母、天国へ(1) ~介護と癒し~
3月19日の火曜日。
午前6:40ごろ、まだ眠気まなこの時間帯に、施設の看護師さんから電話。
「昨日と呼吸状態が違っているから、施設に来られたほうが・・」という電話。
週末施設訪問時、肩で呼吸していることが気になりましたが、月曜日もその様子は変わりませんでした。
ただ、私は東京に届いているであろう郵便物のことが気になっていて、一度東京に戻り、関西へとんぼ帰りしようかと考えていた矢先のことでした。
電話を切ってから、「今日は、仕事のアポが午前にも午後にも入っいるし、どうしよう・・」とよぎりましたが、とりあえず施設に行ってから考えようと。
7:30にはタクシー乗り場に到着し、8:15ごろに施設に到着できました。
母の元に到着すると
母の顔を見た途端、「昨日と全く違う・・」。
呼吸の間隔がまばらで、時に下あごをががっと動かしながら、息をします。
まぶたの辺りをさわると、いつもならピクピクっと反応があるのですが、看護師さんに確認すると、まぶたを開ける力がもう残っていないと。
口の中は出血していて、これも何か傷ついた状態というよりは、栄養が行き届いていないので、歯茎から出血し、止血が難しい状態とのことでした。
昨日との様子の違いに愕然としていると、担当の看護師さんがやってきて、
「〇〇さ~ん」と母の胸のあたりをとんとんと刺激します。
そうすると、「は~」と思いだしたように呼吸をします。
私はこれまで、人が亡くなる瞬間に居合わせたことがなく、今の母がどのような状況なのか、、想像が難しい状況でした。
ただ、母の体にいっぱいふれながら、涙が自然と流れて・・
もちろん、母に死が近づいていることは、以前から頭ではわかっていたけれど・・・
点滴も、吸引も最後
施設の母の部屋には、これまで訪問看護の方が、点滴のために毎日来て下さっていました。
その担当の方、そして施設の看護師さんより、「もう点滴をしてどうこうなるという状況では」と説明を受け、これ以上の点滴をストップすることにしました。
「お母さんはよく頑張っていらっしゃいました」
その一言に、思わず涙があふれ、「ありがとうございました」と言っている自分に気づきました。
そして、唾液や痰を吸引するというより、出血した血液の吸引。
のどの奥まで入っているわけではありませんが、途中から、母はぎゆーとチューブを噛んでいました。
看護師さんは、「こんな噛む力があるなんてすごい」と。
「もう必要ない」
言葉はありませんでしたが、母にはちゃんと分かっていたのです。
間に合う? 妹を待つ母
タクシーの中で、妹には連絡をしましたが、反応なし。
ようやく8:30ごろに電話があり、その時点で、私には母が間もなく亡くなるという判断はつきづらかったのですが、「すぐ来たほうがいい」と彼女に伝えました。
同じ関西圏とはいえ、到着までに約2時間。
私は、せわしなく、持ち込んでいるパソコンの前と母の元を行ったりきたり。
パソコンの前でメール対応をしては、母に話かけていました。
「〇〇(妹の名前)が来るまでに2時間ぐらいかかるみたい。待っててくれる?」
「〇〇さん(母の名前)の娘に生まれて本当によかった。ありがとう(涙)」
「〇〇さん(母の名前)、大好きやで」
母のおでこやほっぺに自分の顔をぴたーーっとくっつけて。
以前だったら「いややねん」とか「くさっ」という言葉が聞こえてきていましたが、母は静かなままでした。
妹が到着した後に
10:30ごろに妹が到着。
母は頑張ってくれていました。
しかし、その時の私には、これが母の最期の頑張りであり、母の最高の愛だったのだということには気づいていませんでした。
施設のスタッフの方が、「こんなときにあれなんですけど・・・亡くなった時に、着せてあげたい服のご用意がありますか?」と確認して下さいました。
その時点での私は、相変わらず”もうすぐその時がくる”という認識がなく、とにかくパソコンの前と母の元を行ったりきたり。
その間、妹はマッサージをしたり、母の元に寄り添っていました。
そして、11時ごろだったでしょうか?
妹は母の枕元にいて、私は、母の右手を自分の右手でにぎっていました。
それは、「もう少しがんばって」という意味合いではなく、いつも母の手にふれていたから、その日も手をつないでいたのです。
それは本当に"一瞬"のこと
「あっ」
今思い出すと、その"一瞬"の少し前に、何回か「はっ、はっ」と呼吸をしていたように思います。
手をつないだまま、「あれっ」という感覚が自分の中でおこり、思わず脈をとると、反応はありませんでした。
「亡くなった?」そう誰かに聞いている自分がいました。
あ~亡くなったのだ。
そうなんだ。亡くなったんだ。。
妹が母に「ありがとう」と言っている声が聞こえました。
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