎店から買うのを自宅焙煎に切り替えるなら3年もすれば「元は取れる」領域だと思うのだが、売れなかったようである。

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